住んでいる街によって、人生は変わり、また人も変わる。

2020年、東京の街は大きく変貌した。

店は閉まり、代わりにフードデリバリーの自転車を頻繁に見かけるようになった。また時差通勤やテレワークが導入され、ラッシュ時の人は減った。

では、東京に住む女の人生は、どう変わったのだろうか? エリア別に、その実態に迫る。

今回は代官山から引っ越した・京子(40)の話。

▶前回:同棲中の彼氏が、1週間家に帰ってこない…。1LDK・家賃24万の部屋で女が感じた限界とは



プライドを捨てて代官山から引っ越した女・京子(40)


「ママ、ママ」

台所に立ちながら、娘の楓に足を突かれ、ハッと我にかえった。

「あぁ、ごめん。楓、どうしたの?」
「ママあのね…」

4歳になる楓は、最近おしゃべりが上手になった。

子どもはとても可愛いし、この地球上で最も愛すべき存在だ。目に入れても痛くないほど大切にしているし、最高の宝物だと思う。

…でも、忙しいときに、なにを言っているのか分からない話をされると、最近つい口調がきつくなってしまう。

「ごめん。ママ今ご飯の用意をしているから、向こうでYouTube見ていられる?すぐに行くから」
「ヤダ」
「ヤダじゃなくて…」

今日は仕事が忙しかった。ほかにもやるべきことが、まだたくさん残っている。

洗濯機から洗濯物を取り出し、畳まなければならない。机の上には郵便物も溜まっている。掃除機もかけないといけないし、保育園の書類も書かないといけない。

愕然とする。1人で片付けなければいけないことが、多すぎる。それなのにさっきから、手がまったく動かないのだ。

「もうダメだ…限界…」

台所で、膝から崩れ落ちた。

そしてこんな時に思い出すのは、3ヶ月前にようやく離婚が成立した夫・圭のことだった。


自粛期間によって生じた夫婦の亀裂。一緒にいることでわかった夫との相性

圭とは、 35歳の時に結婚した。デキ婚だった。

楓を授かれたことは運命だと思ったし、ちゃんと責任を取って籍を入れてくれたことにも感謝していた。

代官山在住で経営者の圭は、結婚相手としてはかなりの優良物件。夫婦としてうまくやっていけるはずだ、と信じていた。

生活は何不自由なく、普段は代官山アドレスの『ピーコック』で買い物をし、楓が小さい頃はベビーカーを押しながら、『リストランテ ASO』や『IVY PLACE』で、友人たちとよくランチやお茶をしていた。

「通わせるなら、やっぱりインターよね」
「うちはモンテッソーリ系狙ってる。吉田さんのところは?」
「うちは青学受験に強いところがいいなぁ」

ママ友たちとのランチは、そんな会話ばかり。移動は基本的に車で、生活費やお茶代などはすべて圭のカードで引き落とし。

独身時代よりは飲みに行かなくなったので出費はぐんと減っていたはずだけれど、正直、毎月いくら使っているのかなんて気にしていなかった。

他人から見れば順調満帆そのものだったと思う。ある程度の暮らしに、仲良し家族。

だが実際は、私たちの夫婦関係は破綻していた。

そして追い打ちをかけるかのように、去年1年で夫の在宅時間が増え、夫婦喧嘩が絶えなくなったのだ。



「お前がここまで金銭感覚が狂っているなんて、知らなかったよ」
「はぁ?家事も育児もしているの、私だし。そんな微々たる額で怒らないでよ」
「ちょっとは働けば?家に1日中いるようになって、お前が普段どんな生活しているのかよくわかったよ」

最初はこんな諍いから始まり、そのうちお互いの存在が鬱陶しくなっていった。

薄っすら気づいてはいた。結婚生活1年目を迎えるあたりから、何かがかみ合わないことに。

でも私たちには楓がいるし、そもそも彼は出張が多くてほとんど家にいなかったので、かろうじて“夫婦”としてやっていた。

だが同じ屋根の下で一緒に時間を共有すればするほど、喧嘩が増えるばかり。価値観も違えば、育ってきた環境も、目指す家庭像も違う。趣味も話も合わない。

そこにいるだけでも嫌だし、視界に入るとイライラする。それは向こうも同じだったようで、最後は“生理的に本当に無理”とまで言われてしまった。

結局私は楓と家を出た。その後紆余曲折を経て、ようやく離婚が成立したのだ。

早く離婚したいと思っていたが、現実は甘くない。ワンオペ育児は想像以上に大変で、父親としての役割まで果たすのは厳しかった。

娘に寂しい思いだけは絶対にさせぬように、死ぬ気で頑張ろうと思っていたのに…。

離婚調停中から仕事を再開したことに加えて、保育園送迎もひとりでこなさなければならない。家事もひとり。育児もひとり。病気にもなれないし、休んでもいられない。

周りから哀れんだ目で見られるのだけは絶対に嫌だったし、なんとしてでも、この生活を死守したかった。

でも、もう限界だった。

夫が出て行った後も住んでいた、代官山の家賃30万の部屋。それなりの養育費をもらっていたから、なんとかやっていけるはずと思っていたけれど、その見込みは早々に打ち砕かれた。

ひとりで頑張れる限界は、いつの間にかとっくに超していたようだ。


限界を迎えた女が、たどり着いた意外な場所とは…?

実家に舞い戻った女。ずっと嫌いだった地元で見つけた幸せとは


「はぁ…」

山積みの引っ越しの段ボールを見て、大きなため息が出てきた。

結局私には、台東区の浅草橋にある実家に戻る、という選択肢しか残っていなかった。

こうなることだけは、どうしても避けたかった。

というのも元々圭との結婚に大反対されており、楓が産まれてから両親とは疎遠になっていたのだ。

何より、私は地元があまり好きではなかった。

東京23区なのに、まったく主役になれない街。渋谷区や港区と違って生活感が滲み出ている。 道路も狭くて自転車人口が多いし、お洒落な店よりも呑み屋のほうが多い。

地元の友達は早々に結婚し、夕方から誰かの家やガレージに集い、お酒を飲んでいる。

— 私は、こんなところには属さない。そういう部類の人間じゃないから。

濃すぎる人間関係と、生活臭が漂う地元が大嫌いだった(浅草よりもさらに浅草橋は地元感がすごくて、「出身はどこ?」と聞かれると答えを濁していたくらい、地元に対して愛着はなかった)。

だが…どうしてだろうか?

1番戻って来たくなかった場所のはずなのに、この街に降り立った途端に、 どこかホッとしたのだ。

デザイン性の高い自転車や電動自転車ではなく、普通のママチャリに乗って、近所の『ハナマサ』へ買い物に行く人たち。家のそばの細い道路で遊んでいる子どもたち。小さな居酒屋がごちゃごちゃと立ち並ぶ駅前。そして昔と何も変わらぬ、問屋街。その一角にある、私の実家。

「ただいまぁ」
「おかえり。楓ちゃん、いらっちゃい。京子も、早く手を洗ってらっしゃい」

実家の狭い玄関を開けると、母が変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。

懐かしい、実家の匂い。少し歳をとった、父と母。2人の顔を見た途端に、今までずっと我慢していたものがこみ上げてきて、思わず声をあげて泣いてしまった。



「お母さん。明日保育園の見学に行くんだけど、一緒に来る?」
「明日はお店があるから無理よ。そういえば、隣の佐々木さんのところのお孫さんも、同じ年くらいじゃなかった?」
「そうなの?」
「この辺の保育園事情、詳しいと思うから明日聞いておくわ」

久しぶりに、母と会った。気がつけば背中は小さくなり、顔のシワも増えている。港区界隈にいるようなマダムたちとは正反対の母。

「そうだ。楓ちゃんの送り迎え、父さんも行きたいって。あと日中はお店に連れて行って遊ばせてあげることもできるから」

実家のダイニングテーブルに並ぶのは煮物や揚げ物など、私が一生懸命作っていた見た目重視の食事とは正反対のものばかり。

ガチガチになっていた心がゆっくりと溶けていく。私は以前の贅沢な暮らしのなかで、重い鎧のようなものを身に着けていたようだ。

「ありがとう。すごく助かる。こんな娘でごめんね」
「何言ってんのよ。あのね、母親にとって、娘は何歳になっても可愛い娘なのよ。それに、むしろ可愛い孫と一緒に暮らせて嬉しいよ」

家のすぐ近くには、少し濁った隅田川が流れている。

でも、今の私には表面だけ取り繕った綺麗な場所よりも、リアルな人情味が溢れている、下町のほうがあっているのかもしれない。

— もう着飾らなくていい。周りの目なんて気にせず、これからは自分と、楓の幸せだけを考えよう。

そう心に誓いながら、翌日私は自転車を走らせた。

もうすぐ、夏が来る。その前に、私はこの街にきっと馴染んでいるだろう…。


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