感染症の流行により、私たちの生活は一変してしまった。

自粛生活、ソーシャルディスタンス、リモートワーク。

東京で生きる人々の価値観と意識は、どう変化していったのだろうか?

これは”今”を生きる男女の、あるストーリー。

▶前回:バリキャリ女がハマった南国の王子様。東京で同棲を始めると、次第に彼の本性が現れて…?



Act.13 すばらしきこの世界

2021年7月


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」

東京・麻布十番。週末の夜20時――

本来なら、これから街が活気づく時間帯。だが、このご時世はそれを許さない。

フレンチレストランでフロアマネージャーをしている高田凛子は、お客さまの後ろ姿を見送りながら静かにため息をついた。

幸い、時短営業やアルコール提供が禁止とされてからも、予約困難として名が知られている店だけあって客足はまずまずの状況。

しかし、訪れたお客さまに時間を気にせず、存分にワインや食事を楽しんでもらえないことに、申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。



「お疲れさまでした」

21時。新作料理を試作するシェフとオーナーを残し、凛子は店を出て地下鉄に乗り込む。

以前の生活では、タクシーで帰ることが当然だった。心地よい疲れを伴いながら眺める東京の夜景は一日のご褒美であった。

凛子は、この仕事を天職だと思っている。

高校時代、両親と訪れたレストランのサービスに感動し、飲食店に勤務しながら専門学校へ入学。海外での修業留学を経て、2年前に30歳でこの店のサービスマネージャーに抜擢され今に至る。

彼女にとって、食事を楽しむお客さまの笑顔は、何よりのご馳走で喜び…。

それなのに――

「暇よね…」

帰宅後、1人きりの部屋でテレビを眺めながら凛子はつぶやいた。

時短営業で有り余った時間は、研修や改装工事、そして自分も勉強や資格取得などに費やしたが、もう1年以上この状況。

凛子は、すべてやりつくしてしまった。その上、勉強を兼ねた旅行や食べ歩きもできない。

そんな彼女のため息を見計らったように、LINEの着信音が鳴る。

『凛子。久しぶり。もし暇だったら連絡して!』


暇を持て余す凛子に突然来た連絡。その相手とは…?

相手は、高校の同級生・亜希であった。

自粛生活になってから、たまに同窓会がてら皆でリモート飲みをしているという彼女の誘い。凛子は喜んで参加した。

「今なら、凛子は来てくれるかなと思ったの」

画面の中には懐かしい顔が揃っている。10年以上顔を合わせていない友人もいた。久々の再会に互いに歓声を上げる。

「私、全然みんなと時間合わないからね」

そんな凛子の言葉に、友人が前のめりで反応してきた。

「凛子みたいな生活だと、彼氏との時間はどうやって合わせるの?」

「彼氏は長い間、いないかな。数年前に同業の人と交際したことはあるけど…」

「ええー!別れちゃったんだ」

一同が落胆の表情を見せた。実は皆、いまだに独身で仕事一筋の凛子を心配しているのだそうだ。ふと気づけば画面の中のメンバーは凛子を除き既婚者だ。

「仕事、楽しいから。私はこれでいいのよ」

「でも、この状況になって寂しかったりしない?」

大きなお世話、と強がってみたが図星でもあった。

― 仕事がないと、私、何もないんだよね…。

同級生たちは、家族に加え、仕事を持っている者、アイドルの推し活やスポーツなど趣味を楽しむ者もいる。

それに加え、自分は…。

リモート飲みは凛子の参加後、1時間ほどで終わった。物足りなさがあったが、皆、それぞれの生活があるのだ。

凛子はまだ続く長い夜を持て余し、スマホを開く。SNSを眺めていると、ある広告が目に入ってきた。

それは、マッチングアプリのもの。自分の店でも、そのデートとおぼしき男女のサービスをしたことがあり、存在は知っていた。

「これって、いい機会なのかしら…」

凛子は、思わず登録してしまうのだった。



土曜日のランチタイム。通常の世界であったら、絶対に休みなど許されない日時だ。

凛子はアプリでメーカーの営業マン・霜鳥と喫茶店でアポを取った。

「凛子さんは、飲食店にご勤務されていらっしゃるんですよね?」

「はい。麻布のレストランで接客をしております」

穏やかで、物腰の柔らかい霜鳥。

― 初めてにしては、アタリかな?

彼も凛子に好印象を抱いているようだ。この先のことを考えて、胸が高鳴り始める。

「凛子さんみたいな方と、アプリで知り合えるなんて思ってもみませんでした」

霜鳥は緊張しながらも嬉しそうに語る。凛子も同じ気持ちだった。

「私もです。いつもは仕事が忙しくて、人に会う時間がないので」

「え、時間がない…?」

何気なく凛子は時短要請前のタイムスケジュールや、責任ある立場であることを話す。すると彼は目を丸くしたのだった。

「じゃあ…結婚したら、仕事はどうするつもりですか?」


アプリで素敵な人と出会ったと思った凛子だが…

霜鳥はどうやら、飲食店勤務といってもアルバイト程度のものだと思っていたようだ。

「仕事はもちろん続けますよ」

凛子は正直に答えたが、それから会話は途切れ途切れになった。気まずさに耐えかね、早々にお開きを申し出て帰路につく。

― ダメだったかぁ…。結婚したらすれ違いになるものね。

同業の女性で結婚しているのは、相手も同じ飲食業が多い。もしくは結婚したら相手の生活に合わせてパートタイムに切り替えたりしている。

気づけば、もう32歳。

好きな仕事に没頭して気がつかなかったが、周囲は皆結婚し子どももいる。そうでなくても、友人や恋人と遊んだり、趣味を楽しんだりしている人もいて…。

この世界になって、見えてしまった。

周りの、現実を。

人並みの世界を。

― このままでいいのかな、私…。

閉鎖された1つの舞台の中だけで踊っていた自分。普通の世界と足並みをそろえる機会なのかもしれない、と凛子は思った。

気を取り直し、帰りの電車で再びアプリを開く凛子。その目は真剣だった。





以降、スケジュールは婚活のアポで埋まるようになった。だが…立ちはだかったのは、厳しい現実だった。

―「共働きでも構いませんが、夜にずっといないのはちょっと…」

―「生活のすれ違いが続く状況は、うまくいく自信がありません」

―「転職や、時短勤務は考えられませんか?」

アプリやオンラインでの婚活パーティーで出会う男性は昼の職業が中心。結婚や仕事の話が出ると、耳が痛い言葉が続いたのだった。

同業者同士や、特定職種向けのパーティーがあることは知っていたが、その情報を得たのは、お断りが続き何のやる気も起きなくなったころ。

いっそ婚活よりも転職が先ではないかとも思い、凛子は転職サイトを眺めたものの、どの職業をみてもピンとこなかった。


2021年10月


10月25日。時短要請が解除され、アルコールの提供も解禁になった。

引き続き感染対策に力を入れながら、凛子の勤務する店では通常営業を開始する。

「いらっしゃいませ」

早速、凛子はフロアに立ち笑顔でお客さまを出迎えた。胸の片隅に不安を抱えたままで。

― 確かにこの仕事は楽しい。でも、レストランの小さな世界で一生を終えるのかと思うと…。

「お待ちしておりました。杉本さま」

最初のお客さまは常連の老夫婦だった。

凛子が礼をして出迎え、頭をあげる。すると、目の前には見たこともないような満面の笑みがあった。

「本当に私たちも待っていたよ」

「ここの鹿肉のロティとワインを味わうのを待ち望んでいたわ」

落ち着いた雰囲気で、いつも寡黙な2人。彼らのこんなに嬉しそうな表情を見たのは、正直初めてだった。

気がつけば普段は静かで高級感のある店内も、この日ばかりはお客様の笑い声であふれている。

以前より客席は間引いてあるが、満席となったフロアを見渡し、凛子はいつの間にか目頭が熱くなっていた。

― 私の幸せ、って…。

お客さまの笑顔を見て、気づく。

― ずっと夢だったこの舞台で、永遠に夢を見ていられるなら、いっそ、もう醒めなくてもいい…。

「いらっしゃいませ」

凛子は次々とやってくるお客さまを出迎えた。毎日、その繰り返しでも、かまわない。

それが自分の喜びなのだから、という思いを胸に。

もう、迷いはなかった。



世間がかすかに日常を取り戻し始めたある日のこと。凛子は、レストランに見覚えのある男性客がいることに気づく。

何かを感じ、凛子はその男のテーブルへ挨拶に赴く。

「凛子さん…よかった、会えて」

男は、以前デートした霜鳥だった。

お断りをしたものの、それでも凛子のことが忘れられず、気がつけば店の予約を入れてきたのだという。

「本当に素敵なお店ですね。また、来てもかまいませんか」

帰り際の彼の意外な申し出に、凛子はにっこりと微笑むのだった。

Fin.


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