輝かしい経歴に、人も羨むようなステータス。そして、安定した恋の相手。

「完璧」に彩られた人生を、決して踏み外すことなく、まっすぐに歩いてきた。

…彼と出会うまでは。

地位もない。名誉もない。高収入でもない。

自由以外に何も持たない男とどうしようもなく激しい恋をした時、迷う女は、平坦な道と困難な道の、どちらの道を選ぶのか。

もし、明日が世界のおわりの日だとしたら─

◆これまでのあらすじ

恋人・直人と少し距離をとり、塁と急接近した真衣。ひたすら塁とのデートを楽しんでいたが、ある日、直人が女性と2人で歩いているところを目撃する…。

▶前回:優しい彼氏に「頭を冷やせ」と突き放された女。会社を毎週休むほどハマってしまったこととは



―2019年5月―

「家族で、ハワイ一週間行ってきたのよ。これ、写真!」

母親の誕生日に合わせて実家に帰ると、姉がスマホを見せてきた。姉は開業医と結婚し、2人の子供と幸せな家庭を築いている。

ハレクラニで5泊したという家族旅行の写真は、どこを切り取っても完璧な幸せが滲み出ている感じがした。

「うわ〜、素敵。楽しそう…」

つい出てきたその言葉に、嘘はなかった。

私は今、お金がなくても塁と一緒にいるだけで心から幸せを感じられている。その気持ちにも嘘はないけれど…。

自分が育ってきたみたいな、経済的に何不自由ない幸せな家庭を築きたい。そうも願っているから。

そんな私の気持ちを察したかのように、直人から久々にメッセージが届いた。その内容に、私の心がぐらりと揺れ動く。


直人からのメッセージ。そして、真衣の決断は…

直人の部屋にくるのは、ホワイトデーのあの日以来だった。2ヶ月しかたっていないというのに、その風景に強い懐かしさを覚える。

手入れの行き届いた、広くて清潔感のある部屋。不思議な安心感があった。



<直人:そろそろ、真剣に話し合いたい>

直人からそんなメッセージが届き、今日この話し合いの場が設けられた。正直、もっともっと、この問題に向き合うのを後ろ倒したかった。けれど、直人の文から真剣さを感じとってしまった私には、応じる以外の選択肢はなかった。

「直人、なんか久しぶりだね…」
「久々だな。真衣、ちょっと太ったか?」
「そう?そんなことないと思うけど…」

確かに、夜遅くまでお酒を飲む日が格段に増えた。言われてみれば、いつものスキニーパンツが心なしかきつく感じる。塁との生活が、この体に変化をもたらしているのかもしれない。

「真衣。ちゃんと頭冷やしてくれたか?」

直人はなにかを取り繕うことなく、単刀直入に本題に入る。私も、アイスブレーク的な世間話は嫌いだ。けれど、今日はそれがズンっと心に重くのしかかる。

「…その前に直人、この前、恵比寿で誰か女の人と一緒にいた?…もしかして春香?」
「あぁ、飲みに行ったよ。真衣のこともちょっと相談したよ…」

あの夜、直人の隣を歩いていたのは、どうみても親友の春香だった。
私が偉そうなことを言える立場じゃないのはわかっている。けれど、本題に入りたくなくて、どうしても話題を逸らしてしまう。

「それだけ?」
「疑っているのか?」
「そんなんじゃないけど…」

だけど、いつまでも逃げられるわけじゃないのも、わかっている。

「春香とは何もない。これ以上この件について話すことはない。それより、真衣。これから、どうしたい?」
「…」
「真衣も今年で30歳だろ。刺激はないかもしれないけど、そろそろ、安定した幸せを求めてもいい頃だろ。…俺と、別れたいのか?」
「…別れたいわけじゃない…」

正直な気持ちを伝えることが、逆に不誠実になるなんて。初めてのことだ。

本当は自分でも、どうしたいのかよくわからない。恋愛中特有の、脳内麻薬にやられている最中で、正常な判断なんてできるわけがない。

けれど、まだ結論が出せていない中で別れる判断をするべきじゃない。使い物にならないながらも、脳がまるで何かの警報のように、そんな考えだけを頭の中で鳴り響かせていた。

「わかった。そう言ってくれて嬉しいよ」

自分が発した言葉に何の温度も宿っていないのがわかったし、直人からの返事もどこか冷酷に響いた気がした。

直人は肩の荷が下りたのか、思い通りの回答を得られた喜びからなのか、ソファに深く座り直し、ネクタイを緩めリラックスしはじめた。

それと対照的に、なぜか私の心は重い鉛のように沈んでいく。

「明日、仕事早いから、今日はもう帰るね」
「おう、そうか。また週末、ごはんでも行こう」

私はそうそうにその場を切り上げた。

直人がマンションのエントランスまで見送ってくれるなか、私の頭はもう別のことでいっぱいだった。


それでも、塁と会うことはやめられず…。そして、塁に女の影が…

まだ、どことなく気まずい空気感を引きずる私たちは、エントランスまで無言で歩いた。カツカツとヒールの鳴る音が響き渡る。直人の家には何度も来ているはずなのに、その音に、このときはじめて天井の高さを知った。

「また、連絡する」
「うん、また」

そう言って手を振る直人に、笑顔を張り付け手を振り返す。いつのまにか、その場をうまいことやりすごす術を身に着けていたらしい。

明日、特段仕事が早いわけでもない私は、はやる気持ちを抑えながらタクシーを止め、恵比寿に向かった。もちろん行先は塁のバー。

とにかく、このどんよりした気持ちを塁に晴らしてもらいたかった。たとえ、それが刹那的なものでも…。



タクシーの車窓から流れる景色を眺めながら、塁と深い関係になった頃を思い起こしていた。

塁のバーで、ふいうちでキスをされた、あの夜のことをー。

そういえば、あのあとすぐ、直人と距離を取り始めた。塁と恋人のような濃密な時間を過ごしていても、“今は直人と距離をとっている時期だから”自分にそう言い聞かせることで、心は少し軽くなっていた。

けれど、直人との関係を修復しようとしているいま、そんな免罪符はもうどこにもない。

でも、浮気とか二股とか、そんなものを自分が器用にこなせるとは思えない。仮にうまいこと2人の間を行き来でする術を身に着けたとしても、いつかはどちらかを選ばなくてはいけない。

それなのに、私はまだ結論を出せていないし、塁に会いたい気持ちを抑えられない。それなのに、直人との関係は修復する選択をしたわけで…。

いま自分が陥っている状況について、まるで他人事のように分析しながら落ち込んでいく。

そんな、留まることのない思考のループが脳内を巡り始めたころ、目的地に到着し、私の思考も一旦ストップした。

― とにかく、はやく塁に会いたい!

そんな一心で扉を開けたのだが、そこには私をさらに混乱させる情景が広がっていた。

また、いたのだ。あの女がー。



それだけじゃない。カランと鐘が鳴った瞬間に、塁は慌てたようにバーカウンターから体を離し、女も何かを取り繕うように、グラスを手にした。

2人はいま、何かしていた。女の勘がそう告げる。

何より、なにか気まずいような空気が、この場に漂いつづけている。そこまで恋愛経験が豊富じゃない私でも、それくらいわかってしまう。

「あの…、塁とどういう関係なんですか?」

反射的にそんな言葉が口をついて出ていた。その言葉には、直人に“別れたくない”と告げた時とはまるで違う、熱がほとばしっていることがわかった。

「あなたには関係ないでしょ」

「関係あります」

自分の意志とは関係ないところで、勝手に口が動いている。そんな感覚だった。私には恋人がいて、塁にそのことを伝えていない。そもそも、塁と付き合っているかどうかもよくわからない。この女の言う通り、私には関係ないのかもしれない…。

「だったら、あなたは直人っていう恋人とは別れるの?」

「…え?」

― なんで、この女が直人の名前を知っているの…。

「おい、直美。もういい加減やめてくれ、今日は閉店だ」

「塁もお人好しね」

塁が間に入り、この直美という女との口論は一旦終わった。けれど、“直人”や“恋人”という言葉がでても、塁は一切動じなかった。

塁は、何をどこまで知っているのか。この女は、塁とどういう関係なのか。

私の脳内では処理できず、また再び無限ループの思考の渦がぐるぐると回り始めた。


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塁が、真衣に隠していたこと。そして、女の正体…。