騙されたのは女か、それとも男か?
「恋」に落ちたのか、それとも「罠」にはまったのか?

資産200億の“恋を知らない資産家の令嬢”と、それまでに10億を奪いながらも“一度も訴えられたことがない、詐欺師の男”。

◆これまでのあらすじ

一度は詐欺師の罠をかわしたかに見えた智だったが…詐欺師・親太郎の策略により、夫と離婚し、親太郎と恋人関係に。それを知った親太郎の元カノが嫉妬に狂い、警察へ出向くがその捜査が、トップの命令により突然打ち切られてしまう。そして親太郎が、智の父・潤一郎から呼び出されたのだが…。



「昼間は智と会われていたようですが…送金は無事終りましたか?」

「智さんの許可がなければ、喋ることができません」

向かい合う小川親太郎に笑顔で質問をかわされると、神崎潤一郎は、芝居めいた小さなため息をつき、ラム肉にナイフを入れながら続けた。

「小川先生が、善人ではないということは分かっていたつもりでしたけどねえ」

親太郎は何も答えず、食事を続ける潤一郎の次の言葉を待った。

親太郎は先程到着したばかりだったが、先に食事を始めていた潤一郎のペースに合わせるため、前菜を頼まず、すぐにメインの肉料理を注文した。

牛とラムと鴨。その中から鴨肉のローストを選んだ親太郎に、肉料理で鳥を選ぶ男とは私は相性が悪いんだよ、と潤一郎は真面目な顔で言った。

カトラリーと皿がかすかにぶつかり、グラスにワインが注がれる。言葉を交わさぬ2人の食事の音。

それだけが、彼ら以外誰もいない空間に響いた。2人の容姿や佇まいが醸し出す迫力のようなものが、和洋折衷のインテリアに溶け込み、妙な異世界感を強めている。

ここは、大正時代に日本邸宅を洋風に改築した建物。最寄り駅は四ツ谷駅で、千代田区の番町にある。

潤一郎は親太郎に『四谷の会員制のレストラン』と伝えて呼び出したが、高い塀と広い庭の効果も相まって、その実体を知るものは少ない。

会員リストは厳重に管理されていて、紹介制というわけでもなく、会員の誰かがその資格を失うと、どこからともなく次の候補へ案内状が送られてくるという噂。

マサが集めてきた情報も、秘密結社のような社交クラブで、国の中枢にいる大物たちが、公にはできない会合を開くための場所なのだとか、運営を任されているのは代々占い師の一家らしいとか、どこか怪しげなものばかりだった。

ほぼ同時に、カチリ、とナイフを置いた潤一郎と親太郎の皿を、従業員…と呼ぶのが相応しいかどうか分からない男性が、流れるような所作で下げていく。彼が去ったタイミングで、潤一郎が、さて、と言った。

「そろそろ本題に入りましょう。お願いがあってお呼びしたのですが、これ以上の騙し討ちはご遠慮願いたいと思いましてね。小川先生は、入り口でのボディチェックの意味をお分かりでしょう?」

確かに親太郎は、入り口で入念なボディチェックを受けていた。それが盗聴盗撮の機器を持っていないか確かめるためだ、と理解はしていたが、敢えて尋ねる。

「録音録画が困るような発言をなさるつもりでしょうか?」

「いえ、万が一の対策ですよ。なにせ小川先生には何度もしてやられていますから、念を入れたまでです。でもご安心ください、こちらもフェアにいきますよ。お互いに記録はとらない、この場限りの会話ということで、よろしいでしょうか?」

潤一郎は、丸腰だという表現のつもりなのか、おどけた仕草で両手を上げて見せた。そして、まずは私から、と言って続けた。

「私の要求は、言うまでもなく…今すぐ、娘から離れてもらいたい、ということです」


ついに…潤一郎が親太郎を追い込む中…200億が動く!?


潤一郎が人を呼ぶと、すぐに男性が現れ、A4サイズの封筒を手渡して去った。

テーブルの上を滑るように差し出された白い封筒に、グラスに残っていたワインが反射して赤い影が落ちる。

どうぞ、という声を聞いてから、親太郎は封筒を開けた。

そこにはこれまで親太郎が『金を譲り受けた』女性たちの詳細な資料が入っていた。それなりに分厚いその紙の束を、親太郎がパラパラとめくり、一通り目を通すのを待ってから、潤一郎は言った。

「すぐに、娘の前から姿を消してくれたら、これまでのことは不問にしよう。捜査を止めたのが私であることも、君はもう分かっているだろう?」

―お前の全てを調べ上げることも、国家権力を動かすことも容易いこと。お前とは力が違うのだ。だからこれ以上怒らせるな。

敬語を崩し、子供を諭すような優しい口調で、潤一郎は親太郎に圧をかけていく。

「もし君がまだ足掻くつもりなら、智に、その紙の束を見せれば良いだけの話だ。例え、今は君との恋愛ごっこに夢中になっていたとしても、君を疑う証拠を渡せば、あの子は我に返るよ」

「…」

「私が、そう育ててきたのだから」

「…疑え、だが怖れるな、ですよね?」

潤一郎の言葉が止まり、沈黙が逆転した。

「智さんが話してくれたんです。父にそう言われ続けたと。改めて口にしてみると、幼い子供には、本当に酷な言葉ですよね。小さな智さんが、それをあなたに言われる度にどう受け止めて成長してきたのか…想像すると悲しくなります」

「…あの子の成長のことを君に語られたくはないね。そんなことより、君の返事を聞かせてほしいんだが」

そんなことより、ですか…と、親太郎は小さくため息をついた。

「返事の前に僕からも質問です。あなたが捜査を止めたのはなぜですか?」

「答えるつもりはないよ」

「刑事さんは兼六堂界隈の捜査を始めていた。ということは智さんにたどり着くのも時間の問題で、智さんに僕の過去を知らせるチャンスだったわけで。どうして止めたんですか?」

「何度聞かれても、答えないよ」

親太郎が声を上げて笑っても、潤一郎の表情は変わらなかった。

「わかりました、先に返事をしましょう。信じてもらえないかもしれないですけど、…智さんは、僕にとって、とても大切な存在なんです。だから簡単には別れられません。それなりに対価をいただかないと」

「…」

「そうだなあ…200億。200億払っていただけるなら。あなたの大切なお嬢さんの前から消えましょう」


凄腕詐欺師と日本有数の資産家の壮絶な攻防。果たして勝者は!?

今度は、潤一郎が声を上げて笑った。

「これはまた、突拍子もない。話にならないな」

トン、トン、と潤一郎の指が、テーブルの上の紙の束を指した。

「君は、自分が置かれている状況をわかっているのか?」

「もちろん。もちろん分かっていますよ。この紙の束には、僕と智さんを引き裂く力は何もないこともね」

「例え立件はされていなくても、女性に近づき金を受け取った。これだけのレポートがあれば、智を幻滅させるには十分だ」

「神崎さん、あなたがこれだけ詳しく僕の情報を集めることができたのなら、それが、僕にもできると思いませんか?あなたと智さんのことを、僕が調べ尽くしていたとしたら?

例えば、さっきの言葉。あなたが言った『疑え、だが怖れるな』ってやつです。あれのきっかけになったのは、智さんが誘拐されたことがきっかけなんですよね?

あの犯人、というか首謀者は、確かミツさんという女性で。智さんがすごく慕っていた家政婦さんでしたよね」

「智に聞いたのか…?」

そこは、今重要なことじゃないんですけどね、と親太郎は呆れたような声を出した。

「あの事件。智さんは覚えていないみたいですが、あの事件の黒幕について…あなたが隠し続けてきた秘密。智さんにも隠し通している秘密があるでしょう?

それを智さんが知ったら…どうなるでしょう?ああ、マスコミも飛びつきそうな話ですよね。あなたが警察に隠蔽させたなんてことが分かったら、ね」

「…何の話だか分からないし、智に隠していることなどない」

「そうなんですか?じゃあ…この後智さんに会う約束をしているので、話してみても?」

潤一郎はイエスともノーとも言わず、ただ親太郎を見つめていた。感情を顔に出さないその精神力は流石というべきものだろうが、返事ができないでいる彼そのものが、最早答えになってしまっていた。

「とりあえず、200億の結論…保留にします?ま、あなたにとって200億なんて、はした金でしょうけど。少しは待ちますよ。でもあなたが智さんに余計なことを言った瞬間に、僕もバラします。智さんだけではなく、マスコミにも。

あ、マスコミじゃなくでSNSで投下した方がいいかな?間違いなく兼六堂の株価も下がっちゃうだろうな。

あ、あと警察を頼るのも反則です。僕が警察にお世話になることになったら、すぐにこの情報を流出させるよう頼んであるので妙な動きはなさらない方が賢明ですよ。

あなたは沢山のものを失うことになる。立場も金も…大切な大切なお嬢さんも、ね」

では、返事をお待ちしてます、長くは待てませんけど、と言って親太郎は立ち上がった。

「…私が…こんな卑怯なやり方に屈すると思うのか?」

潤一郎が絞り出した声を、親太郎は見下ろしながら笑った。

「どうでしょう?でもまあ、僕には守るものもないので、あなたが面白くしてくれるなら、その勝負に乗ってもいいんですけど。そうなるともう一つのカードも切らなきゃだめになるのかな…えっと…これ」

親太郎が見せたものは、携帯に入っていた智の写真だった。

とびきりの笑顔、そして親太郎と頬を寄せ合う自撮り、後ろから抱きしめられたもの、そして…バスローブ姿に見える寝顔。



「あ、この先は自粛しときますね」

「…お前…」

「兼六堂のお嬢さんが、夫じゃない男と…ってだけで、マスコミが騒いでくれそうですよね。どういうわけか…まだ離婚は公表されてないようですし。となると世間的には不倫の情事、ということになるわけですから。

まあ僕としても、こんな形で智さんを傷つけるのは本意じゃないので、神崎さんの賢明な判断を、お待ちしていますよ」

背を向けて立ち去る直前、親太郎は一礼して微笑んだ。その笑みは…


―魔、だ。

あまたの大物、時には悪人と対峙してきた潤一郎でさえ、ぞっとするほど…魅入られてはいけない、悪魔的な美しさを帯びていた。


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神崎潤一郎は200億を払うのか?そして…親太郎の200億の目的は?