『嫉妬こそ生きる力だ』

ある作家は、そんな名言を残した。

でも、常に上を目指して戦う東京の女たちに、そんな綺麗事は通用しない。

”嫉妬”。

果てしなくどす黒い感情は、女たちを思いもよらぬところまで突き動かす。

ときに、制御不能な域にまで…。

静かに蠢きはじめる、女の狂気。

覗き見する覚悟は、できましたか?



返り咲きたい女


菜緒の言葉が、耳に焼き付いて離れない。

「彼氏にプロポーズされたの!」

久々に出社したオフィスは閑散としていた。だから、隣の部署で繰り広げられる雑談が耳に入ってきてしまったのだ。

― …菜緒が、結婚?

キーボードを叩く手は、思わず動きを止めた。本当に衝撃を受けると、人は固まるのだと、自分の挙動をもって思い知る。

菜緒はずっとバリバリ働いて、独身のままだと思っていた。どこかで、そうであって欲しいと願っていた。

「あ、梨沙子!今日、出社してたんだ、久々じゃん」

そんな私の願望を知るはずもなく、菜緒はフリーズした私に気づき、一歩ずつ近づいてくる。

…その距離が縮まるごとに、私の中の何かがバランスを崩していく感覚がした。

自分の中に潜んでいたとある感情が、…ずっと前から気づいていたけれど蓋をしていたソレが、じゅわっと身体中に蔓延する。

― …いやだ、菜緒。こっちにこないで…


梨沙子が、菜緒に強い嫉妬心を抱くワケ

菜緒と話したくない。

そんな私の思いは通じることなく、美脚をさらに引き立てるマノロブラニクのピンヒールを履いた菜緒が、私のデスクの前で歩みをとめた。

「…お〜、菜緒じゃん!久々だね〜」

「よかったら、今からランチ行かない?久々に報告したいことも色々あるし」

「あ、ごめん。今日ちょっと打ち合わせパツパツで」

嘘だ。私はそんな大した仕事を任されていない。絶対に、菜緒の方が忙しい。

「そっか、じゃまた今度ね」

からっとした笑顔で、菜緒は去っていき、そのまま部署の人たちとランチに行ってしまった。

堂々としているのに偉そうでもなく、その颯爽とした姿は目を引く。

更に人気がなくなった殺風景なオフィスでひとり、私は大きく深呼吸した。どうにか自分の気持ちをクールダウンさせたかった。



私と菜緒は同期で、入社当初は2人まとめて“りさなお”なんていう愛称で呼ばれるほどの仲だった。

自分で言うのもなんだけど、私たちは結構モテたし、キャリア志向が強いところもよく似ていた。

『バリバリ働いて早く出世して、でも、ちゃんと30歳までにはいい人と結婚しよーね』

そんなことを、よく語り合ったりした。



けれど、入社3年目で私がデキ婚して以来、関係性は徐々に変わっていった。

私はその後も立て続けに第二子を身ごもり、産休育休をフル活用。29歳で職場復帰したのだが、そのときにはもう菜緒は遠い存在になっていたのだ。

最年少でリーダーを任せられ、宣言通り誰よりも早く出世。年上の部下を従える姿は本当に格好よかったし、仕事に打ち込む姿はイキイキしていた。

いつのまにか“都会の女”然とした洗練されたオーラもまとっていて、すっかり“母親”になってしまった私とは、もう別人だった。

「梨沙子、また一緒に働けるの嬉しいよ〜」

それでも菜緒は変わらず私に接してくれたけれど、2人の間にできた溝は深かった。

ここ日系大手企業では、一度“ママさん”カテゴリーに分類されると出世は厳しい。出世どころか、仕事もサポート系の雑務を任されるだけ。

入社以来、半分近くを産休育休にあて、大した経験値や実績もない。さらに当面の間は時短勤務が続く。そんな私に、責任ある仕事やキャリアアップの機会を与えてくれるほど、会社も甘くない。

現実問題、菜緒が手にしたものを、これから私が手にするのは絶望的なのだ。



だけど、私には総合商社に勤める夫と、可愛い2人の子どもがいる。私だって菜緒にないものを持っている。

だから、どうにかプライドを保っていられた。

― …それなのに菜緒が結婚して、順当に子どもを産んでしまったら…。私がただただ負けてしまう。

今まで保たれていた均衡を、一気に崩してしまう。

屁理屈だなんてこと、頭では十分すぎるほどわかっているけど、そういう問題じゃない。

もう全然、冷静になんてなれなかった。

私の中で、何かが崩れていく音がした。


へし折られたプライド…。梨沙子の脳裏に、危険なアイディアが浮かぶ…

その日の夕方。

誰にも気づかれないようにオフィスを後にしようと思ったのに、鋭い菜緒に見つかった。

「あ、梨沙子、待って!私、結婚することになったの!直接ちゃんと報告したくて…!これでようやく、梨沙子に追いつけたよ〜」

夫はIT系の経営者で、新居は青山一丁目らしい。誰もが羨むような成功をつかんだのだ。

「おめでとう〜、よかったね!」

なんとかお祝いの言葉を絞り出すも、菜緒は取引先から電話がかかってきたといって、すぐ仕事に戻っていった。

菜緒の電話に出た瞬間の声色や表情は、真剣そのもの。そんな風に打ち込める仕事があることが本当に妬ましかった。

…それだけじゃない。

手入れの行き届いた肌や髪、入社当初から変わらない抜群のスタイル。シンプルだけど、質感の良さがわかるジャケット。デスクに置かれていた、LOEWEの新作バッグ。

SNSに度々ポストされる、キラキラした日常…。

“結婚”に関して、菜緒は私に追いついたかもしれない。だけど、キャリアやキラキラした生活は、もう私は菜緒に追いつけない。

そのどうしようもない事実と対峙したとき、怒りにも似た感情が、自分でもコントロールできない域まできたことを感じたのだ。

…そして、やるせない気持ちの矛先は、意外な方向へと向かってしまった。



それから、3ヶ月。

私の気持ちは、だいぶクールダウンした。…しかし、私の中の別の感情が、たかぶってやまない。



<梨沙子さん、今日会えたりしないかな?>

メッセージが着信する度に、単調で些末な日常が一気に色づく。自分が女であるということを思い出せる。

<ごめん今日は予定あって会えないけど、私も早く会いたいよ…!>

色っぽいやりとりをするだけで、私も何かを取り戻せる気がするのだ。

最初は、菜緒には強い嫉妬心を抱いたけれど、冷静に考えれば菜緒に非はない。

― 悪いのは、誰か?

突き詰めた結果、それは夫だと気付いたのだ。

そもそも、私は25歳で結婚・出産なんてするつもりなかった。もっともっと仕事も私生活も楽しみたかった。

“デキ婚”がすべての始まり。

…でも、子どもは“できちゃった”わけじゃない。避妊しなかった夫の無計画さに、私の人生は狂わされたのだ。

「実は、梨沙子と早く結婚したかったんだよね。他の男にとられたくないし」

新婚当初、夫はそんな風に言った。当時は嬉しかったその言葉も、今となっては私を苛立たせる。

結婚生活が5年目を迎えた今でもなお、夫は私を愛している。

…でも、いやだからこそ、私はこの情事たちを楽しむことで腹いせをしているのだ。ただただ刺激や色っぽさを求めているだけじゃない。

<今日、予定通り会えそう?>

<うん、大丈夫。旦那が早く帰ってきてくれたから、子供見てもらえそう>

クローゼットからお気に入りの服や新しい下着を引っ張り出して、私はオンナへと着替える。

そんな私を、夫は不審に思っているだろうか。いっそのこと気づいて欲しい。そして、傷つけばいい。私から一番いい時期を奪った罪の重さを、思い知るがいい。

「ママ、今日帰り遅くなっちゃうと思うけど、ごめんね」

「え〜、やだやだ」

駄々をこねる子どもを適当にあやしながらも、どうしようもなく胸がときめく。

鏡に映る、完成された自分に、私の自尊心は満たされて行く。

きっと今の私なら、オンナとしても菜緒に負けてない。…いや、むしろ私のほうが色気があるかもしれない。危険な関係を楽しむ女特有の色気が、きっと今の私からは放たれているはず。

痛い女って思われるかしら?

でも、なんて言われても構わない。だって、本当はこんな人生歩むつもりじゃなかったんだから。夫のせいで、間違えてしまっただけなのだから。

少しくらい楽しんだって、許されて当然でしょ。


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