結婚しても子どもを持たないという選択は、もう特別なものでもない。

“2人”が、家族のかたち。

明るい未来を信じて、そう決断する夫婦も多い。

それでも…悪気のないプレッシャーや、風当たりの強さに、気持ちがかき乱されることがある。

これは、3人の女が「夫婦、2人で生きていく」と決めるまでの、

選択と、葛藤と、幸せの物語。

◆これまでのあらすじ

夫の浮気の証拠をおさえるために、興信所に調査を依頼した真琴。すぐに手に入った証拠写真を自宅に残し、真琴は荷物をまとめて実家へ帰った。そこについに夫が訪ねて来て…

▶前回:「私、お母さんに孫を見せられない」母に本音を語り涙する35歳女の絶望



“夫婦間のプライバシー”に関する答えはない。

お互い一切の交友関係に口出ししない夫婦もいれば、スマホを見ることさえ許しあっている夫婦もいる。

正解がない以上、それぞれの夫婦2人が、お互いの意見をぶつけ合い、話し合い、すり合わせて同じ価値観を見出すほかないのだ。

「俺は…」

浮気の証拠写真を突きつけられた樹は厳しい顔つきで言った。

「お互いのプライバシーを尊重するって意味を履き違えていたよ」

その言葉を聞いて、真琴はぐったりとうなだれた。

「悪かった、真琴。申し訳ない。許してくれとは言わないよ。ただ俺がバカだった」

樹は視線を落とし、頭を下げた。

「違う。まだ樹は嘘をついてる」

真琴の声は、震えていた。

「嘘だなんて…。もう、あの女性との関係も隠すつもりもないし、縁も切る。正直に全部話してるつもりだ」

「違う。履き違えてたなんて言うの、卑怯よ。自分が好き勝手に外で恋愛するために、“お互いを尊重する”だなんて、意識高めな大義名分を掲げてただけだよね。この期に及んで、じゃあ仕方ないよって許してもらいたいだけでしょ」

真琴は、しっかりと樹の目を見据えて、言い切った。

「あなたが自分の罪を認めないなら、そしてこれからも変わらないなら、離婚するしかないわ」


樹のひどすぎる言い分とは?

真琴は、準備していた離婚届を差し出した。再構築の願いを込めて、最後の決意だった。

樹は面食らった様子でうなだれたまま、一言も発することはなかった。

「もう、なにも弁解しない。これだけはわかってくれ。真琴のことを、愛しているんだ」

「それなのに、恋人は外に作るの?愛しているのに、指一本触れないの?どれだけ惨めな思いをさせてきたかわかる?」

とめどない思いが、ようやく言葉になって溢れ出す。余裕のある妻として振る舞いたい。みっともない姿を見せたくない。幻滅されたくない。そんな風に自分の心に蓋をし続けていた。

「嘘をついていたのは私も同じだから、謝るわ。私は、同志なんかじゃなくていい。妻として、女として愛されたい。ずっとそう思っていたわ。それが無理なら、離婚しましょう。仕事上では同志でいられると思う。だから同志なのか夫婦なのか、どちらが良いか、あなたの答えを聞かせてほしい」

言葉は重く、悲痛に満ちたものだ。ただ、真琴は心はすっきりと浄化されていくことを感じる。

35歳。家族構成、夫婦2人。今が、決断のときだった。



その後、しばし別居生活は続いた。とはいえもちろん仕事では毎日のように顔を合わせる中で、徐々に心の距離感が縮まっていくのを感じていた。

今日は、間もなく2人目の子が生まれる家族の、大詰めの打ち合わせだ。

「お2人の意見はまとまりましたか?」

樹がそう問いかけると、夫婦は目を合わせて苦笑いをした。

「結局平行線でした。なので…樹さんと真琴さんご夫妻のご意見を参考にさせてください!」

そう夫が言うと、妻が頷きながら続ける。

「建築家夫婦の理想の一軒家って気になります!」

これには思わず樹と真琴も目を合わせてしまう。最初に口を開いたのは、樹だった。

「そうですね。僕は元々1人の空間は大事って言いたくなるタイプの建築家だったんですが…最近はそれもちょっと変わってきまして…」

そこまで言うと、樹はなぜか少し照れくさそうにした。依頼人夫婦も不思議そうに次の言葉を待つ。

「せっかく縁あって家族になったわけですから、ちょっと気乗りしないときでも、1人になりたい日でも、ちょっと強引にでもお互いの存在が感じられるような、そんな空間づくりが理想だなって…だって、家族ですし…」

樹が話せば話すほど、きょとんとした表情の依頼人夫婦だったが、真琴は思わず微笑んでしまう。

「あ…なんか、すみません」

空気を察した樹が慌てて取り繕うが、夫婦は目を合わせて満足そうに頷いた。今度は妻の方が口を開く。

「私たちも、そんな家造りが理想です。喧嘩もするでしょうし、ぎくしゃくする日もあるでしょうけど、やっぱりそれでもお互いの存在を近くで感じていたいですよ。家族ですから」

樹と真琴も大きく頷き、4人は図面に視線を落とした。

帰り道、コインパーキングへ向かう樹に向かって、真琴は言った。

「じゃあ、私、歩いて駅まで行くから」

樹は、穏やかな表情で真琴を引き止めた。

「平塚から都内まで毎日通うの辛いだろ。帰っておいで。…いや、帰ってきてください。話し合おう。これまでも、これからもずっと家族なんだから」

真琴は、とても素直に、その気持ちを受け取ろうと思えた。

「まずは浮気についての謝罪から。話し合いはその後よ」


いよいよ再構築?それとも?

そんなことを言いつつも、樹が差し伸べた手を真琴は取っていた。触れ合う指と指。この温もりすらもう何年も感じていなかったのだ。懐かしくて愛おしくて、胸の奥がジンと熱くなった。

車に乗り込むなり、樹の謝罪の嵐だった。あんなにかっこつけて生きていたくせに、情けない姿だった。

若い女に惚れ込んでしまったことを恥じ、不貞行為を素直に詫び、縁を切ったことを主張し、「君が大切だ」と繰り返した。

悲惨で情けない姿だったが、ようやく人間らしいところを見ることができた気がして、真琴はどこか安心していた。

「一つだけ聞きたいんだけど…。私を抱かなくなったことと、その彼女のこと、関係はある?」

「ないとは言えないよ。不倫している罪悪感で、真琴に触れるのが怖くなったんだ」

あまりにもむちゃくちゃな言い分をもっともらしく言う姿に、真琴は情けなくなって笑ってしまった。

「なんで笑ってるんだよ」

「笑うしかないわよ。情けなくて」

樹は、視線をまっすぐ前に向けて静かに言った。

「…ごめん。俺とやり直してください。これからのことも考えよう。子どものこととかも…」

「まずは、夫婦2人。向き合おう。それが私の望むことだよ。子作りや子育ては、私たちがきちんと夫婦として向き合えてから考えること。きちんと愛し合えるなら、私は家族構成、夫婦2人もいいなって思ってるよ」

樹は真剣な表情で頷き、そのまま心地よい沈黙が続いた。

真琴は、窓の外に目をやりながら、ぽつりと呟いた。

「樹。少し急げる?」

「え?なんで?」

「今日、ピラティスのスタジオ予約してるの」

「ああ。…ってことは、最初から今日は家に戻るつもりだったんだな」

真琴はいたずらっぽい微笑みを見せ、樹もつられて少し笑った。

少しずつ、一歩一歩、本当の夫婦として手を取って歩き出せる。真琴は、流れる景色をぼんやりと見つめながら静かに決意をする。



「あれ?真琴ちゃん、久しぶりだね。仕事忙しかったの?」

スタジオに入るなり声をかけてきたのは、美容皮膚科医の藍子だ。43歳の、いわゆる美魔女。“自分の顔は実験台”と豪語する藍子は、サバサバした性格で人当たりもよく、スタジオの人気者だ。

「実はしばらく実家に帰ってたんです。夫と色々あって」

思わず真琴も、ついつい本当のことを話してしまう。

「あらら。色々あるわよね。すっごく聞きたいけど、聞かないでおく」

藍子の明るい調子に、真琴も救われる。

「藍子さんのところは、本当にご主人と仲良しで羨ましいですよ」

「仲良しっていうか、すでに老夫婦みたいな感じよ。子どももいないのに、子育て終わっちゃったみたいな状態。ま、余生だと思って仲良くやるわ」

藍子はからっと明るい調子で言った。

―そう。今日から夫婦2人きりの余生の、はじまりはじまり。

そう念じる藍子の胸が、少しだけぎゅっと苦しくなる。

夫婦2人で生きる。その覚悟をするのは、一体何度目のことだろう。


▶前回:「私、お母さんに孫を見せられない」母に本音を語り涙する35歳女の絶望

▶NEXT:5月19日 水曜更新予定
藍子が選んだ夫婦2人の物語とは?