「あんなに優しかったのに、一体どうして?」

交際4年目の彼氏に突然浮気された、高野瀬 柚(28)。

失意の底に沈んだ彼女には、ある切り札があった。

彼女の親友は、誰もが振り向くようなイケメンなのだ。

「お願い。あなたの魅力で、あの女を落としてきてくれない?」

“どうしても彼氏を取り戻したい”柚の願いは、叶うのか――。

◆これまでのあらすじ
穂乃果の離婚が決まり、賢也は心底嬉しそうな様子で柚に「別れてほしい」と切り出した。そして「正直ちょっと重かった」などと苦言を呈してきた。

▶前回:「妊娠したわ」身勝手な理由で、夫に嘘をついた妻。それを知らされた夫の反応



― 「正直、重かったよ」とか「次の彼氏ができたら、もっと追わせる女になりなね」とか、この期に及んで一体なんなの…?

賢也が言った余計なセリフを、柚は看過できなかった。

― 賢也なんか勝手にすればいいと思ってたけど…もういい、仕返しにあの音声を聞かせる!

あの音声とはもちろん、穂乃果が創に口説かれている音声だ。まんざらでもない様子の穂乃果の声が、ぜんぶ録られている。

さらに創に「他にオトコがいるのか」と聞かれて、「いない」と即答する声も──。

怒りで燃えたぎるような心臓を押さえながら、柚は賢也を見て微笑んだ。

「賢也の言うとおりね。私もっと“追わせる女”を目指すよ」

「うん、そうするといいよ。じゃ、俺もう彼女のところに行くわ。今、夫に追い出されて、ホテルにいるみたいなんだ」

「…わかった。でも、ちょっとだけ待って?」

引き止めると、賢也は面倒くさそうに「なに?」と頬杖をつく。それを横目にスマホを手に取り、創から送られてきた例の音声データをタップした。

「あのね、最後にこれだけ聞いてくれる?ちょうど1週間くらい前の録音なんだけど…」

あやしげに笑う柚を見て不安になったのか、賢也はソワソワした様子でなんども椅子に座り直す。


しんとした部屋にまず響いたのは、創の声だ。

『あ、穂乃果。こっち』

『久しぶりじゃない。急に呼び出してどうしたの?』

音声を聞いている賢也は、無言のまま、眉間にこれでもかというほどシワを寄せている。

柚のスマホから穂乃果の声が流れるなんて、完全に予想外だったのだろう。

『穂乃果って既婚者だったんだね。俺に嘘ついてたわけ?」

『え…ごめんなさい。どうしてわかったの?』

親しげな様子の会話に、徐々に賢也の顔色が青白くなっていった。しかし、音声は容赦なく続き──。



『穂乃果は、旦那のほかに頼れる男はいないんだよね?』

『いないわ、そんなの』

『なら俺が守ってあげる。だって穂乃果、離婚したらひとりでやっていけないでしょ』

『…やっていけない。助けてくれるの?』

その途端、険しいままの賢也の顔が、虚無に変わったのがわかった。

音声は、穂乃果の甘えた声を部屋中に響かせる。

『あぁ、まさか創が戻ってきてくれるとは思わなかった。ずっと連絡も返ってこなかったし、もう私のことなんてどうでもよくなったとばかり…』

『ああ、ごめん。忙しかったんだよ最近。ついこの前まで、イタリアにいたし』

『そうなのね…。ねえ、本当にこれから私を守ってくれる?』

『うん』

…音声が終わると、部屋の中は再び静寂に包まれた。

賢也はしばらく、魂が抜け出てしまったかのような顔で、柚をじっと見ていた。



「…これ、なんの音声?」

弱りきった声で賢也は言う。

柚は首をかしげて「穂乃果さんの声よ」と答えた。

「そんなの、わかってるから」

賢也はいらだちを抑えられないようで、柚を睨む。

「今の声…相手の男はどこのどいつだよ。ソウって言ったか?しかもイタリアって言ったよな?もしかして柚の親友の創か?」

威嚇するような声を出す賢也を無視し、柚は立ち上がった。冷蔵庫まで行ってオレンジジュースのボトルを取り出し、グラスに注ぐ。

「おい…無視するなって。なんでこんな音声持ってるんだよ。まさかとは思うけど、親友の創とグルになって、俺らをからかったのか?」

聞きたいことがたくさんあるようで、賢也はテーブルに身を乗り出しながら鼻息を荒くしている。

しかし質問に丁寧に答えてあげる気など、まったくない。

返事の代わりに柚は「賢也、かわいそうにね」とつぶやいた。

「あのね、穂乃果さんは、この音声の直後に創に心変わりされたのよ。それで、仕方なく創を諦めて、賢也にすがったみたいなの」


「やっぱりあの創なのか…?お前たち、なにがしたいんだよ。気持ち悪いよ」

「そう?気持ち悪い?」

もはやどんな言葉も柚には響かない。

余裕な笑顔を浮かべて話を続ける。

「賢也は、穂乃果さんの第二希望なのよ」

「…第二希望」

賢也は柚の言ったワードを繰り返し、うつろな目でテーブルの上を見つめている。

その姿を横目にオレンジジュースを飲み干した柚は、早くも爽快な気分だった。

「ま、第二希望でも選ばれてよかったじゃん。穂乃果さんとお幸せに」

「…なんだよ、それ」

案の定、賢也の目が曇っていく。

「なんなんだよ、それ」

怒りをぶつけるように繰り返してから、賢也は立ち上がり、スマホと財布だけを手にして玄関へと向かっていく。



賢也は、プライドが高い。だから柚は確信していた。

もし「自分は二番手で、消去法で選ばれた」なんて知ったら…。賢也は落胆し、穂乃果にひどく失望するに違いないと。

― 思ったとおりね。

音声データのおかげで、やられっぱなしで終わらずに済んだ。創に感謝をしながら、賢也のしゅんとした背中を追いかける。

賢也は、靴をはいて、今にもドアを開けようとしている。

「どこに行くの?穂乃果さんのところ?」

「んなわけないだろ。会いたくもねえよ」

賢也はうっとうしそうに吐き捨て、よろよろとした足取りで外へ出て行った。

― たぶん今のが、私たちの最後の会話になるだろうな。

閉まっていくドアを見ながらも、柚はひとかけらのさみしさも感じないのだった。

ひとり残された部屋。

リビングのソファに寝転びながら、のびのびした気持ちで考える。

賢也は、あの音声を聞いてしまった以上、もう穂乃果を愛することはできないだろう。

どんなに穂乃果が言い訳をしたとしても、一度でも自分をないがしろにした女を、賢也が許すことはない。

― 結局、賢也も穂乃果さんも、ひとりぼっちになるのかな。

「重かった」なんて、神経を逆撫でするようなことを言ってこなければ、賢也と穂乃果のことは放っておいてあげたのに。

賢也を不憫に思いながら、ソファから身を起こし、テレビ台に飾ってある思い出の品々を見た。



1年前に一緒に行った旅行の写真やポストカードが、フォトフレームに入って綺麗に並べられている。

「…このときは、本当に好きだったのにな」

一生この人と一緒なんだと、疑いもせずに思っていた。

付き合って4年目で、こうやって縁が切れるなんて、当時はこれっぽっちも想像していなかった。

フォトフレームを手に取り、中にある写真やポストカードをぐちゃぐちゃに丸めて、ゴミ箱に捨てていく。

笑顔のまま、シワだらけになった写真の数々。

ゴミ箱につっこまれたそれらを見て、柚はようやく涙が溢れるのだった。


▶前回:「妊娠したわ」身勝手な理由で、夫に嘘をついた妻。それを知らされた夫の反応

▶1話目はこちら:「あの女を、誘惑して…」彼氏の浮気現場を目的した女が、男友達にしたありえない依頼

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賢也と別れ、新しい部屋に引っ越した柚。創から、ある報告を受ける