秋十一夜「広い庭のある家」


「達也さんみたいなカッコいい人とずっと一緒にいられるなんて、夢みたい」

妻の麻理恵が後ろから抱きついてきて、耳元でささやいた。

僕が一軒家、しかも豪邸に住むなんて思ってもみなかった。ウッドデッキの向こうにある緑が茂った庭を眺めている僕に、麻理恵が尋ねる。

「さっきからお庭ばかり見てるけど、何か気になる?」

「いや、夜はシーンとしていて雰囲気が違うなって。石神井公園てさすが高級住宅だなあ。都内とは思えないよね、この広い庭。あの桜、春になったらキレイだろうな」

本心では、夜の庭はうっそうとしていて、少しだけ怖いなと思っていた。

婚約中に麻理恵の父親が急逝。母親は麻理恵が高校生の時に病気で亡くなっていたので、この家はいよいよ主を失ってしまう。土地は麻理恵が相続し、家はフルリフォームして僕たちの新居になった。都内でこの広さ。贅沢を言ったらバチが当たる。

30万円しか貯金がない元劇団員の僕が、この屋敷の主となり、不動産管理業を麻理恵と一緒に担うことになったのだから。


達也と麻理恵の意外ななれそめ。そして結婚生活が始まるが…?

逆玉


僕が麻理恵と出会ったのは、彼女が27歳、僕が26歳の時。

僕が付き人をしていた俳優と麻理恵の父親が親友同士で、食事会のときに顔を合わせたことがきっかけだ。

僕は、故郷の岩手にいた頃から、容姿だけはよく褒められた。自分ではあっさりした塩顔だと思うが、身長が高く色が白いので目立つらしい。

大した目的はなかったが、東京には行ってみたかった。法政大学の指定校推薦が取れそうだと聞いて、迷わず応募し上京する。

新入生歓迎会シーズンに校内を歩いていて誘われ、さほど深く考えず入った演劇サークル。そこで僕は芝居の虜になった。

授業はそっちのけで打ち込み、大学3年のときに大きな公演で主役が転がりこんできた。それを見ていた下北沢が拠点の劇団主宰者で、テレビでも名脇役として活躍している俳優の矢沢太一さんが、声をかけてくれたのだ。

「お前、悪くないよ。ちょっと意味ありげなルックスに、しゃべると憎めないキャラ。あちこち連れていってやるから、俺のカバン持ちでもしてみろよ」



矢沢さんは、テレビ局でも地方公演でも連れていってくれたから、刺激的な毎日だった。

しかし、いわば使いっ走りだから、僕の生活はめちゃくちゃになった。次第に大学に行かなくなり、結局留年を2回したあと、退学した。

矢沢さんの劇団で役がついたが、ブレイクには至らないまま、僕はいつの間にか26歳になっていた。

「このままじゃいけない」と焦りを覚えていたときに、麻理恵と出会う。

今は亡き彼女の父親と矢沢さんは、月に1度ほどのペースで飲む仲だった。矢沢さんは麻理恵のことを小さい頃から知っているらしく、彼女もときどきそこに同席していた。

ある日、いつものように麻理恵の父親たちと食事していた矢沢さんを、僕は車で迎えに行ったときのこと。

「それでは次の公演チケットがご用意できましたら、ご自宅にお送りします」

僕は、そう言って店から出てきた麻理恵たちに頭を下げた。

「あの…達也さんも出演されるんですよね?…私の分のチケットもお願いできますか?」

僕は、驚いて麻理恵の顔を見た。彼女は、父親たちに聞こえないように声をひそめている。

僕は慌てて「はい、大した役じゃないんですが…出番は多いので」と答えた。

すると麻理恵は顔を赤くしながら、嬉しそうに笑った。



1年後、資産家の令嬢である麻理恵と僕は結婚した。

収入がない僕が麻理恵と結婚できたのは、矢沢さんが口添えしてくれたからだ。

それに、麻理恵は昔から体が丈夫でなく、母親を早くに失くしたこともあって父親は麻理恵に甘かった。

「達也は、見た目は優男だけど、芯のあるやつだ。麻理恵さんは、見る目があるな」

矢沢さんの言葉と、何より麻理恵が「達也さんと結婚できないなら家を出ていく」と泣いたことで、麻理恵の父親は結婚を認めてくれたのだと思う。

僕たちは、晴れて夫婦になった。

結婚の条件は、劇団を辞め、本事業で忙しい麻理恵の兄の手が回っていない都心の駐車場やビル管理の仕事を引き継ぐこと。

…今思えば、歯車は、そこから狂い始めていた。


二人の間に思わぬ「障害」が発生。そしてある夜、掟を破った達也が…?

夜に、運ぶ


「達也さん、今日もお仕事遅いの?無理しなくていいのに。不動産管理業っていっても名ばかりなんだから、部下に任せておけばいいのよ」

麻理恵が、ダイニングで紅茶を入れながら僕を心配そうに振り返る。

「いいんだよ、お義父さん亡き今、麻理恵の頼れる夫として存在感ださないと。逆玉の俳優崩れ、っていうレッテルはこりごりだよ」

「え〜、何それ。誰がそんなこと言ってるの?」

お嬢様育ちの麻理恵には冗談に聞こえるらしい。けっこうシビアな悪口だと思うが、気に留めるそぶりもなく、くすくす笑っている。

「とにかくさ、世間はみんなそう思ってるんだよ。だから真面目にやらないとな」

「達也さんはそんなこと気にしなくていいのよ。だってこんなにカッコいいんだもの」

麻理恵に悪気がないのはわかる。しかし実を言えば、顔だけ、と連呼されているようで男としてそれもすっきりしない。

結婚して2年目。それでも僕は、この状況に適応しようと奮闘していた。



…していたはずだったのだが。

「こんにちは。ビルの受付に新しく入った美波です。どうぞよろしくお願いいたします」

二度見するくらい、可愛い。麻理恵はどことなく古風で昭和系の美人だが、美波は程よく世慣れていて、計算ずくの小悪魔的美人だった。

その瞬間、逆玉夫のなけなしのプライドは消し飛び、僕はデレデレと美波の軍門に下った。



もともと、麻理恵に惚れられての結婚。

計算もあった。理性で結婚したから、一度タガが外れると、あとは語るのもバカバカしいくらい。結婚5年目、32歳になる頃には、僕は地方の物件の視察、などと言っては外泊を繰り返すようになった。

麻理恵も当然わかっていたと思うが、見て見ぬふりをしていたのだろう。

ガーデニングやフラワーアレンジメントの稽古に精を出していて、僕への興味を失いつつあるように見えた。

そんなある日のこと。

「ねえ、達也さん、今週末、お友達と旅行に行ってきてもいいかな?」

今朝は機嫌がいいと思ったら、お願いごとがあったらしい。

「ああ、いいよ、何曜日から?」

「金曜の朝に出て、日曜の夜には戻るわ」

「ゆっくりしておいでよ。僕は適当にやっておくからさ」

僕は内心ウキウキしているのを悟られないように、紅茶を一口飲んでから笑顔で答えた。

金曜は、今いい感じの美人妻とデートの約束をしていた。

人妻は後腐れがなくていい。この週末に勝負をかけるとしよう。



目が覚めたとき、僕は自分の状況を把握しきれずに、混乱して頭を抱えた。

ここは確かに自宅なのに、なぜか隣には例の人妻が眠っている。

暗闇に目が慣れてきて、ベッドサイドの時計を見ると、午前1時。

…次第に思い出してきた。確か、バーで飲んだあと、都心のホテルはインスタグラマーの自分は人目に付くから嫌だと駄々をこねる彼女を、タクシーで郊外の自宅に連れてきたのだ。

麻理恵が整えた家に引き入れるのは掟破りだと思ったが、旅行中で千載一遇のチャンスでもあった。

「ねえ、起きて。きみも今夜中に帰らないとマズいだろ?今ならギリギリセーフだよ。タクシー呼ぶからさ」

眠り込むつもりはなかったのだろう、彼女も起きるなり青くなって身支度を整えると、タクシー代をもぎ取って嵐のように去っていった。

このあたりは深夜は人っ子ひとりいないし、屋敷同士は離れているから、通りで車を拾えば目撃されずに帰宅できたはず。

外はいつの間にか、冷たい雨が降っていた。

その時、ガチャリ、と玄関の鍵が開く音がして、僕は思わず「ひいっ」と声を出してしまった。戸締りはしたはずなのに。

Tシャツにトランクスという姿だったので、あわててスウェットをはくと、なぜかスマホを握りしめながら階下のエントランスをのぞき込む。

「だ、誰だ…!?って、麻理恵…!?どうしたんだよ、帰ってくるの日曜だろ?」

そこに立っていたのは、麻理恵だった。

無表情で、なぜかびっしょりと濡れている。まるでずっと外で立っていたみたいに。

「…家に入れるなんて、ルール違反もいいところよ」

怒りで、闇の中でも震えているのがわかった。

びしゃっ、と音を立てて、階段を上ってくる。

「な、なんの話?それより、まずはシャワー浴びておいでよ」

今部屋に入られたらまずい。僕は猫なで声を出して、麻理恵を1階の風呂場に誘導しようと肩に手をかけた。

「嘘つき」

麻理恵が、僕の腕を振り払った。態勢を崩した瞬間、僕は彼女に突き落とされた。

僕はとっさに麻理恵の腕をつかみ、2人で階段を転落したところが、僕の最期の記憶になった。


桜の樹の下に


「麻理恵さん、足の筋肉が硬くなっているので、少しマッサージをしてもいいですか?…10年前におケガされたっておっしゃってましたけど、痛みます?」

私は、出張施術のお得意様、麻理恵さんの脚に触れた。

週に1回通っているこの石神井公園の豪邸に、麻理恵さんは一人で住んでいる。夫は10年前に失踪してしまったらしい。

こんなキレイで優しい奥様を置いて蒸発するなんて、一体そのバカ夫はどこにいるのだろう?

「ええ、瀬里ちゃん、お願いするわ。階段から落ちて痛めてしまったの。すぐに病院に行けばよかったのに…そのあと運んで、夜通し作業したのがいけなかったわ」

「運んだ?」

私が怪訝な顔をすると、麻理恵さんは少女のようににっこりと笑ってから、庭に目をやった。

「もうすぐ冬ね。雨じゃなくて、雪が好きよ。見たくないものはもっと見えなくなるから」

私もつられて庭に目をやる。何もかもを覆い隠すように、冬の夜のとばりがゆっくりと、降りてきた。


▶Vol.25 「夫が帰ってこないの…」アラフォー美人妻の痛々しい告白。10年前から隠していた女の恐ろしい秘密


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