「妻が輝いていることが、僕の喜びです」

令和の東京。妻に理解のある夫が増えている。

この物語の主人公・圭太もそのうちの1人。

・・・が、それは果たして、男の本心なのだろうか?

元来男は、マンスプレイニングをしがちな生き物だ。

高年収の妻を支える夫・圭太を通じて、東京に生きる『価値観アップデート男』の正体を暴いていく。

(マンスプ=マンスプレイニングとは、man+explainで上から目線で女性に説明するの意味)

◆これまでのあらすじ

大手商社を退職した藤堂圭太(34)は家事全般を担当し、自分より年収のある経営者の妻・香織(36)を支えていた。だが“世間知らず”を装うしたたかな就活生・未久(21)から好意を示される。

ある夜、香織は、未久から圭太に届いたLINEを見てしまうが、夫を信じることにして…。

▶前回:“好きな人の妻”と対面した女が、妻を恐怖に陥れた驚愕の一言とは



したたかな女


『圭太さん、ご無沙汰しています。今度お茶しませんか?』

未久からLINEが届いたのは昨夜だったが、一夜明けても僕は返信できないでいた。困惑もあったが、憤りも混ざっていたからだ。

― “藤堂さん”って呼んでいたのに、いつから“圭太さん”になったんだよ…。

呼び名の変化で距離感を縮める方法が、僕に通じるとでも未久は思ったのだろうか。ここ最近、未久のしたたかさに気づき始めた僕は、“攻略しやすい軽い男”に自分が認定された気がして腹が立った。

未久にとって年上の男性の心をつかむことは簡単かもしれないが、残念ながら僕には通じない。

『久しぶりにお会いして話したいのは山々ですが、こちらも最近忙しくて…すみません。もし話があるならLINEで聞きますよ』

僕は熟考の末そう返信したが、すぐに失敗だったと後悔する。


未久のLINEテクニックに翻弄されて…

未久からの返信は早かった。

『会って話したいことがあるんです。LINEの文章だけだとうまく自分の気持ちを表現できるか、不安で…』

僕はそれでも敬遠する。

『申し訳ないけど多忙で…。時間ができたら連絡する形でもいいですか?』

未久は引き下がらなかった。

『香織さんの会社に関することなんです。でも、香織さんには言えません。30分でも結構です。会って話を聞いてくれませんか?』

― 香織に言えない会社のこと?

未久は昨夜、香織の会社の社外取締役3人と食事していた。香織が不在の時間もあったそうだ。

もしかすると、その間に何か重要な情報を仕入れたのだろうか。

僕は覚悟を決めて『Zoomなら』と返信しようとするが、機先を制するように未久はLINEで畳みかけてきた。

『オンラインとかではなく、直接お会いしたいんです』

そのメッセージを見た瞬間、岡山から聞いた「未久さんが俺のことを好きらしい…」という余計な情報が頭を駆け巡る。

意識してしまう自分が許せないから、未久とはできるだけ距離を置きたかった。でも、頑なに断るほうが、より一層、意識しているような気もしてきた。

『わかりました。30分だけなら』

香織には、未久と会ったことを報告すれば問題ない、と自分に言い訳して、僕は出かける準備を始めた。




未久との再会


「香織さんには内緒で来てくれました?」

16時。僕たちが初めて会ったけやき坂のカフェで、未久は開口一番にそう言った。

今日は、未久は大学の授業がある日で、香織の会社には出勤していない。

「うん。LINEを読むかぎり、香織には内緒で来てほしいみたいだったから言ってないよ」

でも帰ったら報告するけど、と心の中でつぶやいた。

「それで、香織の会社に関する話っていうのは?」

僕が尋ねると未久は説明を始めた。予想通り、香織がいない間、3人の社外取締役と食事しているときの話だった。

「そのうちのひとりに、福田さんっていう方がいて」

福田さん。僕も何度か聞いたことがある名前だ。何かの機会に香織から紹介されたことがあると思うが、顔は覚えていない。

「福田さんとは、香織さんが合流する前にLINEを交換していて。食事が終わったあとに連絡が来て……ウチの会社に就職しないかって言われたんです。

オーダーメイドのTシャツを作れるショップを何店舗も経営していて、すぐにでも企画チームに加わってほしいって言われました」

「すぐにでも企画チームに…?」

「はい。私のビジョンを気に入ったと言ってくれて」

― そんなのウソだ!

取締役を務めるような50代の男性が、インターン中の大学生のビジョンを気に入るわけがない。その言葉には裏があるに違いない。

でも、未久は福田さんのことをまったく疑っていないようだ。

「このまま香織さんの会社でインターンを続けても、本採用してもらえるかわかりませんし…。だったら、福田さんの会社に行くのもアリかなって」

「福田さんから妻に話はあったのかな?『未久さんをウチに就職させたい』とか、そんな話は?」

「私が覚悟を決めたら、すぐに話すって言われました」

本当だろうか…。僕は不審に思った。

「それでも、やっぱり香織さんにもお世話になったし、もちろん圭太さんには、もっとお世話になったし…福田さんの会社に行くことが、お2人に対する裏切りのような気がして…どうしていいか、わかりません」

気づけば、未久は泣きそうな顔で僕を見ていた。

「教えてください。私、どうすればいいと思いますか?」

未久の眼差しが、どういうわけか僕の胸にグサリと刺さる。


どうしても未久に感情移入してしまい…

「責任を取れないから、教えることなんてできないよ」

僕がそう言うと、未久は悲しそうな表情をした。その顔が、再び胸にグサリと刺さり、何かに急かされるように、僕は話し始めてしまった。

「でも、僕の考えを話すことはできるから、あとは自分で決断してほしい」

未久は急に目を輝かせてうなずいた。

「まず香織の夫としては、福田さんのやり方が気に食わない。彼が本当に未久さんという人材を欲しているなら、未久さんを誘うと同時に、香織にも話を通すべきだと思う」

「どういうことですか?」

未久はポカンとした表情になる。本当にわかっていないようだ。

「酔っ払った勢いで言っただけかも」

「そんな…」

「もっと最悪のケースを想定すると」と前置きし、僕は心苦しくも伝える。

50代の成功した男性が、野心のある若い女子大生をそそのかし、その気にさせるが、本来の目的は別にある――なんてことは、もはや東京名物だ。

そこまで言うと、やっと未久は理解したらしい。

「そりゃ、そうですよね…」

福田に“ビジョン”を認めてもらえたことが、よほど嬉しかったのだろう。絶望したように未久はつぶやいた。

そんな未久が少し可哀そうになり、僕は、思わずフォローしてしまう。

「ただ福田さんは、香織が社外取締役を頼んだぐらいの人だから、そういう人じゃないと思うよ」

未久は少しは希望を取り戻すかと思ったが、彼女は視線を落として言葉を発さない。

「で、ここから本題。僕が本当に伝えたかったこと」

うつむいていた未久が顔を上げる。

「人生っていうのは、得てして、何でもない誰かの何でもない一言で好転するものだと、僕は思ってる」



そして僕は「この話はあまりしないんだけど…」と前置きし、語り始めた。

かつての僕は、年上女性と交際するなんて、想像できなかった。ましてや、離婚経験者なんて言語道断。一度、誰かのものになった女性は眼中になかった。

だが、年上でバツイチの香織を好きになった。

結婚したいと思ったが、それでもなお、ちゅうちょする気持ちもあった。

香織は当時の僕よりも忙しく働いていて、年収も高かった。結婚すれば、香織より時間がある僕が家事全般を担当することは明らかだったので嫌だった。

「今でこそ価値観をアップデートしたって自称してるけど、もともとは全然そんなことないんだよ」

自嘲気味に笑いながら僕が言うと、未久はあっけに取られた様子だ。

「そうだったんですね…」

「でも、何でもない誰かの何でもない一言で、覚悟が決まったんだ」

「誰のどんな言葉だったんですか?」

「スタバで隣に座った名前も知らない女性」

「えっ」

「僕と同じくらいの年齢の女性だと思う。その人が一緒にいた女友達との会話のなかで言ったんだ。『夫が、家事をしている私に毎日ありがとうって言ってくれて。それだけでずっと幸せでいられる』って。

その話をしているときの女性の顔が本当に幸せそうで。その女性のことを、うらやましいって思ったんだ」

その女性のことをうらやましいと思うなんて、男としてありえないと思ったが、実際うらやましかった。

「そして、僕も香織に毎日「ありがとう」と言われたくなった。だから結婚して、会社も辞めて、家事をやるようになったんだ」

気づけば僕は、約束の30分を優に超え、熱弁していた。

そして驚いたことに、目の前の未久は、なぜか涙を流している。

僕は急いで、話をまとめた。

「福田さんの本心はわからないし、僕の実体験も忘れてもらってもいいし、とにかく僕が言いたかったことは――」

僕が次の言葉を発するより先に、未久が口を開いた。

「人生は誰かの何気ない一言で好転するもの」

僕は大きくうなずいたが、続きの言葉が出てこない。

なぜなら、未久の涙が止まらないからだ。ほとんど号泣と呼べるほどに泣きじゃくっている。

「大丈夫?」

泣いている女性に語りかける言葉は、僕はそう多く持っていない。

「はい、大丈夫です…」

未久は漏らすように言葉を発した。

「ごめんなさい。自分でもどうして泣いているのかわからないんですが…なんか…圭太さんの言葉に救われた気がして」

未久は涙をぬぐった。

「やっぱり、私、このまま香織さんの会社で頑張ります」

その声色が次第に決然としていく。

「就職できるかわからなくても、“圭太さんの奥様である”香織さんのもとで、もっと成長したいです」

“圭太さんの奥様である”という部分を強調して未久は言った。

「愛媛から東京に出てきて、頼れる大人がいなくて…でも、圭太さんはいつも親身になってくれました。そんな圭太さんが好きだし、圭太さんと幸せな結婚生活を送る香織さんにも憧れます」

このとき僕は、初めて未久が地方出身者だと知った。

「香織さんの会社に就職できなくても、時間が許すかぎりインターンを頑張りたいと思います」





その夜、香織から「帰りが遅くなるから、夕食はいらない」と連絡が来たため、未久のことを報告できなかった。

24時過ぎに帰宅した香織はかなり疲れていて、シャワーも浴びず、メイクを落としただけで眠りについた。

僕はひとりでリビングのソファで寝ることにした。妻にのびのびベッドを使ってもらいたかったからだ。

翌朝、香織はロサンゼルスの業者とリモートミーティングのため、6時には出社した。またも未久のことを報告できなかった。

そんな日々が続き、香織とちゃんと話ができたのは、未久と会ってから3日後の夕食終わりのことだった。

話を振ったのは、僕ではなく香織だった。

「ねえ、未久ちゃんと会ったでしょ?」

まるで浮気を問い詰めるような、強い口調だった。


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涙の未久が決意したことで、圭太と香織の夫婦仲にヒビが…?