―絶対に、してはならない。

禁じられるほどしたくなるのが人間の性。それを犯した人間に、待ち受けているものとは…?

▶前回:「条件はいいんだけど…」好きじゃなかった彼氏のスマホを覗いた女・28歳が、突然に彼との結婚を決めたワケ



私はずっと、専業主婦になりたかった。

甲斐甲斐しく夫の帰りを待つ、可愛いお嫁さん。昼間に犬の散歩をする、優雅なマダム。今どき珍しいかもしれないが、そんな存在に本気で憧れていた。

だから、今の夫・智司と出会い、とんとん拍子で結婚までたどり着いたことは、人生で一番の幸運だったと思う。

智司は、飲食店を複数経営している経営者。奥さんには、なるべく家にいて欲しいと言う、これまた今どき珍しい亭主関白気質な男だった。

10歳以上離れているけれど、美容にも体形維持にも気を使い、とても40歳には見えないほどに若々しい彼は、私にとっては理想の男性。また彼にとっても、私は理想の女性らしい。

―まさに、運命。

彼との出会いに感謝しながら、私は悠々自適な専業主婦として、広尾の低層マンションで毎日を過ごしていた。

…つい、さっきまでは。

木漏れ日が差し込むこの優雅な空間の中で、いま私の心臓はドクンドクンと大きく波打っている。

私をここまで息苦しくさせているのは、テーブルに置かれた智司のスマートウォッチ。

そこに同期されていた一通のメッセージに、私の人生が大きく狂わされていくこととなる…。


優雅な専業主婦が衝撃を受けた、夫のスマートウォッチの着信内容とは

智司は、几帳面で綺麗好きで、典型的なA型という感じの男だ。忘れ物なんて、滅多にしない。

だが今朝は仕事のトラブルで慌てて家を出ていったせいか、いつも身に着けているスマートウォッチをダイニングテーブルに忘れていってしまったようだ。

彼と2人で選んだ、天然の大理石でつくられたダイニングテーブル。白と黒がきれいなマーブルを描いている、大きな一枚板の上に置かれたそれは、何か言いたげにこちらを見つめている。

普段は決して触れることのない、彼の持ち物。

ぽつんと寂し気に佇むその姿に、私はなぜだか引き寄せられ…。気づいたときには、暗くなっていた画面にそっと指で触れてしまっていた。

すると、真っ黒だったディスプレイが少し遅れて光を放ち、彼のスマホと接続されていたときの、最新のLINE着信が画面に表示された。

―梨々花:昨日はご馳走さまでした♡次はいつ会えるの??

すぐスマートウォッチの画面は真っ黒に戻ったけれど、その画面の残像は脳裏にこびりついたまま。

「…やっぱりか」

ふと、そんな言葉が漏れ出ていた。

正直、どこかで覚悟はしていた。圧倒的な財力と、それなりのルックスを持ち合わせる男だ。遊び相手くらいならいくらでもいるだろう。付き合っていた当時から、女の影を感じていなかったわけじゃない。

でも、いや、だからこそ。確信をもつことが怖かった。

彼のスマホを見ようとしたことなんてなかったし、知らない香水が彼からふわっと香っても、必死で気づかないふりをしていた。

…けれど、なぜかこのときばかりは、何かに呼び寄せられるように、その画面に触れてしまったのだ。



「専業主婦になる」という念願だった夢を叶えてくれて、私のことを一番に愛してくれる、優しい夫。多少のことは目を瞑ろう。この幸せを壊したくなんてない。

でも静まり返った家の中で、胸の鼓動は一向に収まらない。頭では「目を瞑ろう」と思っているのに、ショックで頭がうまく回らないのだ。

どれだけ、茫然と立ち尽くしただろう。

呼吸が整い、状況を整理できてから、どうするか必死に考えた。

彼と離婚はしたくない。だけど、気づいてしまったものを黙っていられるほど寛容ではいられないし、気持ちを落ち着けられないほどには、彼のことを愛している。

でも、下手に口論になって関係がこじれてしまうことも避けたい。

ぐるぐると同じ思考が巡り、結論がでないままに、私はそのときを迎えてしまったのだ。

「ただいま〜」
「…」

玄関の方で、陽気な彼の声が響く。彼がリビングに近づいてくる足音が大きくなるにつれ、私の心臓もまた、再び大きく波打ち始めた。

「いるんじゃん、ただいま」

私の気持ちなんてこれっぽちも知らない、「今日良い一日だった」と言わんばかりのその呑気な表情に、咄嗟に口から言葉が出てきてしまった。

「ちょっと、何これ。どういうこと?」

もっと冷静に、大人な対応をしたかった。自分のキレた口調が耳についたときはそう思った。

けれど、そんな考えは一瞬にして吹き飛んだ。

彼がとんでもない言葉を口にしたのだ。


浮気の証拠を突きつけられた夫が妻へ、衝撃の一言

私の言葉を聞いた瞬間、智司の顔は曇った。瞬時に悟ったのだろう。やってしまった、という心の声が聞こえてくるようだった。

けれど、彼はすぐにこう言い放ったのだ。

「だから何?」

完璧主義な男だ。自分のミスで浮気がバレたことが気に食わなかったのか、明らかに開き直った態度で、私に挑んできた。

「浮気してるでしょ!!」
「…うん。いや、だから、どうしたの?」
「…え」
「いや、お前もそれくらいは薄っすら気づいていただろ」
「…」
「それに、本気じゃない、あくまで遊びだよ。それくらい、見過ごせよ。その分、いい思いさせてやってるだろ?」
「…謝りすらしないの?」
「誰のおかげで、この暮らしができてると思ってんだよ!!離婚されたいのか!?」

最後の彼の言葉を聞いたとき、私の中で何かが終わった。

謝って、反省してくれたら、ちゃんと私も許そう。どこかでそんな風に考えていた自分が、随分遠い過去のように感じられる。

「…はい」
「え?本気で離婚したいの?お前、もうこんな生活できないよ?」
「かまわない」

彼の、想定外の事態にあたふたする姿を、どこか他人事のように眺めながら、もうこのときは、これからの人生どうするかを考え始めていた。



ずっとずっと憧れていた専業主婦、優雅な生活、裕福な暮らし。私が一番欲しかったもの。

誰もが手にできるわけじゃない。絶対に何があっても手放さない、心からそう誓ったはずなのに…。

自分の気持ちを殺し、彼の支配下に置かれてまで、欲しいものではなかったらしい。

また仕事をはじめ、婚活市場に舞い戻り、再び戦う過酷さは容易に想像できたのに、手放すことに迷いはなかった。

「本当にいいのか?今ならまだ間に合うぞ?引き返せるぞ?」

離婚届に判を押す前、彼は私にそう言った。

プライドの高い彼のことだ。自分から「やっぱり離婚したくない」と言いたくなかったのだろう。私が彼にすがってくることを、最後まで期待していたのだと思う。

「引き返しません」

そう冷たく言い返すと、彼は本当に悲しそうな目をして、このときばかりは心が痛んだ。彼の浮気を知って、感情が入り乱れるほどには彼のことを愛していたから。

彼を許すという選択を取れなかった自分が、ちょっとだけ憎かった。

けれど、引き返す気は本当にもうなかった。



それからしばらくして、私は小さなワンルームに引っ越し、前の職場に復帰した。

29歳で仕事を辞めて、1年。気まずくないわけじゃなかったけれど、ブランクはたった1年だったし、仕事の感覚はまだ覚えていた。元の生活に戻っただけ、大して苦ではなかった。

結局、私は何よりも欲しいと思っていたはずのものを、彼の浮気が一度発覚しただけで、すぐに手放してしまったのだ。

迷わずそんな選択をするなんて、自分でも驚いた。

窮地に立たされるまで、自分が本当に大事にしたいものすらわからないなんて、人間はなんて厄介な生き物なんだろうかと、つくづく思う。

けれど、私はどこか清々しい気分だった。


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