結婚しても子どもを持たないという選択は、もう特別なものでもない。

“2人”が、家族のかたち。

明るい未来を信じて、そう決断する夫婦も多い。

それでも…悪気のないプレッシャーや、風当たりの強さに、気持ちがかき乱されることがある。

これは、3人の女が「夫婦、2人で生きていく」と決めるまでの、

選択と、葛藤と、幸せの物語。

◆これまでのあらすじ

高校の同窓会に参加した美菜は、同級生たちに浴びせられる「どうしてそんなおじさんと結婚したの?まさか金目当て?」という言葉に傷ついていた。そんな美菜を慰めてくれたのは、当時付き合っていた元彼の光だったが…

▶前回:「あんたの旦那、○○なんでしょ?」久々の同窓会で新婚妻に浴びせられた、失礼すぎる言葉とは



― 美菜。ステージの真ん中でスポットライトを浴びて踊ることができるのは、選ばれた人だけよ。あなたにもできる。ママによく似ているから。

― 美菜もママみたいなプリマになりたい。

夢の中の自分は、いつのまにか高校生になっている。そして、目の前にいる当時最愛の恋人の光に向かって言うのだ。

― 私ね、いつか光と結婚して子どもを産むのが夢なんだ。うちのママは厳しいけど、私は優しいお母さんになるよ。それでやっぱり、子どもにはバレリーナになってほしい。親子3代でプリマになるのが夢なの。

温かい涙が頬を伝い、目を覚ます。隣で篤彦が寝息を立てているのを確認してから、美菜はスマホに手を伸ばした。

光とのやりとりは、あの日以来続いていた。LINEを開き、送られてきた写真を見つめる。卒業アルバムの寄せ書きにあった将来の夢にはこう書かれていた。

― いつかママになって、子どもと一緒にバレエを踊ること。

過去の自分の夢を踏みにじったんだと、美菜は胸を痛める。そして、光から来ていた新しいメッセージを見て、美菜の息は止まりそうになった。


元彼に告げられた予期せぬ言葉に、美菜は…

『やっぱり美菜の旦那さんが、本当に美菜のことを愛しているとは思えない。20歳も年下の女性と恋愛するって俺には想像つかないよ。目を覚まして欲しい。俺はいつまでも待つから』

たしかに、高校生のときは「光とずっと一緒にいたい。結婚して優しいママになる」と、幼い夢を描いていた。

あの同窓会の日、光に頼って泣きついたのも事実だ。懐かしい相手に心も開くことができたし、安心感もあった。

でも、結局光も、他の同級生たちと同じだった。

そのことが美菜はたまらなく悲しかった。



光のことを信用しているからこそ、誤解を解きたい。大切な思い出の人だから、理解して欲しい。

そう強く思った美菜は、たまたま休みだった翌日の夕方、光に電話をした。

『美菜?電話くれると思ってたよ。俺悩んだんだけど、伝えようと思って。美菜には旦那さんと結婚する目的があったのかもしれないけど…』

「目的…?何言ってるの?」

『俺も、仕事が軌道に乗ってるんだ。だから…美菜に告白したい』

「ごめん。全然意味がわからない」

『旦那さんは美菜の若さが目当てで、美菜は、スタジオの出資者が必要ってことだよ。同級生たちも、みんな心配してただろ?やっぱり耳を傾けた方が良い』

光は、「あの同窓会の日は、傷ついた美菜に話を合わせていたけれど、本心ではなかった。もし自分の言葉が響かないなら、それは洗脳されてるんだ」と、言い放った。

「私はお金目当て。夫は体目当ての夫婦だって言ってるの?」

美菜の言葉は震え、胸が握りつぶされるように痛む。

『…まあ、そういうことだよ。それに、向こうはバツイチ子持ち。歳も歳だし、とても子どもは望めないだろう。美菜は子供が欲しいって…』

それ以上、光の言葉を聞きつづけることはできなかった。通話終了のボタンを押し、そして思考を止めたまま、美菜は震える手でLINEをブロックする。

そのときだった。玄関のドアが開く音とともに、聞き慣れた声が背後に響く。

「ただいま。今日、打ち合わせがなくなったから、早く帰ってきたよ」

「篤彦さん!」

篤彦は急に泣きついていた美菜の様子に驚きの声をあげる。

「どうした?」

「私…、この前同窓会で元彼に会ったの」



「そうかそうか。懐かしい話できたならよかったよ。でも何年ぶりの再会でも、まだおじさんにはなってないんだもんな。俺たちの同窓会とはわけが違う。若いって羨ましいよ」

篤彦は自嘲的なことを言いながらも明るい笑い声を上げた。

美菜の目が潤んでいるのを見て、篤彦があえて朗らかに接してくれているのは明らかだった。軽く美菜を抱き寄せて、背中にポンポンと手を当てる。

「元彼にも同級生にも、篤彦さんは体目当て。私は金当てだって言われた。それが悔しいよ。…周りからそんなふうに思われてること自体、篤彦さんに申し訳ないし。こんな話、篤彦さんにはしちゃいけないのに、ごめんなさい。耐えられなくて」

篤彦は、美菜の背中をさすりながら「辛かったね」と声をかけた。

「他人のことなんて気にするなっていうのは簡単だけど、気になるよな。まだ新婚ホヤホヤなのに祝福してもらえないなんて、悲しいことだよ。美菜が傷ついても当然だ」

美菜をソファーに座らせると、篤彦は美菜の手を両手で包み込んだ。そして寂しそうに目を細めて、

「俺も申し訳ないよ。俺が、美菜と同世代だったら、そんなこと言われなかったもんな。せめて10歳の年の差だったら…」

ぐずぐずと黙り込んでいた美菜は、篤彦の言葉を聞いて慌てて顔を上げた。

「そんなことない!篤彦さんが20歳も年上なのは大事なことだよ!人生経験豊富なのも、傷ついた経験があるのも、昔子育てしたパパだったことも、全部ひっくるめて篤彦さんでしょ。シワも、シミも、白髪もある篤彦さんが好き!」

美菜は自分の発言がそれなりに無礼なことに気づき、ハッとする。篤彦も驚いて目を見開くと、2人で吹き出して大笑いした。

「筋トレに食事制限に、最近は化粧水だって買ったんだ。これでも若作り頑張ってるんだけどなあ。美菜まで俺のことおじさん扱いか」

「ダメダメ。篤彦さんの魅力がバレちゃうから。もっとおじさんになって」

2人はお腹を抱えて大笑いし、ひとしきり笑った頃には美菜の元気も戻った。

すると、今度は篤彦がいつになく真剣な表情で美菜を見つめてこう言った。

「俺も、美菜に伝えてなかったことがあるんだ」

「え…?」


篤彦の突然の告白に美菜は…

篤彦は、少し寂しそうに微笑むと、意を決したように口を開く。

「子供が欲しくないって言う美菜の気持ちに甘えていたよ。正直、俺としてもホッとした部分もあるかもしれない。俺の娘と息子がどう思うかの心配もあるし、生まれてくる子だって、家庭の違う兄妹がいるのは複雑だろ。

それに今から子作り、子育てをして養っていくのも、自分の年齢的にも不安要素だらけだしな」

「篤彦さん、そんなこと考えてたんだ…」

「罪悪感あったよ。美菜は、お母さんのようになりたくない、子どもに辛い思いをさせるかもしれないって思って、子どもを作らない決意をしただろ。それに便乗するみたいで」

美菜は「そんなこと言わないで」とぽつりと言うと、そっと篤彦に寄り添った。お互いの体温を感じながら、夫婦として同じ方向を見ていることを実感した。

お互いを思いながら、気持ちを尊重し合うこと。そして、きちんと伝えること。

改めてその大切さを実感した美菜は、篤彦に代わって会話を続けた。

「篤彦さん。私ね、子どもを持たない決意をしたのは、負の連鎖を断ち切りたいっていうだけじゃないよ。これまで失っていた自分の人生を、篤彦さんと一緒に歩みたい。そのためには、夫婦、2人がいい」

「わかったよ。その代わり、気持ちが変化することも恐れないで。もし子供が欲しくなっても、気持ちを押し込めず必ず相談してくれよ。一つ言えるのは、もし子どもを産んでも、美菜なら負の連鎖を断ち切ることができる。美菜は強くて優しくて、潔い人間だ」

「篤彦さん…」

「美菜が子どもを持たない決意を尊重する。でも、どうか過去にはとらわれないでくれ。2人で、前を向こう」

美菜が篤彦の首に飛びつくと、篤彦はとても穏やかな声で言った。

「美菜のお母さんも家族だけど、俺も家族だ。自分で選んだ家族と、そうでない家族。どっちを信用する?」

「もちろん、自分で選んだ篤彦さんだよ」

そして美菜は、突然篤彦から体を離すと、唐突に言った。

「ねえ!篤彦さん。引っ越そう!」

「え?どうした。急に」

「だって、篤彦さん、夫婦2人暮らしなんだから毎年引っ越したっていいって言ったよね」

「言ったけど…。もっと広い家がいいのか?それとも新築とか?」

「ううん。もっと狭い家がいい。ずーっとくっついていたいし」

篤彦は苦笑いするも、どうしても嬉しさがにじみ出てしまうようだった。

「あと私、勉強始めようと思って。気分転換」

「勉強ってなんの?」

「介護の資格取ろうかな」

「介護?俺の?いくらなんでも気が早すぎる」

「人生何があるかわからないんだから、早すぎるってことはないよ」

そう。人生は何があるかわからない。全てを捧げたのに失った夢と、自ら手に入れた夢。

「それとね、新しい夢があるの」

心も体もボロボロのときにピラティスに出会い救われた美菜は、この経験と知識を介護の場でも活かせるのではないかと、ふと考える。

「篤彦さん、ピラティスは体に自由が効かなくてもできるのよ。だから、お年寄りや身体が不自由な人の健康をピラティスで守れるんじゃないかな。そもそも、元は傷ついた兵士がリハビリとして…」

「お。美菜先生のありがたい講義がはじまった。よーし。年長者としてリハビリの実験台になりますか」

2人はレッスン開始といわんばかりに床に寝転ぶと、頬をくっつけ合って笑う。

家族構成、夫婦2人。美菜はその幸せを噛みしめる。



「え?美菜先生が介護の資格を?」

「いずれ、ピラティスを通してスタジオ以外でもそういう活動をしていければいいなって夢があるんです」

レッスンの合間の雑談中に、生徒である建築士の岡田真琴とそんな話をする。

「介護車両が横付けできて、車椅子のままレッスン場に入れるようなバリアフリーのスタジオを建てるのが夢なんです」

無邪気に声を弾ませる美菜の顔を見て、真琴もつられて顔をほころばせた。美菜の生徒とはいえ、真琴の年齢は美菜より7つ年上の34歳だ。美菜の若さ溢れるかわいらしさに、まるで妹のような可愛らしさを感じていた。

「美菜先生、すてき。そのときは、ぜひ私におまかせください。先生の理想通りの夢のスタジオ作りますよ〜!」

「真琴さんに設計を依頼できたら、本当に頼もしいです!夢が広がりますね」

「託児所つきのスタジオってどうですか?そしたら、子連れでも気兼ねなくレッスンに来れますよね」

「わぁ!それ、最高ですね。さすが真琴さん」

美菜の理想のスタジオを、真琴も想像する。バリアフリーで車椅子が入れるスタジオには、お年寄りがいて、子育てに忙しいママ世代も集まり、小さな子どもたちの無邪気な笑い声も響き…。

― そのスタジオで、私は…。

自分の将来を思い浮かべた真琴は、締め付けられるような胸の苦しさを感じた。

今、真琴に子どもはいない。

― 来年も、再来年も、きっといない。

結婚して5年、未来が見えない。

暗闇の中をただ1人、真琴だけが手探りしていた。


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34歳の建築家夫婦。妻が抱く違和感とは?