『嫉妬こそ生きる力だ』

ある作家は、そんな名言を残した。

でも、東京という、常に青天井を見させられるこの地には、そんな風に綺麗に気持ちを整理できない女たちがいる。

そして、”嫉妬”という感情は女たちをどこまでも突き動かす。

ときに、制御不能な域にまで…。

静かに蠢きはじめる、女の狂気。

覗き見する覚悟は、…できましたか?

▶前回:38歳・独身女が親友の子どもに異様な執着を見せる。そして、恐ろしすぎる計画を企てはじめ…



信じる女


既婚者との恋が不毛だと、誰が決めた。

そもそも結婚しなければ、全ての恋はいつか終わる。

それなのにどうして不倫の恋だけが、その過程を“不毛”として切り捨てられてしまうのだろうか。

全然、腑に落ちない。

…それに、ときに“結婚”という実を結ぶことがある。

まさに、私の両親がそうだった。

結婚していた父に母は恋をし、ただの社内不倫を本物の恋に変えた。前妻と別れさせ、父を自分のものにしたのだ。

喧嘩はしょっちゅうしているけれど、私と2歳年下の弟が巣立った今も、2人仲良く暮らしている。

そんな母から生まれた私はきっと、そういう星の元に生まれてしまったのだろう。

私の愛する人もまた、家庭を持っている。

けれど、私も絶対に“実”を結んでやるって決めている。誰にもこの恋を不毛と呼ばせない。

私は今日、“彼”の家に乗り込む。


女が不倫相手の家に乗り込もうと決意。そこで待っていた想定外の事態…



私と彼の出会いもまた、職場だった。

私が派遣された日系大手損保会社で、伸夫さんは営業マンとして働いていた。

周りを引き付けるような明るさと、爽やかなルックスに、私はすぐに恋をした。そして第六感が働いたのだ。彼こそが運命の人だ、と。

母が父と出会ったときも、「あ、この人と結婚する」と直感でわかったそうだ。左の薬指に光るリングを目にしても、その感覚は揺るがなかったという。

あぁ、私も母と同じ道を歩むのか。

そう思うと、少し気が重かった。彼と結ばれるまでの道のりのハードさは、母の昔話から想像がついたから。

けれど、運命の男は間違えて別の人と先に結婚してしまった。私が幸せを掴むためには、いばらの道を避けて通れない。でも、しょうがない。私は真っ向から向き合おうと決めた。

けれど、私にそう思わせたのは他でもない、伸夫さん自身だった。

私の32歳の誕生日に、彼は私にプロポーズまがいの言葉を投げかけたのだから。

「僕は本当に君が好きだ。妻とはすぐに別れるから、待っていてくれないか」

恵比寿の『ガストロミー ジョエル・ロブション』で食事をしたあとに、ウェスティンホテル東京のスイートルームで、そう言いながらバラの花束をくれたのだ。

友人からはデートコースが王道すぎると笑われたけれど、そんな真っ当な愛情が私は嬉しかった。

それになにより、彼の目は真剣そのものだった。それは、その瞳に見つめられた私にしかわからないだろう。

傍からみれば、ただの不倫に映るのかもしれない。けれど、私は絶対にこれをありふれた物語で終わらせない。

だから今こうして、私の家をあとにした伸夫さんをこっそりと追っているのだ。



伸夫さんが「妻とはすぐに別れる」というセリフを言いはじめて、もうすぐ2年がたつ。

けれど、伸夫さんは最近こうも言うようになった。

「ずっと話合いをしているんだけど、妻が全然別れたがらないんだ。だから、もう少し待ってくれないか。必ず別れるから」

別に、私は構わない。いくら時間がかかっても、私は彼を待つ。

けれど、苦しそうに弁解する伸夫さんが、とても追い詰められているようで、どうしようもなく可哀想になってしまったのだ。

だったら、私の出番だ。私が奥さんを説得しよう。そう思いたった。


伸夫さんの後を追いながら考える。

奥さんに、何て言おうか。奥さんは、何て言うだろうか。奥さんは、私との関係を知って、どうなってしまうんだろうか。

私と伸夫さんが一緒になることが当然の未来すぎて、緊張や不安などではなく、奥さんに対する同情だけが湧き上がる。

― 名前も知らない、伸夫さんの奥さん。…ごめんね。

そう遠くない未来に待っている幸せに思いを馳せながら、そんなことを考えていると、あっという間に到着した。

二子玉川駅から徒歩7分ほどのところにある、一軒家。こじんまりとしているけれど、小綺麗な、あたたかそうな家。

伸夫さんが家に入っていく様子を見届け、一呼吸整えてから、私はインターホンを押した。


不倫相手が突如、家にまで押しかけてきたとき。男が放った言葉とは

「は〜い。どちら様でしょうか?」

「あ、すみません。伸夫さんの婚約者です」

一瞬にして、空気がピリついた。奥さんらしき女は、言葉を詰まらせる。

「…え?」

トーンは一気にぐっと下がり、声色には怒りや不信感みたいなものが滲む。

「だから、伸夫さんの婚約者です。ちょっとお話よろしいですか?」

インターホンは無言のまま切られ、しばし沈黙がその場を支配する。そして、今度はガチャっと鍵を開ける音がおもてに響き、女が姿を現した。

すらっとした、綺麗な人だった。

「夜分遅くにすみません。伸夫さんと真剣に交際させて頂いている者です。伸夫さん、あなたが全然離婚してくれないとおっしゃっているので、直接お話をしに参りました。単刀直入に申し上げますが、伸夫さんと別れていただけますか?」

一息に言い切るも、女は無表情に私を見つめるだけ。そして目を細め、私を哀れむように見つめた。

すると、後ろからドドドと物凄い勢いで階段を下りてきた伸夫さんが姿を現した。

「あ、伸夫さん。全然話が進まないっていうから、直接話を付けに来ちゃった。急にごめんなさい」

けれど、伸夫さんが想像もしていなかった言葉を口にしたのだ。

「どちら様ですか?」
「…え、伸夫さん、どうしちゃったの?」
「どちら様ですか?わけのわからないことを言い続けるようでしたら、警察呼びますよ」

女は伸夫さんを一瞥して部屋に戻り、伸夫さんも後を追うようにして家の中へと吸い込まれていってしまった。

ドアはゆっくりと閉まり、再びガチャっと音を立てた。それは、何かの合図のように響いた。




既成事実


それから、伸夫さんと連絡が取れなくなった。

私は事を荒立てたくなかったのだが、致し方ない。伸夫さんが運命の男だということに変わりはないし、…なにより、あの女の目が私に火をつけた。

可哀想な女でも見るような、私を哀れむような、あの目。

伸夫さんを当たり前のように自分のものだと勘違いしている。伸夫さんが私に連絡をよこさないのもきっと、あの女が何か吹聴したからに違いない。

本来、彼の隣にいるべき女性は私だというのに…。

あの女が許せなかった。


それから2ヶ月後の、とある水曜日。

私は会社の前で、伸夫さんを待ち構えた。



「伸夫さん」

私は基本的に在宅勤務だけれど、伸夫さんは毎週水曜日だけ出社している。

「どうしたの、こんなところで…」
「どうして、連絡くれないの?」
「いや、それは…。僕たちもう…」

彼が何かを言いかけたそのとき、私はすかさず用意した“事実”をぶつけた。

「赤ちゃんができた」
「…え?」
「だから、私妊娠したの」
「…ピル飲んでいるって言っていたよね?」
「飲んでないわよ」

伸夫さんの顔が、どんどん引きつる。喜んでくれないことが悲しい。

「うそだろ…?」
「責任とってくれるわよね?まさか会社の派遣社員を妊娠させて、そのまま捨てるなんてこと、できないわよね?」
「…」

伸夫さんはあるとき、この日系大手損保会社へは親戚のコネで入社したと漏らしていた。

合点がいった。大した学歴もなければ、営業成績が優秀なわけでもないから。

でも、今の私にとってそれは好都合だ。彼のスペックと実力で、今以上に好待遇な会社へ転職できるわけがない。それに、親戚のコネで入っている以上、変に悪目立ちすることは避けたいだろう。

古くさい体質の日系企業において、女絡みの醜態を晒すなんてもってのほか。

「もう、自分があとは何をすればよいかわかるわよね?」

穏便にすませるために彼がとれる選択肢はただ一つ。奥さんと離婚して、ほとぼりが冷めたころに、私と再婚すること。

私は分かる範囲だけ記入した婚姻届と離婚届を手渡す。

「…え、これ…」
「離婚してくれなければ、私、自分が何しでかすかわからないわ…」

伸夫さんは、ただただ2枚の紙を見つめていた。


母は、私に教えてくれた。

真っ向勝負で挑んでダメなら、既成事実を作ってしまえばいい。幸せになりたいのならば、手段を択ばないことよ。

現に幸せを掴んだ人間からの言葉には重みがある。

本当は、ピルを飲んでいた。こんなことになるなんて思ってもみなかったから。だから、急いで伸夫さんと同じB型の男と妊活したのだ。

相手の男は、それが私の計画的な妊活だったなんて夢にも思っていないだろうけど。

でも、すぐに妊娠できたのは幸運だった。

「さあ、伸夫さん、一緒におうちまで行きましょう。今度こそ、奥さんに離婚してもらうよう説得してくださいね?」
「…」

もう何も反論しなくなった、抜け殻のようになった伸夫さんを引っ張り、私たちはあの女の元へと向かった。


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