どんなに手を伸ばしても、絶対に届かない相手を想う。

でも、その距離感さえ愛おしく感じる。

彼女たちが抱く想いは、憧れか、依存か、それとも本物の愛か?

結ばれることのない相手に人生を捧げる、女たちの心情を紐解いていく。

これは、「推し」がいる女たちのストーリー。

▶前回:「この男ないわ…」デート中28歳女が即断。別れ際、彼に言い放った強烈なセリフとは



恋人と推しのあいだで悩む女・真亜梨(25)【前編】


「今日はみんなありがとー!最後まで楽しんでいってね!」

渋谷の道玄坂にある、それほど広くはないライブハウス。

ステージの上には3人組の女性アイドルが登場し、ファンからの盛大な拍手に満面の笑みで応えていた。

― なんとか間に合ったぁ…!

息を切らしながら腕時計を確認すると、時刻は20時。

PR会社でメディアプロモーターをしている私は、TV局まわりを終えたあと急いでタクシーに乗り込み、汐留からここまでやってきた。

深呼吸をして、ステージに視線を戻す。1曲目が始まると、黄色いワンピースを身にまとった小柄な女の子がセンターに踊り出た。

彼女の名前は“高槻ゆず”。私が推している女性アイドルだ。

― ゆずー!!!

感染症対策で声が出せない代わりに、私は“ゆず”に向かって精一杯サイリウムを振る。すると、彼女は私に気づき目線を合わせて微笑んでくれた。

― 今日もしっかりレスしてくれた……嬉しい!

ゆずは、もうすぐ19歳になる大学生だ。学校とアイドルとの両立は大変そうだが、絶対にファンの前で弱音は吐かない。

今年で25歳になり、いよいよアラサーに片足を突っ込んだ私は、いつもそんなゆずに救われてばかりだ。

― ああ、仕事の疲れが浄化されていく。ゆず、私に癒しをありがとう……。

サイリウムをぎゅっと握り締めて彼女の姿を拝む。その一瞬一瞬を目に焼き付けようと、私は歌って踊る彼女をじっと見つめた。


女性アイドルを推しただけなのに、恋人と揉めることに…?

推しとの出会い


ゆずを推すようになったのは、今から3年前の夏。

当時、法政大学の4年生だった私は、広報やPR関係の業界を志望し就活をしていたが、なかなか決まらず心身ともに疲れ果てていた。

しかも、当時付き合っていた同じゼミの彼から「他に好きな人ができた」と振られ、メンタルがかなり限界にきているところだった。

― もう無理……全部無理。

息苦しいリクルートスーツに、足が疲労するパンプス。容赦なく照り付ける夏の日差し。

加えてこの日は、面接のために来ていた秋葉原で、改札前の人混みに押されて結構派手に転んでしまった。すりむいた膝が痛むが、急いでいるのでそんなことに構っていられない。

何もかもがつらく、苦しい。私は人生で初めて「生きているのがしんどい」と感じていた。

「……お、お姉さん、大丈夫ですか!?」

声がするほうに向くと、小柄な女の子が何かのチラシを持っておろおろと立っていた。

― こんなに暑い中チラシ配りか……メイド喫茶でバイトしている子かな。

サラサラな黒髪のボブヘアに、真っ白な肌、黒目がちで大きな瞳。折れてしまいそうなほどに細い身体と、それに見合わないハスキーでしっかりした声。

「お姉さん、膝からめっちゃ血が出てますよ!」

彼女に言われて自分の膝を見ると、ストッキング越しに血が滲んでいた。

― うわ、最悪……でもコンビニに寄って絆創膏を買ってる暇もないしな……。

私は女の子に対して無愛想に会釈をし、足早にその場を立ち去ろうとした。

「あ、待って!これ……」

彼女が差し出したのは、キャラクターが描かれた絆創膏と、カラフルで華やかなチラシ。

「この絆創膏、よかったら使ってください!……あと、すみません。一応このチラシももらってくれたら嬉しいです。私、来週そこのライブハウスでアイドルデビューするので……」



その日の面接では、面接官の女性が「かわいい絆創膏を付けてますね」と、私の膝を見て笑ってくれた。

おかげで少し緊張が和らぎ、落ち着いて面接を受けることができた。無事に、一次試験を突破できたのだった。

― あの子にお礼をしなきゃ……!

翌週、私は彼女のデビューライブに足を運んだ。チケットを買って中に入ると、客は十数人程度。あまりのガラガラな場内に、私は思わず怖気づいた。

気まずいし、やはり帰ろうかと思った瞬間。オーバーチュアとともに3人のアイドルがステージに登場した。

その中には絆創膏をくれた彼女の姿もあった。

彼女はすぐに私を発見して「あっ」という顔をしたあと、ステージの上からこちらに向かって思いっきり手を振ってくる。

― ステージ上のアイドルから手を振られるなんて、人生で初めての経験だ……。

その後、3人のパフォーマンスを鑑賞した。歌やダンスはまだまだだったが、一生懸命な姿に「彼女たちの成長を見たい」と思わされた。

それに、絆創膏をくれた彼女…高槻ゆずは、曲中に何度も何度も私を見て、私に笑いかけて、私のために歌ってくれた。

その日以来、私の頭の中はずっとゆずの笑顔に支配されていた。寝ても覚めても、ゆずのことばかり考えていた。

それはまるで、恋だった。

気がつけばその翌週も、そのまた翌週も、私は彼女のライブを観に行っていた。毎回ライブ後の物販でゆずに会いに行き、チェキを撮り、色んな話をした。就活の愚痴もたくさん聞いてもらった。

そして、ゆずに「面接がんばって」と書いてもらったチェキをお守りのようにスマホケースに入れていたら、本当に志望していた企業から内定をもらうことができた。

― ゆずと出会ってから、人生がうまくいってる気がする……!

一方でゆずのユニットもどんどんファンを増やし、半年後には初のシングルCDをリリースしたり、ネット番組に出演したりするようになった。

私は社会人になってからもゆずのライブやイベントに足しげく通い、今では“古参”と呼ばれるファン歴の長い者の1人となった。

― でも、まだまだだ。ゆずがメジャーアイドルとしてデビューできるように、もっともっと応援しなきゃ……。


ゆずに救われた真亜梨。そんな彼女の私生活は……


恋人と推しのあいだで


「お肉美味しかったね。今日はありがとう」

金曜の夜、恋人の“翔”と『蕃 よろにく』に行った帰り。

彼が住む恵比寿駅からほど近いマンションの一室で、今日のために取り寄せた赤ワインを2人で楽しんでいた。

今日は、翔と付き合って半年の記念日。不動産会社で働く1つ年上の彼とは、会社の同期の紹介で知り合った。

最初は“明るくて優しい人だな”くらいにしか思っていなかったが、強くアプローチをされるうちに、だんだんと彼に惹かれていった。

ゆずに翔の写真を見せたとき、「イケメンじゃん!美人の真亜梨ちゃんにお似合いだよ」と言われたのも、付き合うことを決めたきっかけのひとつだった。

「真亜梨と出会ってから、毎日が楽しいよ。ありがとう」

ソファで隣に座る翔が、私の髪を撫でる。私はなんだか恥ずかしくなり、クッションを抱きかかえて顔を埋めた。

「照れてんの?可愛いな」

クッションごと彼に抱きしめられる。私が笑い声をあげると、彼は私の頬に軽く口づけた。

私たちは、すごく仲がよい。

私がゆずのライブやイベントを彼とのデートより優先すると、たまに文句を言われるけれど、それも「まあ、応援してるのは、女性アイドルだから安心だけどな」と笑って許してくれている。

― 翔といると幸せな気分になれる。ゆずのライブを観ているときと同じくらい。ずっと、彼と一緒にいたいなぁ……。

彼の腕の中で幸せを噛みしめていた、そのとき。

テーブルの上のスマホが鳴った。

スマホに表示されていたのは、ゆずのオタク仲間である40代男性のハンドルネーム。ゆず関連で急を要する何かがあったのかもしれないと思い、翔には「ごめんね」と言ってその場で電話に出た。

『ああ、すみません急に。いま、ゆず氏の生誕祭実行委員の決起集会をZoomで開催しておりまして。もしよかったら、真亜梨さんも参加できないかなと思いご連絡した次第です』

「あ、なるほど……ごめんなさい。今日は難しそうです」

再来月に迫ったゆずの生誕祭。

私も参加したいけれど、今日はさすがに翔を優先したいので電話を切る。スマホを伏せて翔のほうを向き直ると、彼は何やら怪訝そうな顔をしていた。



「あ……ごめんね、急に電話出ちゃって」

「いや、別に」

明らかに不機嫌そうな翔。しかし、今までも一緒にいるときに友達からの電話に出ることは何度かあったと思う。

何がそんなに気にくわないのかわからず黙り込んでいると、彼が口を開いた。

「俺といるときに、他の男からの電話出るかな。普通」

「え……」

彼の言葉に、私は数秒間フリーズしたのち、ハッとした。

「いや、だって40代のオタクのおじさんで、本名すら知らないような人だよ?男として見てないよ。ゆずを一緒に応援してるっていう、ただそれだけだから……」

「真亜梨が男として見てなくても、向こうはわからないだろ。こんな時間に、20近く離れてる女性に電話かけてくるなんて……気持ち悪いと思わないの?」

たしかに、時刻は22時を過ぎている。でも、いつものメンバーが集まっているからという理由で呼んでくれただけで、彼に他意はないことを知っている。

みんな“ゆずを応援したい”という一心で繋がっている。逆に言うと、ゆずを推さなくなれば仲間から外されるという、わりとドライな関係性だ。

私たちは、ゆずのもとに集まる“信者”であって、それ以上でもそれ以下でもない。みんな、ゆずを愛している。

男だから、女だからとすぐに矢印が別方向に向いてしまうような人は、仲間内からもすぐに淘汰されてしまう。

でも、それをうまく伝えることができない。

「そんな……あの人はただのオタク仲間で、もうずっと前からみんなで仲良くしてて、下心なんてあるわけないよ」

「絶対に“ない”って言いきれるか?俺は今まで真亜梨の趣味に口出さなかったけど、そのファンの男たちと頻繁に遊んでるんだったらいい気はしないよ」

翔の言葉に何も言い返せないでいると、彼は深くため息をついた。

「……もういいよ、ごめん。俺が大人げなかった。シャワー浴びてくるわ」

部屋を出ていく彼の後ろ姿を見つめながら、私はソファにもたれかかる。

― やっぱりオタクじゃない人と付き合うのって、難しいのかな……。

つい、ネガティブな考えが頭をよぎる。

私は気分を切り替えようと、スマホを手に取りLINEを開く。翔とデートしている間に溜まっていたLINEを確認しようとした。

すると、ある男性からのメッセージが目に留まる。

― この人なら、私のことを理解してくれるかも……。

少し迷ったが、意を決してトークルームを開く。

『お久しぶりです!もしよかったら、久しぶりにゴハンでもいきませんか?』とメッセージを送り、スマホをテーブルに伏せた。



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半年記念日に翔と喧嘩をしてしまった真亜梨。次回、2人の間にさらなる亀裂が…