大抵どんな夫婦にも、互いに“秘密”があるものだ。

『愛しているからこそ、全てを知りたい』

そう考えた一人の男がいた。

愛しすぎることは、罪なのか……?

◆これまでのあらすじ
料理教室を営む里紗は、スタッフの梓から「ご主人はストーカーです」と聞かされ、それを最愛の夫・毅に確認する。毅はあっさりそれを認めたが、彼には彼の言い分があった…。

▶前回:「恥ずかしくて、誰にも言えない…」彼氏にフラれ寂しくて、女がつい手を出してしまったこと



6年前、毅は付き合っていた女性との別れを迎えた。

彼女の名前は、梓。

本気の恋だった。

だが付き合って半年が経った頃、急に連絡が取れなくなったのだ。しばらく諦めきれず、梓との繋がりを取り戻そうとしたが、それは叶わなかった。

自暴自棄になり、YouTubeを垂れ流しながら酒を飲む日々が続いた。そんなある日、セクシーな服で料理をする女性の動画を偶然目にする。

彼女の声が耳に届いた瞬間、酔いが覚め全身に血が巡るのを感じた。そして次の瞬間には、梓のことを忘れ画面の中の女性、すなわち里紗に夢中になっていたのだ。

当時は、彼女の本名すら知らなかったが、ひと目で恋に落ちた。

― この女性は、梓を忘れるための神様からのギフトなのかもしれない。

早速「とっても素敵です」などとコメントをして彼女とつながろうと思った。しかし、他の男性からのメッセージでコメント欄が溢れ返っているのを目にして、急に怖気づく。

― こんなに魅力的な女性なんだから、当然だよね。俺には高嶺の花…。

まだ何もしていないのに、毅は失恋にも似た気分になり、コメントはせず「もう彼女の動画を見るのはやめよう」と決意した。とはいっても、決意とは裏腹に、たった2本しかない里紗の動画を毅は何度も何度も再生した。

そんな折、突然運命が動いたのだ。


あの日の毅が感じた“運命”の正体とは!?里紗を偶然見かけて…

当時、スポーツメーカーの営業として働いていた毅。

取引先に向かうため表参道を歩いている時に、地下鉄の階段を上がってくる里紗に偶然出くわしたのだ。

― もしかして、あの女性はYouTubeの…?

その瞬間、毅は確信した。

― やっぱり神様からのギフトだ。俺と彼女は、結ばれる運命なんだ。

商談のことなど忘れ、気づけば里紗の後をつけていた。しかし、いざ声をかけようとした時にハッとした。

― 俺が彼女のことを一方的に知っているだけ。今話しかけても、彼女を怖がらせるだけなのでは。

結局、毅が声をかけないまま、里紗は目的地に辿り着いたらしくビルに入っていった。そのビルは、インテリアショップの本社のようだ。

― 彼女が本当にこの会社の社員なら、素性は簡単に探れる。

毅の指が勝手に動いて、スマホで彼女のことを調べ始めた。だが、ここでもはたと気づいて、手を止める。

― これではまるでストーカーではないか?

もしバレたら、彼女も梓のように自分の前から消えてしまうかもしれないと考えた。

梓には「あなたはストーカーだったの?」と言われてフラれていた。自覚はなかったが、指摘されたのだから改善しないといけない。

― 俺は、ストーカーなんかじゃない。

毅は踵を返し、商談に向かった。

約束の時間から遅れたことで商談相手は、気分を害していたようだったが、毅の頭の中は里紗のことでいっぱいだったから大して気にならなかった。

― 彼女、実物も綺麗な人だったな…。

YouTubeではセクシーな印象だった彼女は、今日はまったく違っていた。

明るいベージュのスーツにピンクのシャツを合わせた彼女はキリッとしていて、まさにキャリアウーマンという感じだった。髪も下ろしているのと上げているのでは、まるで雰囲気が変わる。どちらも本当に魅力的だと思った。

コメントしていた他の男性視聴者たちは、動画での里紗しか知らないんだと思うと、毅は優越感でいっぱいになる。

しかしその浮き足立った気持ちは、仕事を終えて帰宅するなり急速にしぼむことになる。



― ダメだ…。彼女がこの部屋を見たら、俺は嫌われてしまう…。

毅の部屋は、お世辞にも洒落ているとは言い難い。

彼女がインテリア会社の社員だとすれば、当然家具や空間作りにはこだわりがあるだろうし、センスもあるだろう。

彼女がいつ自分の部屋に来てもいいように、すぐにおしゃれな部屋づくりについてネットで検索し始めた。夢中で調べていたら、いつの間にか朝になり出社時刻が迫っていた。その時、毅は急に名案を思いつく。

「そうだ。一層のこと、インテリアコーディネーターになるのはどうだろうか」

ひょうたんから駒だが、妙案だと思った。

インテリアコーディネーターになれば、自宅をセンスよくすることができるうえに、インテリア会社に勤める彼女と知り合うことができるかもしれない。

一念発起した毅の行動は早かった。

その日、出社と同時に退職願を出し、昼にはその道の著名人にSNSを通じて連絡を取っていた。

夜には返信が来て、「空間プロデューサー」という肩書きの篠原由紀男と会うことになり、翌日には弟子入りを認められた。

なんでも由紀男のアシスタントが辞めたばかりで、新たな人材を探そうとしていたところらしい。

すべての事象が、タイミングよく進んでいる。

― やっぱり、神様が味方してくれている。俺とあの人は付き合う運命なんだ。

毅はそれからの2年間、由紀男のもとでひたむきにインテリアについて勉強した。

いつの間にか、里紗のYouTubeの動画はネット上から消えていた。残念ではあるが、彼女の職場を把握しているから気にする必要はない。

インテリアに関する知識に自信がつき、由紀男の信頼も得てコーディネートや空間プロデュースの仕事も一部を任せてもらうようになった頃、由紀男のデスクで、ある名刺を発見する。

なんと、里紗が勤めるインテリア会社の男性営業本部長の名刺だったのだ。


毅は、里紗と仕事ができるチャンスを逃したくなくて、このあと驚きの行動にでる…

それとなく聞けば、そのインテリア会社から新店舗の空間プロデュースの依頼が由紀男のもとに届いたが、条件が合わずに断ったという。

毅は怒りを覚えた。

― なんてことをしてくれたんだ…。せっかくあの人と知り合いになれるチャンスだったのに…!

由紀男は、毅の異変を察したのか「どうした?何か不満があるのか?」と聞いてきたが、彼の呑気な態度が毅をさらに怒らせた。

「あの会社は素晴らしい会社です。先生は仕事を受けるべきです」

弟子入りして初めて師匠に抗弁した瞬間だった。由紀男の顔色が一変したのはわかったが、毅は感情が抑えきれなかった。

「今からでも、あの会社の仕事を受けてください!」

「お前は、何を言ってる!?」

由紀男は怒声を発したが、毅はひるまなかった。

仕事を「受ける」「受けない」の押し問答が始まり、最終的には怒号や恫喝の応酬となり、毅は当然のように由紀男のアシスタントをクビになった。

― でも願ったり叶ったりだ。

毅は、これを機に一本立ちすることにした。

すぐに里紗の勤務先であるインテリア会社に営業をかけ、新店舗の空間プロデュースの仕事を得た。由紀男にあえなく断られた営業本部長は、毅が彼の元アシスタントだと知ると渡りに船とばかりにオファーしてきたのだ。

― やっとの思いでここまで来た。あとは担当者に気に入られて、あの人との仲を取り持ってもらおう。

そんな考えで臨んだ打ち合わせで、毅は度肝を抜かれる。

「今回新店舗のデザインを担当する森田里紗です。よろしくお願いいたします」

なんというサプライズだろう。担当者は里紗だったのだ。

このとき毅は、2年も恋焦がれていた女性の本名を、初めて知った。

― 里紗さん、あなたは2年前、表参道で見かけたときよりも美しい。

毅は心でそう呟いた。

印象は2年前と変わらず、凛としたキャリアウーマンだが、少しふっくらしたのか優しい雰囲気もプラスされている。

それに、仕事の話になれば里紗の熱意はすさまじく、本当に魅力たっぷりの女性だと再確認した。

そこからはもう止まらない。

フルネームの「森田里紗」で調べれば、情報は無限に出てくる。

SNSはすべて遡り、彼女のフォローしている人や、フォロワーのアカウントにも飛んで情報を集める。

新居に代々木公園を選んだのは、里紗と付き合ったときのことをイメージしたからだ。彼女が毅の家に泊まった翌日、代々木公園なら表参道にある彼女の職場まで通いやすいだろうと考えた。

里紗のインテリアの趣味をSNSから割り出し、彼女好みの部屋を作りこんだ。

SNSから里紗の元カレらしき人物も見つけたが、過去のことだから気にはならなかった。むしろ彼女のタイプがわかってラッキーだと考え、毅はその元カレのように髪を染め肌を陽に焼きファッションを真似た。

里紗の情報を集めることに何の罪悪感もなかった。すべては彼女との距離を縮めるため、彼女に好かれる男になるためだから。

毅の努力が実を結んだのか、ある日の打ち合わせで里紗は会うなり尋ねてきた。

「…榊原さん、少しお痩せになりました?」

毅は照れたように頭を掻く。

「そう見えます?実は体力作りのためにキックボクシングを始めまして」

顔には出さなかったものの、毅の心臓は破裂しそうなほどドキドキしていた。

SNSで里紗がキックボクシングに興味を持っていることを知っていた毅は、先回りしてキックボクシングのジムに通い始めていたのだ。

里紗との打ち合わせの度にキックボクシングの道具を持参して、そのことに気づいてもらおうとしていた。しかし、里紗は毅の体型が変わったことで気づいくれたのだ。

― 里紗さんは、俺の持ち物ではなく俺自身を見てくれている!

その事実がたまらなく嬉しくて、幸せな気持ちになる。

「そうなんですね!実は私もダイエットのためにキックボクシングに通いたいと思っていたんです!」

「森田さんは今のままで十分魅力的なのに、ダイエットを考えてるんですか?」

2年も恋焦がれた人が目の前にいて、自分だけに、プライベートな話をしてくれる。毅は天にも昇る心地だった。

「そうなんです。だから経験者のお話が聞きたいなと思って」

「では打ち合わせが終わったら、その話もしましょう」

「はい!」

打ち合わせはいつも通りスムーズに終わり、その後は雑談をした。

毅の通っているジムの話に始まり、休日の過ごし方や里紗の趣味が料理だということ。「料理が好き」と少し恥ずかしそうに語る里紗に「知っている、それで好きになったんだ」と言いたかったが、我慢した。

自分の不用意な一言で里紗との関係を壊したくなかったから、無難な言葉を選んだ。

「料理がお好きなら、運動と並行すればダイエットなんて簡単だと思いますよ」

キックボクシングをきっかけに、里紗との距離は急激に縮まった。

― 俺と彼女は、結ばれる運命にある。

3年前YouTubeで彼女を見かけたときに、描いたとおりの未来が今まさに現実となっている。





「これが俺の思い出だよ。里紗をどれだけ愛してるか、伝わった?」

毅の声には自信と興奮が入り混じっている。

夕食時、里紗は勇気を振り絞って「毅さんはストーカーなの?」と尋ねた。その答えが、この長い話だった。

「もう1回言うよ。俺はただ里紗を愛してるだけなんだ。それを他人からストーカーだって言われることが信じられない」

里紗の全身に鳥肌が立つ。

愛する夫が発した言葉に、そんな反応が出る自分が信じられなかった。

― ううん。ちがう。

開き直って平然とストーカー行為を認めた夫が信じられないのだ。

― この人は何を言ってるの?

目の前にいる毅が、得体の知れない生物に思えてくる。

SNSで話題の料理教室の経営者と、新進気鋭の空間プロデューサー。

周囲から羨望の眼差しを受けている夫婦とは思えない今夜の会話は、終わりの始まりなのかもしれない。


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毅の開き直りに対して、里紗が取った決意の行動とは…。