29歳。

それは、女にとっての変革の時。

「かわいい」だけで頂点に君臨できた女のヒエラルキーに、革命が起きる時──

恋愛市場で思うがままに勝利してきた梨香子は、29歳の今、それを痛感することになる。

ずっと見下していた女に、まさか追いつかれる日が来るなんて。

追い越される日が来るなんて。

◆これまでのあらすじ

梨香子は、自分の引き立て役として幼馴染の絢を食事会に誘った。かつでは地味だった絢が、妙に色っぽい姿で登場する。そして梨香子は、その食事会でとある男性から食事のお誘いがあったことを絢に報告すると…

▶前回:地味な女友達を、脇役のつもりで食事会に呼んだら…。「この子、いつもと違う」と女が焦った理由



―2019年6月―

その食事会からの帰り道、私は完全に浮き立っていた。

人通りの少ない閑静な住宅街でも、AirPodsで音楽を聴きながら歩けば、ランウェイを歩いているような気分。

智司さんからは、終始熱い視線を感じていた。経験からわかる。間違いなく、彼は私にかなりの好意を抱いている。

そして、同席していた絢は少しあか抜けていた感じがしたけれど、男性陣からは大して興味は持たれていなかったはず。

素敵だと思った男性から送られたサイン。そして、絢に対する優越感。この2つが、私を最高の気分にさせた。

智司さんへのLINEを返すより先に、その気分と勢いに任せて絢に連絡をした。

<梨香子:絢、今日は来てくれてありがとうね!智司さんから、食事誘われちゃった!>

すぐに既読になった絢とのトークルームを見つめながら、どんな賛辞をよこすかと浮かれ歩いていた自分が…今となっては恥ずかしい。

現実は、想像の斜め上から切り込んでくる。


絢が送ってきたメッセージ。そこに記されていた、想定外の事実

絢から送られてきた返信。スマホの中で光る一文に、さっきまで高揚していた気分がぷつりと断ち切られる。

<Aya:え、智司さん既婚者だよ。あの人、結構有名じゃない?>

これだけ殺傷能力を持ち合わせた1行が、他にあるだろうか。

これから始まる恋の予感と、格下の女友達への優越。この2つに酔っていた自分がバカみたいに思えてくる。

―…なんでよ。絢のくせに…。

耳元で鳴る軽快な洋楽とは対照的に、ふつふつと怒りのようなものが湧いてきた。さっきまでランウェイのように映っていた道は、もう、ただの人気のない夜道にしか見えなかった。





次の日になっても、絢からのLINEの一文が頭から離れなかった。

“私の方がモテる”。それを絢に思い起こしてもらうことが、あの会の目的だった。それなのに、私が恥をかくだけで終わってしまった。

絢のLINEも未読にしたまま。

―なんて絢に返信しよう…。

終業時刻間際、トイレの個室に入りながらそんなことを考えていると、後輩の女子社員2人が化粧室に入ってきた気配を感じる。

「今日楽しみだな〜、イケメンいるかな」

「全員イケメンらしいよ」

これから食事会なのだろう。

彼女たちは入社4年目、26歳。数多くいる後輩の中でも可愛いがっている子たちで、私のこともよく慕ってくれている。

むしゃくしゃした気持ちを紛らわせたい。そう思って、彼女たちの雑談に混ぜてもらおうかと個室から出ようとした瞬間―。

体が、まるで凍りついたかのように動けなくなった。

「てかさ…。今日の梨香子さん見た?」

「…見たよ」

ドラマで見たことがあるような、嘘みたいな状況。冷笑を含んだようなその語り口調は、彼女たちの表情をリアルに想像させる。

「梨香子さん、可愛いっちゃ可愛いけど…、30歳手前であんなガーリーな服装ちょっと痛いよね」

自分のテンションを無理やりにでも上げるために合わせた、ピンクのフレアスカートと黄色のアンサンブル。明るい色を身につければ、少しでも気分が上がると思ったから。

「…まあ、痛いと思うところは他にも色々あるけどね」

言わなくても、お互いわかっている。そんな含みを持たせた会話を、彼女たちは続けた。

クスクスと笑い合う声が、だんだんと遠ざかっていく。しばらくして、2人が完全にいなくなったことを確認してから、個室を出た。

ショックだった。慕ってくれていると思っていた子が、私をそんな風に思っていたことに。

けれど、鏡の前で自分の姿を見ると、改めて思う。



―別に、悪くないじゃん。…私、ちゃんと可愛いじゃん。

これだけは自信をもって言える。ルックスは確実に、彼女たちより私のほうが可愛い。確かに、彼女たちより3歳年上で、その分市場価値は下がるかもしれない。

けれど、どんなに若くたって可愛くなきゃ意味がない。少し年を重ねても、可愛いければ愛される。

可愛いからという理由で、やっかみを買ってしまうことは今までも経験があった。彼女たちも、私のルックスを僻んでいるだけなのだろう。

―影でコソコソ言われるのは、可愛い証拠。

そう思うと、少しは気分が晴れる気がした。

彼女たちが振りかけたであろうMiss Diorの香水の香りが蔓延した空間で、鏡に映る自分を見ながら、自分をそう鼓舞した。


悲劇が重なる梨香子に、更なる追い打ちが…

何の予定もなかったその日は、久々に料理でもしようと、明治屋で食材を買って帰った。

花嫁修業なんていう古い言葉は好きじゃないけれど、いつか専業主婦になりたい。料理の腕が落ちないように、こうして時間があるときは自炊するようにしているのだ。

「今日は久々に飲んじゃおうかな…」

ワインとチーズも買い足し、少し上向いた気分で自宅マンションのエレベータホールに到着した、そのときー。

そこには、思わぬ人物が立っていた。



「え、梨香子じゃん!偶然!!」

「…絢?なんでこんなところに…?」

今日は休みだったのだろうか。絢は、ジーンズにスニーカー、Tシャツというラフなスタイルに身を包んでいた。でも、そのラフさが、彼女の華奢さを引き立てているようにも見える。

「前に住んでいたマンションが建て替えで追い出されちゃってさ、今日からここに引っ越してきたの!」

「…そうなんだ。私もここに住んでいるの。…すごい偶然だね」

2人でエレベーターを待ちながら、ふと、絢とのLINEを未読にしたままだったことを思い出したが、遅かった。

「てか梨香子、昨日の話だけど…。もしかして智司さんとデートの約束しちゃった感じ?」

「まさか〜、私も彼が既婚者だって知っていたよ!ごめんね、バタバタして返信できてなくて」

「そうだよね、よかった〜!あの人、結構有名だよね。既婚ってこと隠して食事会来るって」

なぜ、絢がそんな事情を知っているのだろう。そんな情報に精通するほど、食事会に顔を出しているのだろうか…。

晴れない気持ちを抱えながら、2人でエレベーターに乗り込み、私は自分の部屋がある6階のボタンを押した。

「絢、何階?」

そう聞きながら、少し怖くなった。上層階になればなるほど家賃は高くなる。

―まさか、自分より上のフロアに住んでいることはないよね…。

「14階!ありがとう〜」

―…え、最上階?

このマンション、10階以上は私の住んでいるワンルームなどはなく、1LDKか2LDKしかないはず。私の部屋より、家賃はグンと跳ね上がる。

「…オッケー」

絢には、そんな財力がある?私と同い年なのに?私は親に仕送りしてもらって、いっぱいいっぱいの状態でワンルームに住んでるのに?

混乱する頭を必死で鎮めながら、精一杯なんでもない振りをして平常心を保つ。事務作業をするかのように、“14”とかかれたボタンを押した。

でも、またしても心に浮かぶのは、同じ言葉だ。

―なんで、絢が。

自分より上の階に住んでいることも、そんな小さなことを本気で気にしてしまっている自分にも、嫌気がさした。

密室に2人。気まずい沈黙が流れる。いや、気まずいと思っているのは、私だけなのかもしれない。絢はスマホをスクロールしながら、何か考え事をしているようだった。

6階に到着した。

「じゃ、絢またね!」

「うん、また飲もうね〜」

私は一刻も早くその場を立ち去りたくて、絢の顔もまともに見ないまま、自分の部屋へと急いだ。

だから、この時の私は気づかなかった。

絢が、いつまでも手を振りながらこちらをじっと見つめていたことを。

私を見つめるその目に、どんな感情が込められていたのかを…。


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ついに、梨香子が絢に理不尽な怒りをぶつける。しかし…