冬一夜「私、何もできないので」


結婚相談所なのに、本人にそれを聞きますか?

私が34歳まで独身の理由。そうですねえ、話せば長いんですけれど。

…彼女の話をしましょうか。

ご存知の通り、私は早稲田大学の文学部出身です。本当は法学部に入って弁護士か国家公務員の勉強をしようと思っていたんですけれど、落ちて、仕方なく文学部に行きました。

高校時代は勉強ずくめでしたから、吹奏楽部を辞めてしまったことを後悔していて、大学はオーケストラサークルに入りました。

そこで彼女、住良木花音(すめらぎ・かのん)に出会いました。

花音は京都出身で、老舗呉服屋の娘です。

サークルの体験入会で初めて彼女に会ったとき、「さすが京都、まだこんな女の子がいるんだなあ」と思いました。

“はんなり”ってこういうことか、と。

チェックのひざ丈スカートに、ベージュのカシミヤカーディガン。色白で顎が小さく、そのせいで黒目がちの目が、余計大きく見えます。

一度も染めたことがなさそうな黒髪がサラサラと流れていて、よく見れば美人だったけれど、垢抜けているという感じではありませんでした。

私はうかつにも“上京したての仲間がいる!”と嬉しくなり、話しかけてしまいました。

花音も心細かったのか、そのとき私に見せた“ホッとしたような笑顔”は、今でも覚えています。蕾がほころぶような笑顔に、女の私でさえハッとしました。

…私と彼女が、あまりにも対照的な人間だと、このときはまだ気がついていませんでした。


花音との出会いが、独身の理由…?女の独白が始まった。

疑惑


「私、指定校推薦で早稲田の政経に入ったんだけど、本当は地元の大学に進学するつもりだったの。だから、久実みたいに偏差値高くないんだ。秋の河合塾の模試で偏差値57だったよ」

仲良くなってくると、花音は意外にもあけすけに何でも話してくれました。

初めて私の一人暮らしの部屋に泊ったとき、視力0.1の私のメガネを、面白そうに近づけたり遠ざけたりしながらそんなことを言ったのです。

その時、私の顔はこわばっていたでしょう。

花音が在籍する政治経済学部は、偏差値70くらいあるはず。私でさえ、偏差値65はありましたから。そして、その65とひきかえに、私は、視力やスリムな体型、青春の楽しみをあきらめたのです。

一方花音は、手足はほっそりしていて、頬だって思春期の終わりとは思えないほど白くて滑らかでした。

私たちは、体験入会後、そのままオーケストラサークルに入りました。

しかし、次第に彼女との差が出てきます。

サークルは、100人ほどの規模で、男女比は半々ほど。メンバーのほとんどが幼い頃から楽器をやっていた人ばかりで、しかも腕前もなかなかのものでした。

つまり、裕福な家に生まれ、幼少期から音楽を嗜んできた子が多かったのです。

真剣に演奏が好きな人ばかりだったからか、私がイメージしていた“早稲田のサークル”より真面目なメンバーがそろっている印象がしました。

そんな環境ですから、美人な花音だけが露骨にもてはやされることもなく、表面上は新入生女子はみな可愛がられていたんです。

でも、半年くらい経って、私は気がつきました。

花音は普段とてもキレイな標準語で話しますが、男子しかいないところでは京ことばで話すのです。

「うち、困るわあ」

などと言うと、私の前では親切な上級生そのものだった男の先輩たちが、急に花音のことをあからさまに目で追うようになるのです。

1年が経つ頃には、花音は男子人気ナンバーワンになっていました。

でも、花音はまったく変わることはありません。いつも私の影にちょっと隠れるようにしていました。おかげで私は花音の親友として、サークルでも一目置かれていたと思います。人気タレント花音のマネージャーのような立ち位置といったらわかりやすいですか?

そんななか、大学3年のとき驚くべきことが起こりました。

サークルの中でも1、2を争うほど“地味で真面目な同い年の幸雄”に、花音が告白して、付き合うことになったのです。



告白された幸雄が、もっとも驚いたのではないでしょうか。皆の憧れの花音が、合宿中に自分を呼び出し、告白してきたのですから。

少なくとも最初は、からかわれているのではないかと当惑したと思います。

しばらくして、2人が付き合っていることを知ったサークルの仲間たちは、唖然としました。

といっても、女の子たちは、すぐに祝福の嵐になりました。

男の子たちはショックと混乱と嫉妬で大騒ぎになり、幸雄に冷たくする人もいました。

しかし、花音はどこ吹く風。幸せそうな2人に周囲も次第に穏やかに見守るようになりました。

そしてこの予想外のカップルは、花音の就職活動と幸雄の公務員試験を無事に乗り越えたあと、ふたりが27歳のときに結婚に至るのです。

このあたりからでしょうか。私の胸には、少しずつ黒い「ある疑惑」が湧いてきたのです。


そして就職活動で、花音が内定したのは、まさかの…!?

手取り21万OLの嫉妬


「久実に比べて、私、なーんにもできないから、会社の名前が必要なんだよねえ。できるだけ大きい会社に入りたいなあ」

花音は就職活動の頃そんな風に言っていましたが、なんと超大手広告代理店に内定したのです。

これはさすがに、早稲田の政経だろうか美人だろうが、簡単なことではありません。

一方、私が内定をもらった企業はわずかに1社、しかも中小企業の一般職採用のみ。親友の快挙がうらやましくて、妬ましくて、しばらくメッセージも既読スルーしてしまったほどです。

「社会人になっても仲良くしようね。久実も、サークルOBオケ活動、するでしょ?毎年定期演奏会の練習が10回くらいあるから、そこでも集まれるね」

なんて言っていた花音ですが、さすがに普段は激務で忙殺されているようでした。

でも、私には好都合です。

華やかで刺激的な代理店の様子なんて聞かされたら、9時6時で手取り21万でOLやっている自分がみじめになるだけだからです。

同じ大学出身ですから、まったくの異世界の人、と割り切ることはできません。しかも、私のほうが頭が良かったことは、彼女も認めています。

それでもなぜか花音のことが気になって、SNSは毎日のようにチェックしていました。

そして27歳の時、ある投稿に凍りつきました。


【ご報告】
この度、かねてよりお付き合いしている彼と結婚する運びとなりました。
新しい命を授かり、年末を持ちまして産休に入らせていただきます。
新居はこちら、お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。


私も若かったんです。おまけにお金がなくて、彼氏もいませんでした。

そんな私には、この“ご報告”は破壊力がありすぎた。幸雄との2ショット写真が、私の胸を刺します。

私と花音の差は開く一方。同じ学校でも、仲間だと思ったら一人は白鳥、一人はアヒルだった…。

その後、さっさと1年で産休育休から復帰した花音は、仕事をバリバリとこなしているようでした。

なんと夫の幸雄が、子どもが小学校に上がるまで時短勤務にして、花音を支えているというのです。男性でもそれほど長く取得できる雰囲気なのは、さすがリベラルな公務員といったところでしょうか。

「私、なーんにもできないから。幸雄が全部、やってくれるのよ。今日もね、彼が娘を見ててくれるの。『花音は僕より演奏へたくそなんだから、いっぱい練習しておいで』ってね」

恒例の定期演奏会練習の帰り、みんなで飲んでいてその言葉をきいたとき、疑惑は確信に変わりました。

花音は、すべて計算ずくなのです。

育ちのいい子がそろっているオーケストラ部に、大して楽器を弾けもしないのに入ってきたのも。

言い寄ってくる自信家の見た目だけ男じゃなくて、実家が土地持ちで、顔はとても地味だけれど誠実で、一生花音だけに尽くしてくれる、公務員試験勉強中の男に告白したのも。

頭の良し悪しよりも、コミュニケーション力や機転や見た目がモノをいうブランド代理店。激務だけど、少数派の女性営業職として入り、周囲の体育会系男子たちを下僕にしてのし上がっていく。

ここぞという時にでてくる京都弁は、まだ健在なのでしょうか。

私は彼女と話していると、自分がどんどんバカを見ているような気になるのです。

…ああ、ごめんなさい、話が脱線しすぎました。ため込んでいたものですから。

結婚相談所のカウンセラーって、なんだか年の離れたお姉さんみたいな感じなんですね。

とにかく、私は女としてのスタートで花音に会ったことでこじれて、どんどん卑屈になりました。自分は、彼女のようににあざとい女になりたくない。共通の友人に花音の悪口を吹聴したこともあります。



性格悪くて引いてますか?

34年間、男の人に一度も選ばれたことがないっていう一番の弱みをお話したから、もう怖いものもありません。

え?花音の今ですか?

ふふふ、それが、最近ちょっとした事件が起こりました。ついでですものね、そこまで話しちゃいましょう。

「どうしよう、久実、私好きな人ができたみたい」

話がある、と珍しく夜に呼び出されてカフェバーに集合すると、彼女は開口一番に言いました。

「え?どうしたの、幸雄にはバレてないでしょうね?」

「うん…バレてないっていうか、まだ決定的なことは起こってないの。ただ、その彼から熱心に誘われてて。

会社の人なんだけど。ぐいぐいくるし、私も好きになっちゃったし、もうこのままだと時間の問題っていうか…。こんなこと初めてだから。久実なら幸雄のこともよく知ってるし、止めてくれるかと思って」

私はジントニックをごくごくと飲んでから、グラスを置き、花音の手をぎゅっと握りました。

「花音、もしかして男の人を本気で好きになったの、初めてなんじゃない?」

「え!?そう、そうなのかな?」

動揺する花音に畳みかけました。

「花音はどこか計算して男の人を好きになってるとこ、あったと思う。でも今回は、ダメだとわかってても惹かれちゃうんだよね?

それって悪いことなのかな?ようやく花音が正直になったってことかも。

花音はさ、仕事も成果だして、花奈ちゃんも育てて、すごくよくやってると思う。息抜きの何が悪いの?」

「久実…。そうかな、ありがとう…。うん、たしかに、ダメだってわかっても惹かれるって、ほんとに好きになっちゃったのかもしれない」

私の言葉が予想外だったのでしょう。

花音は驚きながらも、スイッチが入ったように頬に赤みがさしてきました。


きっと彼女は、知る由もないのでしょう。

私が19歳のとき、幸雄に恋をしていたことを。

花音が突如として幸雄に合宿で告白するまで、2年かけて私がほんの少しずつ幸雄との距離を縮めていたことを。

花音に憧れて、毎夜なめるように彼女のSNSを見て、同じ化粧品を買い、エステに行っていたことを。でも、生まれ持った顔が違いすぎて、仕上がりは似ても似つかなかったことを。

仲間と集まるたびに、学生ノリで「昔は久実が花音の面倒を見ていたのに、今じゃ完全に逆転だよなあ」なんて言われて、獰猛な怒りと激しい羞恥で笑顔がこわばることを。

そして先日、花音までもが、あの最高に可愛らしい笑顔で、私の機嫌を取るように言い放ちました。

「久実って、優しいよね。どうして34歳まで独身なんだろう?こんないい子なのに」

私はその時、絶対に結婚してやると心に誓って、この相談所に来たんです。

え?花音とその男のこと、幸雄にバラすつもりかって?

ふふ、そんなことしませんよ。ただ少しずつ、花音が正直になるように背中を押しているだけ。後戻りできなくなるくらいにね。

だって私は、花音の親友なんですから。


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