輝かしい経歴に、人も羨むようなステータス。そして、安定した恋の相手。

「完璧」に彩られた人生を、決して踏み外すことなく、まっすぐに歩いてきた。

…彼と出会うまでは。

地位もない。名誉もない。高収入でもない。

自由以外に何も持たない男とどうしようもなく激しい恋をした時、迷う女は、平坦な道と困難な道の、どちらの道を選ぶのか。

もし、明日が世界のおわりの日だとしたら─

◆これまでのあらすじ

真衣は直人と別れ、塁と一緒になることを決意。けれど、直人は別れをすんなり受け入れようとせず、そして、塁が姿を消してしまった…。

▶前回:「彼氏より好き…」二股関係を終わらせようとした女。的中した嫌な予感とは



―2019年5月―

新緑が美しい季節へと移ろい、カラッとした気持ち良い晴天が続く。けれど、そんな明るさを、今の私はむしろプレッシャーに感じる。

虚無感、喪失感、そして、絶望。

今の心模様を表現できるのは、そんな言葉たちだろうか。

塁が忽然と姿を消し、1週間が経過したのだ。

『真衣:塁、どうしたの?心配しています。』

『真衣:私、何か悪いことでもした?嫌なとこがあったら直すから教えて…』

『真衣:どうしても会いたいよ…、塁!ねえ、どうしたの?』

ずっと続いていたキャッチボールは、突然に私の独り言に変わり、LINEのトークルームにぷかぷかと浮かび続ける。

けれど、このときは夢にも思わなかった。塁があんなことを考えていたなんて…。そして、塁があんな手段で連絡をとってくるなんて…。


塁は何を考えていたのか、そして今、どこにいるのか…

その週末、直人との別れ話の続きをするために、私は再び直人の部屋を訪れていた。

「真衣とは別れたくない。本当に好きなんだよ…」

「…」

「真衣?」

塁と連絡が取れなくなったからといって、直人との別れ話を取り消すつもりはない。というより、どうしたらいいか頭が回らない。それが正直なところだった。

とにかく今は、塁がどこにいるのか、何を考えているのか、そのことで頭がいっぱいなのだ。

けれど、直人とは週末に話し合いの続きをすると約束をしていた。他に予定もないし、義務感だけを原動力に、とりあえず自分の体をここまで運んだだけ。

でも、直人はすぐに何かを察したようだった。

「どうした?真衣…」

「…大丈夫」

自分でも驚くほどに、その声は震え、か弱い。

「真衣、少し痩せたんじゃないか?」

「…」

確かに、最後にいつ固形物を口に運んだか記憶がない。食欲というものが、この体から一切消え失せていた。

「…塁のことで何かあったのか?」

その言葉に、なぜか涙が溢れそうになる。でも、塁と連絡が取れないという理由で、私がここで泣き崩れるのは、直人に申し訳なさすぎる。

仮にも、今はまだ直人が恋人という立場なわけで…。

と、考えはじめたときにはもう遅かった。頬に何か伝った感覚を覚えた。





それから、さらに1か月がたった。未だに、塁から連絡がくることはない。徐々に現実を受け入れはじめてはいるものの、喪失感は果てしない。

けれど、直人は優しかった。

塁と私の関係に変化があったということを、直人は察したのだろう。直人は、傷つき憔悴しきった私をいたわってくれた。私の家でごはんを作ってくれることもあったし、無理やり外に連れ出し、散歩したりもした。

…そして次第に、別れ話をすることはなくなった。

塁と連絡が取れなくなったから、直人を選ぼうなんていう打算があったわけじゃない。直人が私に愛想を尽かしてもしょうがないと思っていた。けれど、私と直人は徐々に、恋人同士という関係に戻っていった。

傍から見たら、ずるい女に映るだろうか。

けれど、ただただ、今後のことを考える気力がなかった。そして、直人の好意を拒否する理由もなかった。だから、流されるがままに、今までの日常に戻った。

それが、実際のところだった。


ついに、塁からの連絡がくる。そのとき、真衣は…

あのときようやく決心したのだ。直人と別れて、塁に思いを告げようと。きっと、春香にも両親にも、私をとりまく周囲の人間みなに反対されるだろう、決断。

そして、その思いを告げるために、意を決して彼に連絡をしたのに…。

そのメッセージを最後に、彼との連絡が途絶えた。

なんという皮肉だろう。神様がいるのならば、いたずらをしているとしか思えない。私の決断は間違っていたとでも言いたいのだろうか?

1か月たった今でも、同じことを永遠に考え続けてしまう。

「ほら、真衣。ちゃんと栄養あるもの食べなきゃ」

ある日、疲弊する私に、直人は私の好物のオムライスを作ってくれた。

彼からの愛情は痛いほどに伝わってくる。他の男に失恋しているということを知っているのに。その男の元へ行こうと私は一度直人に別れをつげているのに…。

彼はこうして、私に優しい。

…それなのに、私の心は動かなかった。

塁と出会う前の私は、直人と過ごす穏やかな時間を幸せと感じていた。けれど今の私は、それを退屈に感じる。

塁と共に過ごした、あのどうしようもなく幸福な時間は、今考えるとほとんどドラッグ。

あの刺激的な幸福感にひとたび慣れてしまった、そしてそれを常用してしまった私の感覚は、すっかり麻痺していた。

知るって、ものすごく恐ろしいことなのかもしれない。

ふと、鏡に映った私の目はうつろで、本当に中毒患者のように映った。



そして、塁から連絡が途絶えて2か月がたった。さすがに、今までの日常に徐々に戻り、精神状態も回復しつつあったある夜のこと。

仕事から帰宅し、久々に郵便ポストをあけたとき、見慣れない封筒が目についたのだ。



宛先も、差出人も、切手もない。チラシに紛れながらも、真っ白な封筒が一通、何かを訴えかけるようにそこにある。

封がされていないそれを開けると、数枚の便せんが入っていた。手書きでぎっしりと文字が書かれたその紙を広げると、「真衣へ」という文字が視界に入ってきた。

それが何か頭で理解するより先に、心臓がドクンと波打った。これは塁が書いたものだと、なぜだかすぐにわかったから。

一筋の涙が頬を伝った。そして、それは徐々に激しさを増していく。

今まで無意識に抑え込んでいた激しい感情が、体の奥底からぶわっと湧きだしてくる。その感情に素直に従っては、生活が成り立たない。どこかで理性が勝手に抑え込んでいたその感情が、堰を切ってとめどなく溢れてくる。

ほとんど過呼吸になりながら、その手紙を握りしめ、私はなんとか自分の部屋に戻った。

何が書かれているか、怖くて知りたくない。けれど、きっと読まなくてはいけない。パンドラの箱をあけるような恐怖心を覚えながら、私は思い切ってその手紙を読み始めた。

“真衣へ

突然連絡を絶ってごめん。…”

…そして、その先に綴られていた塁の想いに、私の知らなかった事実に、私は胸を締め付けられた。


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