感染症の流行により、私たちの生活は一変してしまった。

自粛生活、ソーシャルディスタンス、リモートワーク。

東京で生きる人々の価値観と意識は、どう変化していったのだろうか?

これは”今”を生きる男女の、あるストーリー。

▶前回:「彼女がおかしくなっていく…」偏った思想にハマる恋人。男が病気のとき飲まされた水はなんと…



Act7. 3人の王子様

2021年6月


「じゃあ、マサさん。落ち着いたらごはんでも行きましょうね」

「ええぜひ。早く私も和可菜さんに会いたいです」

日曜日の夕方。

和可菜は、マッチングアプリで出会った35歳の医師“マサシ”と、ビデオデートを楽しんでいた。

都内の総合病院に小児科医として勤める彼。画面越しでしか会ったことはないが容姿も職業も、そして優しそうな性格も結婚相手としては申し分のない相手である。

「では、これから当直なので。失礼します」

名残惜しそうな表情の彼に胸をときめかせながら、和可菜も通話終了ボタンを押す。

だが、和可菜は1分もたたないうちに別の画面を開き、再び通話を開始するのだった。

「こんにちは、ともきさん。遅れちゃってごめんなさい…」

画面に映る男は“ともき”。マサシと同じマッチングアプリで知り合った商社勤務の28歳だ。

タバコを吸うという点でマサシよりも多少劣るが、こちらも結婚には不足ない相手。和可菜はこの男性とも交流を深めていた。

それ以外にも、別のアプリで出会った公務員の“俊彦”ともマッチングしている。

実は現段階で、この3人とそれぞれ親しくしている状態なのだ。

大手出版社で女性誌の編集をしている和可菜。愛嬌があり、整った目鼻立ちの彼女は、学生時代は周囲に男性が絶えなかった。もちろん当時は彼氏が途切れたことはない。

しかし、就職してからというのもの―

なんと、その多忙さと女性中心の職場ゆえ、彼氏がまったくできなかった。

そしてあっという間に、和可菜は29歳となってしまう。結婚を見据えた恋人が欲しいと思いつつも、やりがいのある仕事に忙殺されて、出会いがない日々。

だがこのご時世となり、オンラインでの出会いが主流になったので、和可菜の生活にも久々に春が訪れたのだ。


3人との交際を楽しむ和可菜。彼女に決断の時が訪れてしまう…

「え、それって、3股でしょ?」

3人との交際を楽しそうに報告する和可菜の顔を、神楽坂のマンションで同居する大学生の妹・亜希菜は怪訝な顔で見つめた。

「婚活では常識よ。リアルであまり会えないんだもの、いろんな人を見定めないとね」

「疑似恋愛を楽しんでいるだけの気がするけど…」

指摘を図星と思いながらも、和可菜は「違う!」とキッパリと言い張る。

いくつもあるオファーを1つずつ潰していくのは時間の無駄。アプリでの婚活において同時交際は常識だ。効率もよく、まったく罪悪感がないことが気持ちいい。

むしろこの“モテる”状況を楽しみたいのだ。

― それにコロナ前だったら、彼らみたいな人気で忙しそうな人、アポさえも取りにくかっただろうな…。

多忙だった和可菜も、かつては平日の深夜や休日まで仕事をしていることが日常だった。

しかし、この新しい生活様式になってから出社機会は減り、打ち合わせや取材もほぼリモートとなり、時間に余裕ができたのだ。

――「気がつけば、恋人は5年近くいない…。いい加減、寂しいな」

リモート飲みでそんなことを友人に漏らすと、いくつかマッチングアプリを紹介された。

普段ならリアルでもモテる自信がある和可菜は、少々抵抗があった。

しかし暇つぶし程度に登録したところ、たくさんの『いいね!』が届き、思いのほかのめりこんでしまったのだ。





『和可菜さん、そろそろお休みの日に一緒にお食事でもいかがですか?』

3人とのオンラインでの並行交際が3ヶ月ほど続いたある日。公務員の俊彦から届いたメッセージに、和可菜は頭を抱えた。

― 俊彦さん…。イイ人なんだけど、できるなら最後までキープしておきたかったな。

堅実で優しそうだが、趣味も合わず他の2人に比べ収入も劣る彼。正直に言うと、彼らがダメだった場合のすべり止め要員だ。

『微妙な時期なので、もう少し落ち着いたらにしませんか?もし、俊彦さんと会うなら、この前お話ししたあのお店に一緒に行きたいですし』

伝家の宝刀である“落ち着いたら”というフレーズを使いながら、やんわりと和可菜は断った。

しかも以前のデートで話題に出た、予約困難店の話を出し、諦めてもらうよう仕向けたのだ。

だが、彼から返って来たメッセージは、驚くべきものだった。

『そ・れ・が!予約が取れたんです。このご時世なので穴場だったのかもしれません。和可菜さんと行こうと思って頑張りました』

『え…そうなんですね』

彼が予約した日は、次回のオンラインデートの予定日だったので、他に『予定がある』と逃げることはできない。それに、ずっと行きたかった店だ。

― まぁいいか…。美味しいものを食べに行くと考えれば。


俊彦と予約困難店に出かけた和可菜だったが…

俊彦が予約してくれたお店は、中野駅北口にあるオシャレな店構えのマグロ専門店『マグロマート』。

マグロの希少部位をふんだんに楽しめる盛り合わせや、本マグロに生ウニを濃厚に和えた念願の「生うにしょ」を堪能することができる。

少々にぎやかな店内は、逆に気張らず落ち着いて話すことができた。リアルでは初対面だったが、そのことを忘れるほど楽しい時間だった。

「じゃあ。また、誘いますね」

別れ際、駅まで続く路地で俊彦はにっこり笑う。

和可菜が「そうですね。落ち着いたら」とあいまいに答えると、危機感を持ったのか突然立ち止まり、真剣な目で和可菜を見つめるのだった。

「和可菜さん…。結婚を前提に、お付き合いしてもらえませんか?」



― どうしよう…。

回答は次のオンラインデートまで待ってもらったが、リアルに会ってみて、正直この人と結婚して一生添い遂げる想像はできなかった。

むしろ、自分に会いたいがために、このご時世にもかかわらず予約に必死になったことに引いてしまったのは事実だ。

― 俊彦さんしかいない、というなら、選ぶかもしれないけど…。

彼よりも条件のいい相手が選択肢として他にあることが、決断を厳しくさせている。

ならば、この機会だ。本命を選ぶしかない、と和可菜は決断した。



『すみません、折り入って話が…』

さっそく和可菜はデートの約束を取り付けようと、小児科医のマサシにメッセージを送った。

『このご時世に恐縮ですけれど、近々お茶でもしませんか?私、マサさんとの結婚を真剣に考えています』

だが、いくら待っても返事は帰ってこなかった。翌日、彼のプロフィールを見ると、すでに“退会済み”となっている。恐らく、ブロックされたのだろう。

― お医者さんに、リアルに会いたいと言ったのが引かれたのかな…。

モヤモヤしつつも、悩んでいる暇はない。和可菜は商社マンのともきにメッセージを送ろうとすると、ちょうどいいタイミングで彼から連絡が来た。

もしや運命?と思ったのもつかの間、その内容を見て和可菜は驚愕する。

『和可菜さん、こんばんは。こういうことを報告するのは心苦しいですが、並行してマッチングしていた方と、この度結婚を前提とした交際を始めることになりました――』

誠実な謝罪の文面であったが、内容としては今後の連絡を拒否するもの。ぼうぜんとした和可菜は、しばらく画面を見たまま固まっていた。

― 並行交際は、当たり前だとわかっているけど…。

自分も選ばれる立場だった事実を目の当たりにして、愕然とする。

この際、俊彦に決めるべきなのか…。

「いやいや、そんな勢いで妥協できないって!!」

葛藤しながらも、その気は起きなかった。

『この状況が落ち着いて、気軽に会えるようになってから決めたいです』

俊彦にそんなメッセージを送って、この状況をひとまず乗り切ることにした。

そして次の瞬間から、和可菜の手は、自然とまた新しい王子様を見つけるために、スワイプを繰り返していた。

「あ、この人いいかも…」

せめてコロナ前の日常に戻るまでは、気軽にオンラインデートで苦労や気遣いなく男性と交流できるこの状況を存分に楽しみたい。

和可菜は自らに言い聞かせる。「まだ時間はある」と…。

終わらない王子様探し。

たとえ運命の相手は見つからなくても、それで十分な女の姿がそこにあった。


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