夫は、こんな人だった―?

周りに相談しても、誰も信じてくれない。子どもと一緒に夫の機嫌を伺う日々…。

最近、こんなモラハラ夫に悩む妻が増えている。

有能で高収入な男性ほど、他人を支配しようとする傾向が強い。

優衣(32)も、経営者の夫が突然マンションを買った日から、徐々に自由を失っていく。

広告代理店ウーマンから、高級マンションという“籠”で飼い殺される専業主婦へ。

彼女が夫から逃げ出せる日はくるのだろうか―?

◆これまでのあらすじ

離婚の決意をしたばかりの優衣。だが、ある日の夜、夫が熱を出して帰ってきた。まさかコロナ?不安な優衣に夫が言い放った言葉とは…。

▶前回:「この人と一緒にいるのが恐ろしい…」コロナでも看病するのが当然という夫を前に、妻はある決心をする



― もし、発熱の原因がコロナだったら…。

優衣はキッチンでバナナ入りのオートミール粥を作りながら、頭の中であらゆる可能性を踏まえたシミュレーションを繰り広げていた。

コロナだったら。そうじゃなかったら。コロナが悪化したら。自分にうつったら。

今のところ夫は自室に籠っており、今朝は2日目の朝だ。食事はドアの前まで運び、接触を避けてはいるが、トイレは共用だし、お風呂だって熱が下がれば入りたがるだろう。

2020年5月。未知の感染病を診察してくれる病院は限られていて、それも一個人では受診すら思うように進まない現状。

― 放置してこの家を出たいけど…。

優衣が深いため息をついたその時。

「あー、もう無理だ」

夫がマスクもせず、ふらふらとリビングにやってきた。

「えっ…部屋にいてよ。まだ受診できてないじゃない、熱だってあるんでしょ?」

雄斗の手を取り、部屋の隅に向かって、少しずつ後退する。

「あるよ、39度。でもさ、仕事もあるし。俺は会社経営してるわけだからいつまでも寝てらんないし」

ぜいぜいと息を切らしながらも、自分の正しさを主張する夫。

「仮にコロナだったとしても、症状なんてこの程度。しんどいけど、なんとかなる」

そう言ってドカッとソファに腰を下ろした。

「あなたにとってはその程度かもしれないけど、検査もしてないのよ!もしかしたら、私と雄斗だって感染しているかもしれないじゃない」

優衣にしては珍しく、強く反論した。

「えっ?すでにコロナ扱い?だったら、俺を診察してくれる医者、探してこいよ。それか、感染らないようにお前らが部屋から出て来なけりゃいいじゃん」

― 健康な私たちが隔離??

充血した目で優衣を睨みつけながら、理性なく怒る雄二に思わず絶句する。

どこまでも自分ファーストな夫に腹立たしい気持ちはある。だが、優衣はそんな良識のない夫と話し合う余地などない。

「わかったわ。ごゆっくり」

一言言い残し、優衣は雄斗を連れ、リビングから出て行った。


高熱にもかかわらず部屋からのこのこと出てくる夫に、妻はとうとう…


胸の奥底から湧いてくる怒りと不快感をすべて吐き出したいが、側には息子がいる。

「ありえない…」

頭に浮かんできた言葉を、小さく呟いた。

そして、負の感情を必死で押さえ込み、iPadで雄斗が好きなアニメの動画選ぶと「どうぞ」と渡す。

優衣は、雄斗が動画に熱中し始めたのを見計らって東山にメッセージを送った。

― 東山さんならきっと、いいアイデアをくれるはず…。

そう期待したのだ。

翌朝。

まだ雄二が寝入っていることをドア越しに確認すると、優衣は荷物をまとめ、雄斗を連れて家を出た。

行き先は、家から500メートルほど離れた場所にあるAirbnbの一室だ。

2LDKのマンションで、ここなら息子と2人、家にいる時と大差ない生活ができそうだ。

最初は、実家に帰ることも考えたが、両親に迷惑をかけそうで諦めざるを得ず、ホテル滞在も、期間が読めない。

東山にこの八方塞がりの状況を説明したところ、「エアビーは?」と提案してくれたのだ。

夫にはどこに行くか伝えはしなかったが、一応、家を出ることはLINEで知らせることにした。

「コロナの疑いが晴れるまで、お友達の家にいます。なにか必要なものがあったら、手配するので言ってください」

最後の一文は、これ以上夫を怒らせては厄介だと思い、あとから付け足した。

結局、雄二から「熱も下がったし、体調も回復した」と連絡があってからさらに10日を経過した頃、優衣はようやく家に戻ったのだった。



6月。

コロナ収束の見通しが立たないまま、誰もが夏の不快なマスク生活にうんざりしていた。



優衣は久しぶりに、ママ友である京子の家を訪れた。

「優衣さんいらっしゃい!お昼時は時間かかるから、適当にUber頼んじゃったの」

京子が明るく優衣を出迎え、バブーシュを揃えて足元に差し出した。

正午を少し回った京子の家のリビングは、梅雨の晴れ間の太陽がさんさんと降り注いでいる。そこでは、とっくに到着していた恵が、京子を手伝ってダイニングテーブルを素敵にセッティングしていた。

「2人とも、ありがとう。お任せしちゃってごめんね」

「優衣さん、大変だったね」

そう言いながら、京子がグラスにガス入りのミネラルウォーターを注いでくれた。

「結局、コロナじゃなくてよかったよね」

恵が皿に『パリヤ』のサラダや惣菜を盛り付ける手を止め、クスッと笑う。

京子が言う「大変」だった先月のことが、優衣の頭に巡る。

「自分が部屋から出れないことに飽きて、リビングにやってきた時はゾッとしたわ」

先月のこととはいえ、優衣にとっては今でも笑い話にもならないような、あり得ない出来事だった。

「ご主人、甘えん坊なのね」

恵が言葉を選びながら、優衣に声をかける。

「そんな可愛いものじゃないわ」

優衣は、ため息混じりに言う。

「結局、何がきっかけで家に戻ったの?熱が下がったから?」

京子の問いに優衣は、首を横に振る。

「熱は3日ほどで下がってコロナ疑いは晴れたんだけど。戻ったきっかけは、昼間散歩に出たところで、夫にばったり会っちゃって…」

家を出てから2週間が経過した頃のことだ。その時はさすがに、雄二も「俺が悪かった。帰ってきてくれ」と謝罪したのだ。

「そんなの反省なんてしていない。また家に帰ったら元どおりとはわかっていたのよ。でも、いつまでもエアビー暮らしってわけにもいかないし」

当時のことを思い出すだけでも、憂鬱な気分が蘇ってくるが、それを吹っ切るように二人に秘めていた決意を口にする。

「わたしさ、離婚しようと思うんだよね」

「えっ?そうなの?もう決定的にダメっていう理由は?」

恵が驚いた様子で聞き、京子が「コーヒー入れるね」と立ち上がる。

「まあ、一言で言うと、モラハラが過ぎるってことかな」

優衣は今までの生活の一部始終を2人に話した。

「夫は要するに、自分の機嫌を自分で取れない人なの。私はこのままずっと、夫の機嫌の浮き沈みに怯えながら、生きていかなくちゃいけないのかなって思うようになってね」

まだことは何一つ進んでいないけれど、優衣の中での覚悟はもう揺るがないものとなっていた。

「息子と習い事が一緒のママでもそういう人いるよ。彼女は離婚しても仕事見つけて生活していく自信もないみたいだし、今より生活のレベルを落としたくなくて離婚は諦めたみたいだけど…」

恵の話に頷きながら、京子が言う。

「そういうリスクも考えた上で、優衣さんは決めたんでしょ?」

「そうね。エアビーで雄斗と二人で過ごしているうちに、夫はいなくてもなんとかなるような気がしてきたの。誰にも気を使わないってこんなに気が楽なんだとも思った。実は家を出ている間に、友達に弁護士も紹介してもらっちゃった」

優衣は穏やかに笑った。


プチ別居を経て、離婚への歩みを着々と進める妻の次なる手は

「で、もうご主人には言ったの?」

恵が、優衣が今一番悩んでいることに触れた。

「それが悩みなんだよね。どうやって言うか」

そもそも雄二は離婚なんて考えてもいないだろう。いきなり話を切り出し、思いもよらぬ方向に転んでいくことだけは避けたい。

「弁護士いわく、こういう場合って長引くんだって。旦那のほうが決定的に悪いと言い切れる原因があると話は簡単だって」

男性側の浮気や暴力など、明らかに非があれば、調停が始まる前に弁護士同士の話し合いで決着することも多いらしいのだ。

双方の親を巻き込んだりすることも、なるべくなら避けたいと優衣は考えている。

「例えば万が一、旦那が改心しても、優衣さんはもう無理ってことよね」

「そのとおり」

躊躇なく即答した。



翌週。

まだ梅雨は明けず、じとじとと雨が降っていた。もうすぐ本格的な夏が来るというのに、ここ数日、肌寒い日が続いている。

この日、優衣は東山と待ち合わせ、表参道のカフェにいた。

「友達に『改心しても別れたいの?』って聞かれたんですけど、改心なんてありえないですよね」

初めて会った時からは考えられないほど、優衣は東山と打ち解けていた。夫、雄二に関する悩みをすべて理解してくれるのは、今や東山以外はいなかった。

「それは、ないかもですね…。そういえば弁護士には連絡とってますか?」

優衣が依頼した弁護士、森本は、実は東山の高校の同級生だ。優衣の覚悟を知った東山が、もし知り合いにいなければ、と先日、紹介してくれたのだ。

東山と優衣、二人の悩みが共通の人間だと知った弁護士、森本はとても親身に話を聞いてくれた。



「会ったことがないので言い切ってよいのかわかりませんが、ご主人はいわゆる“サイコパス”と呼ばれる類の人かもしれません」

森本の口から出た、聞き慣れない言葉。

「サイコパス…?」

表面上は口達者で外面がよく、その実、内面は利己的で自己中心的。自分の非は決して認めず、息を吐くように嘘をつき、他人を操ろうとする。まるで良心が欠如しているかのような人格を形成する人たち。

彼らは、病気とも、ひとえに性格とも言い切ることができないグレーゾーンを生きている。

当然社会や家庭で、問題を起こし、人を傷つける。

こうした話を弁護士・森本から聞いた時、優衣は初めて、全てが腑に落ちたのだった。

それはその場に同席していた東山も同様だった。

程度の差はあっても、きっと雄二はそっち側の人間だと、確信した。

そして、改心して簡単に治るものではない、ということもこの時わかったのだ。

「そういえば昨日、森本先生と電話で話した時に、暴力とか浮気といった明らかに向こうが悪いと言い切れることってないですか?って聞かれました」

「暴力はないですよね…」

東山のあいまいな言葉尻が優衣に引っかかる。

「暴力は、って言うと、浮気はあるみたいな言い方ね」

優衣の鋭い指摘に、東山は戸惑っているようにも見えた。

「まぁ、こうして優衣さんに会って、社長の愚痴を言い合っていること自体、立派な裏切り行為だと思うので、もう言ってしまいますが」

東山のスマホがLINEの通知を伝え、ぶるっと震えた、だが、それを無視して、東山は続ける。

「ありますよ。決定的なやつが」

優衣は大きく目を見開き、東山を見た。

東山のスマホが今度は着信に変わり、執拗に震え続けていた。


▶前回:「熱がある…」と突然帰宅した夫。「仮にコロナでも看病するのが妻の役目」モラハラ夫の暴言に妻は…

▶NEXT:12月9日 木曜更新予定
離婚話を切り出すことにした優衣。その時の夫の反応は?