結婚したら、“夫以外の人”に一生ときめいちゃいけないの?

優しい夫と、何不自由ない暮らしを手に入れて、“良き妻”でいようと心がけてきた。

それなのに・・・。

私は一体いつから、“妻であること”に息苦しさを感じるようになったんだろう。

◆これまでのあらすじ

カフェ店員・圭吾と会うことをやめ、夫との暮らしに平穏を取り戻した麻由。しかし夫の元カノかつ交際相手を名乗る女性が現れる。義母に胸の内を打ち明けつつ、悩む麻由だが…。

▶前回:「ご主人を譲ってください」と夫の浮気相手から言われた32歳女。ショックのあまり…



待ち合わせ


― ヴヴッ

金曜日の夜。

残業中、デスクの上でスマホが振動する。

通知を確認して、私は思わず微笑んだ。

「麻由さん?なにかいいことあったんですか?なんだか嬉しそう」

「う、ううん。なんでもないの」

後輩から話しかけられて、慌てて表情を引き締める。

― いけない、いけない。もう1本だけメールを送ったら今日の業務はもう終わりだから、あとちょっと頑張ろう。

頭を切り替えると、目の前のPC画面に向き直った。



「お待たせ。今日はスーツ着てるんだ、珍しいね」

「ああ、商談の関係でね」

待ち合わせ場所の六本木ヒルズに現れた彼は、爽やかに微笑む。

彼は、腕に巻き付けたPANERAIの時計をちらりと見ると「そろそろ始まるから、行こうか?」と歩き出した。

私は上機嫌で、彼の腕に手を絡める。

「圭吾くんと映画、久しぶりだな。なんか嬉しい」

しばらくぶりのデートに、心は高揚していた。


チケットと飲み物、簡単な食事を購入してからシアターに入る。

ほどなくして照明が落ち、映画の予告が流れ始めた。

ジンジャーエールを口に運びながら、隣にいる圭吾くんの横顔を盗み見る。

― 幸せだなぁ。

スッと通った綺麗な鼻を見つめながら、改めて思う。

夫の浮気が発覚し――不倫相手の佑里香が私たちの家を訪ねてきてから、はや2年。

これまでの月日のことを、思い出していた。





2年前


突然家を訪ねてきた佑里香とカフェで話した日。私はスーパーの前で、義母にばったり会った。

それまで、二言目には「孫はいつなのか」と私を責めてきた義母だが、浩平が不貞をはたらいていると知ると、彼女は完全に私の味方になった。

「浩平と続けるにしろ、別れるにしろ…私は、麻由さんの選択を応援するわ。夫婦のあり方は人それぞれだもの」

義母のこの言葉で、私の心がふっと軽くなった。

「私、これまで『夫婦とは、健やかなるときも病めるときも、お互いを一番に愛すべきもの』だって、ずっと思ってました」

「ふふふ。まあ、理想通りにはいかないものよね」

義母の言葉に、私はうなずく。

浩平から一番に愛されたい一心で、甲斐甲斐しく彼の世話を焼いてきたし、浮気にも目をつぶってきたけど…思い描いたようにはいかなかった。

「でもお義母さんの話を聞いて、腑に落ちました。『夫に一番に愛されたい』なんて、思わなければ、楽になれる。夫婦がお互いを常に一番に愛し合う必要なんて、ないですよね」

「ええ。お互いを人生のパートナーだと割り切ってしまって、恋愛は外でする――そういうやり方もあるわ。離婚するのも、それはそれで面倒だしね」

そう、離婚って色々面倒だから、どうも気が進まないのだ。

彼の不貞の証拠写真は、既に押さえている。

それに佑里香との会話も、録音してある。

私は、離婚しようと思えば、いつでもできる。

でも…少しずつ改善してきている浩平との関係のことを考えると、離婚に踏み切る気持ちにはなれなかった。

「私、改めて、浩平とどうしていくか…考えてみます」

「ええ、頑張って。何かあったら相談するのよ」

義母の言葉に励まされたこともあり、私は「もう少し結婚生活を続けてみよう」という決意を固めた。





圭吾との関係


「麻由さん?どうしたの?」

私の視線に気づいた圭吾くんが、小声で尋ねてきた。温かな眼差しに嬉しくなるが、私は「ううん、なんでもない」と首を振って、スクリーンに向き直る。

圭吾くんは、私のことを「麻由さん」と呼びこそするものの、ずいぶん前から敬語を使わなくなった。

2年もこんな関係を続けているのだから、自然なことなのかもしれない。

時々会って、食事やデートをして。たまに、もう少し長く一緒にいることもある。

彼との関係はずっと、そんな感じだ。

私には夫がいる。一方で圭吾くんには、以前は亜美という恋人がいたが、今も続いているのか、もう別れてしまったのかはわからない。

そのあたりは、なんとなく互いに深く詮索しない雰囲気になっている。

あくまで割り切った関係。だけど一緒にいるときは、お互いに思いやる居心地のよい関係。

明確に確認し合ったわけではないけれど、それが、私たちの中での暗黙のルールのようなものになっていた。


夫との関係


「ただいま〜」

「おかえり、遅かったね」

深夜1時。

圭吾くんと映画を見たあと、少し一緒に過ごして、今日はタクシーで帰宅した。

三鷹の家に戻ると、金曜の夜なのに珍しく、浩平が家にいる。リビングのソファにバッグをおろしながら、私は驚いて声をかけた。

「なんで家にいるの?」

「ひどい言い草だなあ、麻由。まさか、今日がなんの日か忘れちゃったの?」

苦笑しながら…でも、とても優しい笑顔で。浩平は、キッチンのカウンター越しに大きな花束を差し出してきた。

「俺たちの結婚5年記念日だよ。麻由、これまで一緒にいてくれてありがとう」

「浩平…!」



感激して、それを受け取る。

白薔薇の豊かな香りが鼻をかすめた。

「俺たち…色々あったけど、たぶん今は、うまくやれてるよな?」

「うん。私は、今のかたちで幸せよ」

にっこりと微笑む。建前でなく、心からの笑顔だった。

「よかった。俺の中で、麻由が大切であることに変わりはないよ」

「うん、私も」

お互いにハグを交わした。

「本当に、色々あったよなぁ」

私を抱きしめながら、浩平が感慨深げにつぶやく。



2年前、義母と話した日の夜。私は浩平に、浮気の証拠を突きつけた。

「離婚しようと思えば、いつでもできるのよ。

でも、私はあなたと関係を続けていこうと思う。そこで、提案なんだけど――」

私は浩平に、「私が浩平の行動に目をつぶる代わりに、浩平も私の行動に口を出さないこと」を求めた。

浩平はそれを受け入れた。だからあの日から、お互いの行動に干渉しない日々が続いている。

浩平は凝りもせず、未だに佑里香と会っているようだ。

一方で私も圭吾くんと会っている。浩平はそれに気づいているようだが、約束通りに、何も言ってこない。

人から見たら、奇妙な関係かもしれない。

「夫婦なのに外に恋人がいるなんて変だ」と感じる人も、いるかもしれない。

でも不思議と、私たちの夫婦関係は、このルールを設けたことで劇的に改善された。

私は浩平に多くを求めなくなったし、彼の方も、なぜだか私に対して優しくなった。

「俺たちは、これでいいよな。麻由だから、いい関係を続けられてる。こんな俺だけど、これからもよろしくな」

「こちらこそ」

浩平の目を見つめてうなずく。

― でも、彼は知らない。

私が未だに、佑里香と彼の不貞の証拠を定期的に集めていること。

― いつか、急に『やっぱり離婚したい』って思う時が来るかもしれないもの。

だから、常に自分が主導権を持てるよう、準備を固めておく。

この2年…妻と女の境界線をさまよいながら、私はそんなふうに考えるようになった。

「浩平。せっかくだし、ワインでも開ける?」

「いいね。久々にゆっくり飲もう!」

無邪気な笑顔で、はしゃぐ浩平。

そんな彼を見つめながら――私は穏やかな気持ちで、微笑んだ。


Fin.


▶前回:「ご主人を譲ってください」と夫の浮気相手から言われた32歳女。ショックのあまり…

▶1話目はこちら:結婚3年目の三鷹在住32歳女が、夫に秘密で通う“ある場所”とは