これは男と女の思惑が交差する、ある夜の物語だ。

デートの後、男の誘いに乗って一夜を共にした日。一方で、あえて抱かれなかった夜。

女たちはなぜ、その決断に至ったのだろうか。

実は男の前で“従順なフリ”をしていても、腹の底では全く別のことを考えているのだ。

彼女たちは今日も「こうやって口説かれ、抱かれたい…」と思いを巡らせていて…?

▶前回:松濤の高級住宅街から、ホテル街へと通う35歳セレブ妻。女が夫を裏切り続けるワケ



ケース4:最高の男に抱かれなかった女・夏原沙弥(28歳)


「やっぱり、今日は帰るね」

「えっ!?せっかく俺の家まで来たのに、どうして…?」

ベッドイン直前。私が放った一言に、ラルフローレンのバスローブを羽織った智司が絶句している。シャワーを浴びたばかりの彼の髪からは、水滴が滴り落ちていた。

大手映画配給会社の宣伝プロデューサーをしている智司は、4つ上の32歳だ。

彼が携わる作品は次々ヒットしていて、雑誌にはインタビュー記事も掲載されている。エンタメ誌のライターをしている私が、業界の出世株である智司と付き合えたことは、この上ない幸せだった。

「お邪魔しました。また連絡するね」

私はバッグを肩にかけ、今日のために新調したマノロ ブラニクのピンヒールに足を入れる。

「俺、なにか悪いことでも言ったかな。…気をつけて帰ってね」

智司の動揺を背中で感じながら、玄関のドアを閉める。エレベーターに乗り込み、ひと息ついた瞬間。お腹がうずきはじめた。

「やば、痛い…」

私はその場にうずくまり、深呼吸をする。

今夜は付き合って初めて、智司の部屋に足を踏み入れた。…たった1時間ほど前までは、彼に抱かれる気でいたのだ。

それなのに、直前になって帰宅しようと決めたのには、ある理由があった。


なぜ、沙弥は抱かれなかったのか…?

「ここの14階にあるのが、俺の部屋だよ」

今から1時間ほど前の、22時過ぎ。

『ラ・ロシェル南青山』で伊勢海老のテルミドールと小鳩のローストに舌鼓を打ったあと、外苑前駅から徒歩3分ほどの場所に建つデザイナーズマンションへと向かった私たち。

「お邪魔します」

ヒールを揃える手が、震えている。男性の部屋に初めて入るときは毎回ドキドキしてしまうが、今日はいつにも増して緊張していた。

実は智司とどうしても付き合いたくて、いろいろと頑張ったのだ。

彼とは、ある映画の完成披露試写会で出会った。

試写の冒頭、スクリーンの前に立った智司を、最初は司会者かアナウンサーだと思っていた私。すると彼は背筋を伸ばし、凛とした声でこう言った。

「本作の宣伝プロデューサーの斉藤です。これからご覧頂く映画は、きっと皆さんの記憶の中に生き続ける作品です」

その瞬間、智司に一目惚れしてしまったのだ。

彼のことが気になって、映画の内容は全く入ってこなかった。しかし担当するWEBサイト用に激賞する記事を書き、原稿チェックを口実に何度か会う約束を取り付けたのである。

そこからは必死にアプローチをし、晴れてお付き合いすることになったのだった。

「素敵な部屋だね」

智司の部屋には、映画の原作本がズラリと並ぶ大きな本棚があった。さらに天井の高い壁には洋画のポスターが額装され、間接照明でライトアップされている。

「これ、俺が新しく担当する映画」

彼はテーブルの上に並んだ雑誌や書類の中から、来月公開される映画のプレスシートと試写状を手に取った。

「ありがとう。智司が担当したら、今度もヒット間違いなしだね」

すると満足げに微笑み、私をベッドサイドのソファに座るよう誘導してくる。

「俺のおすすめの赤ワインでいい?」

「もちろんだよ。そういえば、今日のお店も美味しかった」

「よかった。俺の店、キャストや事務所の人たちもよく行ってるからさ」



智司はプライベートでも、サプライズや演出を欠かさない。だから取材以外はメイクもせず引きこもって記事を書いている私にとって、彼とのデートはまるで映画の中の出来事みたいだった。

― ズボラなところ、絶対バレないようにしなきゃ。

今日のために下着を新調し、脱毛サロンにも通った。

少し距離をおいて肩を並べ、新作映画の宣伝プランに耳を傾ける。ワインが1本空いたとき、智司が甘い声でささやいた。

「もうこんな時間だね。俺、先にシャワー浴びてきていいかな」

― つ、ついにきた…。

「うん。私もお手洗い借りていいかな」

「もちろん。トイレは玄関の手前にあるから」

智司がバスルームに入ったのを確認して、トイレに向かう。

胸の鼓動が早まるのを感じながら新調したショーツを下ろした、その瞬間。私は声にならない声をあげた。

― 嘘でしょ!?


抱かれる準備万端の女に起きた、悲劇とは

なんと、ショーツが赤く染まっていたのだ。

カレンダーを立ち上げると、予定日より1週間以上早い。こんな大切な日に“あの日”がきてしまったなんて…。

急いでトイレを出ると、さっきまで座っていたソファをくまなくチェックする。

― セーフ。ソファにはついてなかった。

バスルームからは、まだシャワーの音が聞こえてくる。慌ててトイレに戻ると、メイクポーチに常備しているナプキンを装着し、この後のことを考え始めた。

― “あの日”がきちゃったことを、智司に言わないと。

ソファに座り直し悶々としていると、彼がバスローブに身を包んでリビングへと戻ってきた。

「俺、飲むとシャワー浴びたくなるんだよね。沙弥もどうぞ」

智司は私にバスタオルとバスローブを手渡すと、いきなり部屋中に響き渡るような大声をあげた。



「アレクサ!マイ・ハート・ウィル・ゴー・オンをかけて!」

あっけにとられる間もなく、部屋中にタイタニックの壮大な愛のテーマ曲が流れ始めた。

「俺さ。タイタニック見て、映画業界を志したんだよね」

智司はライトアップされたタイタニックのポスター前に立ち、映画俳優のように振り返って微笑んでいる。

「そ、そうなんだ…」

“あの日”が始まったことを言い出すタイミングを失ってしまった私は、ひとまずシャワーを浴びることにした。

― 今日は隣で寝るだけにしよう。それでも幸せだよね。

シャワーからあがると、智司がベッドの前で大きく手を広げていた。

「おいで、沙弥…」

彼は今、完全にレオナルド・ディカプリオになりきっている。仕方なく智司の腕に抱かれ、うつむいたままこう告白する。

「あのね、今さっき生理きちゃって…。今日はできないの」

その瞬間。彼の手の力が、ダラリと一気に緩んだ。

「えっ、そうなの?」

「うん。ごめんね」

顔を上げると、智司は想像もしていなかった言葉を口にした。

「俺は、気にしないよ」

「え?」

智司はギュッと私を抱きしめると、ベッドに押し倒した。

「ちょ、ちょっと待って!初めてだし、終わってからにしたいの」

智司は鼻息荒く「俺は気にしないって」と繰り返す。

「私が気にするんだってば…!」

とっさに出てしまった強い言葉に、智司は私から手を離した。

「ご、ごめん。俺、すごく楽しみにしてて…」

気まずい時間を切り裂くように、マイ・ハート・ウィル・ゴー・オンはサビに突入した。

高らかに歌いあげるセリーヌ・ディオンのボーカルとともに、智司と出会ってから今日までのことが、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

― なんで、今まで気づかなかったんだろう。

「俺の店」
「俺が宣伝を担当する」
「俺、先にシャワー浴びていい?」
「俺は、気にしないよ」

智司の世界は「俺」だけだった。

そのことに気づいたとき、一瞬にして智司への気持ちが冷めてしまった。彼の部屋を飛び出し、外苑前の駅に向かいながらぼんやり考え込む。

今夜、智司に抱かれなかったことは幸運だったのではないか、と。

寝た後に男の本性がわかることは多いけれど。“あの日”がきたときの反応で、男の本質がわかることもある。

こちらを気遣う素振りも見せず「俺が、俺は」と自己中心的な発言を繰り返す男と一緒にいたって、気分が悪くなるだけ。

どんなに自分のタイプであったとしても、抱かれる気にはなれないのだ。


▶前回:松濤の高級住宅街から、ホテル街へと通う35歳セレブ妻。女が夫を裏切り続けるワケ

▶Next:12月16日 木曜更新予定
次回・六本木編。「女は体の関係を持つと好きになる」は幻想か?