5.2%―。それは、日本国内で“妻の方が稼ぐ”世帯の割合。

「妻には、仕事を頑張ってもっと輝いてほしい」

笑顔でそう言いながら腹の底では妻を格下に見て、本人も自覚せぬまま「俺の方が稼いでいる」というプライドを捨てきれない男は少なくない。

そんな男が、気づかぬうちに“5.2%側”になっていたら…?

男のプライドが脅かされ、自らの存在意義を探し始めたとき、夫はどんな決断をするのだろうか。

◆これまでのあらすじ

離婚を受け入れることにした新太は、伊織に手紙を書く。最後の最後に話し合うことになった二人は、どんな結論を出すのだろうか?

▶前回:結婚生活が破綻寸前の夫婦。妻に離婚を突きつけられた夫が、最後に賭けたもの



「今日は暖かいね」

柔らかな光が差し込むリビング。新太に話しかけられた伊織は、窓の外に目をやった。

朝日を浴びて1日を迎えたいと、東向きの部屋を借りたことを思い出す。

ここ数か月は外泊ばかりしていたし、夜に荷物だけ取りに帰ることが多かった。この部屋で光を浴びるのは、いつ以来だろう。冬の強すぎない日差しが心地よい。

あと2時間もすれば暗くなる。東向きの部屋は、朝日をピークにどんどん影っていくのだ。

それまでには部屋を出ようと、伊織は心に決める。すると彼が、寂しそうに笑って続けた。

「天気が良い、気温が高い。こんな会話するのも随分久しぶりだよな。こういう他愛もないコミュニケーションこそ大事だったって、今さら思うよ。ごめんな」

「ごめんな」と言いつつ目を逸らした新太を見て、鼻の奥がツンとなった。

―もう別れるのに。こんな最後、想定外だよ。

うっかり涙腺が緩みそうになるのを堪える。別れると決めた後の方が、コミュニケーションが上手くいくなんて。

夫婦生活数年、一体何をやってきたのだろう。

「本当ね。…ねえ。最後だしさ、お互い思ってたこと、ちゃんと話そうよ」


そうして伊織が、本音を打ち明け始めると…?

妻の本音


「別れる直前になって、ようやく腹割って話すなんてな」

新太は、近くのカフェでテイクアウトしてきたコーヒーを一口飲んでから話し始めた。

「手紙に書いた通りだけどさ。これからのこと。伊織のビジネス、手伝うよ。前に見せてもらった企画書も、俺なりに赤ペン入れさせてもらった。よければ見てみて」

「やだ、真っ赤じゃない!」

テーブルに置かれた書類には、膨大な赤が入っている。伊織は思わず、声をあげてしまった。

でもどうしてだろう。昔なら「また上から目線でうるさいな」と思っただろうに、今日は読む気になった。

「いくつかスタートアップの手伝いをしてるから、俺もそれなりに勉強してるよ。参考になれば」

少しだけ時間をもらって目を通してみる。そのアドバイスは的確で、自分でもあやふやだと感じていたところを、ずばり突いていた。

「さすが、新太だね。ありがとう」

「さすが、ありがとう」という言葉が、自然と口から出る。

寄ると触ると喧嘩ばかりだった少し前の日々からは考えられないほど、穏やかな会話を楽しめていた。

「私たち、どこですれ違っちゃったんだろうね。変な話、夫婦になってからの方が、コミュニケーション上手くいってなかったと思う」

本音をこぼすと、彼も「そうだな」と、うなずいた。

「私の場合だけど」

一呼吸置いて、伊織はこれまで溜め込んできた胸の内を、一気に吐き出した。



「夫婦なんだから、もっと認めてよ、言わなくても察してよって思ってたの。でも気付いたんだ。新太みたいに優秀な人間から見れば、私の頑張りなんて大したことないし、悩みも理解出来ないんだろうって」

伊織は、少しだけ俯いて続ける。

「それで、いつの日からか、変なライバル心みたいなのが芽生えたのよね。だからいつも喧嘩腰で…。負けたくないって思ってた」

目の前に座っている彼は瞬きひとつせず、ジッと聞き入っている。

「つまり、新太に認めて欲しかったんだと思う。私にも反省点がたくさんあるのは分かってる。ごめんなさい」

家族。いつでも味方でいてくれる存在で、二人手を取り合って生きていく。そんな素晴らしい側面もあるだろう。

だが一方で近い距離感だからこそ、ライバル心や劣等感を抱きやすいものだ。密な関係で切り離せないからこそ、負の感情を生み、それが増幅してしまうことだってある。

「これが、私が言いたかったことかな」

これまで溜まっていた心の澱を吐き出した伊織の心は、スッと軽くなった。

すると新太が、大きくうなずきながら言う。

「話してくれてありがとう。俺も正直に言うな」


最後に新太が、本心で語ったこととは…?

新たな関係構築


「男としてのプライドがあったんだ。だから伊織が忙しくしてると、俺の稼ぎが悪いみたいに感じてしまって。俺を卑屈にさせるようなことするなって思ってた。パワーバランスが崩れることが怖かったんだ」

少しだけ弱くなってきた窓からの光を眺めながら、新太は続けた。

「応援したいなんて、口先だけだった。むしろ、伊織が頑張るほどイライラして。でもどこかで、きちんと話し合うべきだったんだよな。俺は聞いてやる側だなんて固執してないでさ。…ごめん」

離婚直前、最後の話し合いで、ようやくお互いの気持ちをさらけ出すことが出来た。

すると彼の言葉を聞き終えた伊織の脳裏に、ある考えがよぎる。

―新たな関係性で、夫婦をやり直すことは出来ないだろうか。

離婚を切り出したのは自分だし、身勝手だということは百も承知だ。だが今の時代、結婚してもお互いのペースを大事にしている夫婦もいる。

2人でルールを決めた上で、週末婚のような形をとってみるのもアリかもしれない。

今日、ようやく気持ちを理解し合えたのだ。離婚前にというのもおかしな話だが、これをスタートにすることは出来ないだろうか。

「私たちさ。新しい関係性で、初めからやり直せないかな」



「えっ…」

驚いて言葉を失う夫に向かって、正直な気持ちを伝える。

「離婚だ、何だって騒ぎ立てたのは私の方。都合が良いって思われても仕方ない。でも結婚した時と今では、二人とも随分環境が変わったじゃない。今の新太と私で、付き合い直せたらって思ったの」

そう言うと、彼はしばらくの間黙っていた。だんだんと、部屋に入り込んでくる光量が減っていく。

さすがに無茶な提案だと反省した、その時だった。

「やってみよう。無理だったらまた考えればいい。ある意味、昔の自分たちとはお別れだな。…だからひとつだけ、お願いがある。あの五味さんとは縁を切ってくれないか」

伊織は驚いた。まさか新太は、五味との間でひと悶着あったことを知っているのだろうか。

「それは…」

「あの人のことを調べた。怪しいセミナーを主催してることも知ってるんだ」



そもそも五味とは、とある離活セミナーの帰り道で声をかけられたのがきっかけだった。

女性の起業や独立を支援していると語り、それに興味を持った伊織は少しだけお茶をしたのだ。それから彼女とは、定期的に会うようになった。

セミナーを手伝ったり、彼女に代わって起業セミナーなんかも開催したりして。

だが、事件は起きた。少し前に「離婚を迷っている」と電話してから、態度を一変させたのだ。

「もうあなたに用はない。出て行って」

訳が分からず聞き返すと、五味は高らかに笑ってこう言った。

「私のセミナーを広めてくれる、良いカモだったから優しくしてたんじゃない。あなたが独立して私と一緒にやってくれれば、ビジネスの範囲も広がるしね」

絶句する伊織を気にすることもなく、五味はペラペラと嫌味を述べ続ける。

「副業が調子良くて独立に興味を持っていたあなたは、ちょうどよかった。人生、そんな甘くないわよ?誰が善意で、他人の離婚なんか支援するかしら」

伊織はカタカタと震えが止まらなかった。自分はただ、離婚したいという気持ちを利用されていただけだったのだから。


その頃新太が、伊織に隠れてコッソリしていたこと

新太の想い


五味について、新太の方でもその実態を調べていた。不信感を抱き、ある会社に調査を依頼していたのだ。数日前、その報告を受けて「ああやっぱり」と納得した。

自己啓発セミナーだかなんだか知らないが、怪しい団体であることは間違いない。それに伊織は、カモとして使われている。そのことは明らかだった。

―そうはいっても近々離婚するんだし、別に俺が口出しすることでもないか。

もうすぐ赤の他人になる。自分に被害が及ばないのなら、忠告する必要もないだろう。一度はそう決めて、心の中にしまった。

だが、しかし。伊織を前にすると、まだ心の中にある彼女への気持ちや情が湧き出てきてしまった。「痛い目に遭えばいい」なんて思えなかったのだ。




―夫婦生活にも、PDCAを回すことが必要なんだよな。

この数か月。妻に出て行かれ、離婚を切り出されたことで分かったことがある。自分は変化を受け入れることが出来ず、付き合った当時の関係性に固執し過ぎていたのだ。

「昔は献身的だったのに」
「最近、手抜きだな…」

その結果、徐々にコミュニケーションが減り、消耗していった。そして伊織は、詐欺まがいの人間を信じるまでに追い詰められてしまったのだ。その責任の一端を、新太も感じている。

夫婦という土台がグラグラすれば、人生も揺らいでしまうということを痛いほど思い知った。

お互いの変化に合わせて、軌道修正していく。そしてその度に“新たな夫婦”として生まれ変わることが必要なのだろう。

―夫として生まれ変わってみるか。心新たに、やってみよう。

「あらたという名に恥じないよう、頑張るよ」

くだらないと思いつつ口にすると、伊織が噴き出した。

「つまんないギャグ。…さ、仕事に戻ろうっと」

この夜。

二人は久しぶりに同じベッドで眠ったのだった。


Fin.


▶前回:結婚生活が破綻寸前の夫婦。妻に離婚を突きつけられた夫が、最後に賭けたもの