東京で生きる、孤独な男女。

彼らにそっと寄り添い、時には人生を変えてくれるモノがある。

ワインだ。

時を経て熟成される1本は、仕事や恋、生き方に日々奮闘する私たちに、解を導いてくれる。

これは、ワインでつながる男女のストーリー。

▶前回:友達と男女の関係になってしまった…。翌朝、気まずい空気が流れるなか、女が放った一言とは



Vol.12 憂いを帯びた瞳


〈プロフィール〉
名前:学(33)
職業:ワインショップ経営


「学さん、こんにちは!今日も暑いわね」

白いポメラニアンのココを連れて、店の外から声をかけてきたのは、常連客のレイラさんだ。

「前回のシャンパーニュ、とっても美味しかったわ。今日はどうしようかな…」

僕は、麻布十番にある小さなワインショップを経営している。

大学在学中に、麻布十番にあるフレンチレストランでアルバイトをしていたとき、深い歴史と伝統を持つワインの魅力に取り憑かれてしまったのだ。

卒業後は、ニュージーランドとボルドーでワインの醸造を経験した。パリの星付きレストランでは、膨大な在庫を抱えるセラーのワインを管理するカヴィストとして勤務した。

そして3年前に、この思い出の地で、世界中の魅力的なワインを集めたワインショップをオープンさせたのだ。

口コミやリピーターで、ありがたいことに多くの人がこの店に訪れる。

― レイラさんとの付き合いも、もう3年になるんだなぁ。

僕は、ワインを選ぶ彼女の横顔を見ながらそんなことを考えていた。


― レイラさん、今日も綺麗だなあ。

アメリカ人の父親譲りの、ブルーがかった瞳。艶々のロングヘア。

彼女の連れている、真っ白なポメラニアンにも負けないくらい、透き通るような、白い肌…。

「今日の夕飯は、青椒肉絲なんだけど。合わせるならどんなワインがいいかしら?」

ココを外につなぎ、店内でワインを選んでいたレイラさんが僕に言った。

「フランスから美味しいカベルネ・フランが入りましたよ。ピーマンとも合いますし、しっかり味付けをした料理にも負けない華やかさと、料理を引き立てる上品さもあります」

「じゃあ、それを頂きます」

「いつもありがとうございます!」

レイラさんとの出会いは、お店のオープンの日。

彼女は今日のように、ココを連れて、店の外から僕に尋ねてきたのだ。



「1989年のワインって、ありますか?」

僕は、いきなりビンテージのワインについて尋ねてきた彼女に驚きつつ、答えた。

「ボルドーの1級シャトーがあります。ただ、うちでもかなり高額な部類のワインになってしまいますが…」

「実は、私の生まれ年なの。ずっと飲んでみたいと思っていたから、それを頂きますね」

彼女は、「また来ます」と笑顔で去っていった。

サングラスをかけ、白いシャツとジーパンというカジュアルな装いでも、芸能人かと思うほどのオーラを感じたことが印象的だった。

後に、レイラさんは有名なホテルやレストランの装飾や、芸能人の結婚式なども任される人気フラワーデザイナーだということを知る。

自宅兼事務所を近所に構えている彼女は、店のオープン以来、月に2、3回は足を運んでくれるようになった。

彼女の来店を、僕はいつしか心待ちにするようになっていたのだ。

ただ、彼女は花を扱う仕事だから、指輪をしてないだけで、結婚しているという話を聞いた。

その話を聞いたときに、僕は少しだけ胸が痛んだが、所詮はお客さんと店員という関係だ。

なによりも、大好きなこの仕事が好きなので、幸せだった。

良いソムリエやワインショップに出会うことは、信頼できる医者に出会うことのように、人生において価値があると僕は思う。

気分や食事とのペアリングももちろん考慮するが、医者が処方箋を出すように、その人が求める心の薬を処方するようにワインを選ぶことを、僕は大切にしてきた。



―2週間後ー

「キャン!」

ココの鳴き声が外から聞こえてくる。

さあ、レイラさんは、今日はどんなワインを必要としているのかな…。

店内に足を踏み入れた彼女の顔を見て、僕は思わず息をのんだ。


レイラさんは、キャップを深く被り、メガネをしていたが、その奥でいつも輝いている瞳は、今日は真っ赤で、目の周りも少し腫れ上がっていた。

「…今日は、どんなワインにしましょう?」

「そうねぇ…、何か飲みたいんだけど…」

彼女は言葉を発しながら、どこか上の空のようにも見える。

「穏やかな気持ちになれる、美しいワインはいかがでしょう?」

僕は、ある1本を提案した。



そして、数日後。

レイラさんは再びお店に訪れた。

「この前は、美味しいワインをありがとうございます」

そして、照れくさそうに言った。

「ワインについて少し調べたら、“ヤマウズラの目”という意味があるんでしょう?あの日、私が目を腫らしていたからあのワインを選んだの?」

僕が、レイラさんに渡したのは『ウイユ・ド・ペルドリ』という名のスイスのロゼ。

ヤマウズラの目の周りが赤く、その色とワインの色調が似ているからその名が付けられた。

もちろん、「何かありましたか?」というメッセージでもあった。

しかし、それ以上に彼女に感じてほしかったことがあるのだ。



このワインは爽やかで、華やかで、濁りのない澄んだ味わいを持つ。

「以前、スイスに行った時に、自然豊かで、このワインと同じような澄んだ空気が流れていたことを感じたんです。そんな美しい空気感を持つのがレイラさんらしさだと思ったので、このワインを選びました」

「そうね、1人で飲んでいて、不思議とじんわり心に染み込んできたの…」

すると、彼女が、ポツリと大粒の涙を流し始めた。

僕が困惑していると、レイラさんは話し始める。

「少し前に、離婚したの。結婚して3年、彼が他に女の人をつくって。でも、夫と付き合い始めた時、彼には長く付き合っている人がいたのよ。その事実は後から知ったんだけど、結局私もその女性から彼を奪ったのよね。自業自得よ」

さらに、彼女は言った。

「仕事でもね、信頼していたアシスタントが突然辞めたのよ。彼女に期待するからこそ、プレッシャーをかけて追い詰めてしまった私の責任」

僕は、彼女を見つめて言った。

「以前、レイラさんの作品を街中で見かけた時に、そのセンスに感動しました。僕は、このお店やワインを通じて僕を表現するし、あなたは花を通じて、あなた自身を表現している」

そして、はっきりと、彼女に言った。

「レイラさん、人生の浮き沈みは誰にでもあります。あなた自身の美しさを、自分で否定する必要はないですよ。レイラさんなら、大丈夫」

レイラさんは、いつの間にか泣きやんでいて、いつもの目の輝きを取り戻していた。

「そうね。前向きになれたわ。ありがとう。営業後、少し時間あります?お礼をさせていただけるかしら…」

「え、いえ、お礼なんて…」

「そうしないと、私の気が済まないから」





「ふぅ…」

レイラさんは、うっすらとかいた額の汗を拭った。

「レイラさん、さすがですね…」

営業終了後、彼女は店の一角にフラワーアレンジメントを施してくれたのだ。

30センチ四方ほどの空きスペースに花を生けただけなのに、コンクリート調のシンプルな店内が一気に華やいだ。

ワインをイメージして白やピンクや赤を織り混ぜたアレンジは、明るい色調なのに艶があり、お酒を飲みたい気分にさせてくれる。

やっぱり、彼女のセンスは、一流だった。

「完成!学さん、本当にありがとうございました!またワイン買いに来ますね」

そう言って彼女は、ココを連れて、颯爽と帰っていった。

― でもまあ、2人で食事でも…なんて誘われることを期待した僕はバカだよな。

すると、遠ざかったはずのココの鳴き声がまた近づいてきた。

そして、レイラさんが、また店に顔を出して僕に言った。

「そういえば、学さん、1989年のワイン、今度一緒に飲みません?」

「…え、89年のワインって、もしかして3年前お店がオープンした日に買ってくださったボルドーの?」

「はい、それです。大切に保管していたら、飲むタイミング逃しちゃって」

実は、1989年は、僕の生まれ年でもある。だから、オープン前から、どんな人にあのワインが購入されるか、楽しみに仕入れていたのだ。

そんなワインを一緒に飲めるなんて…。

「ぜひ!」

「ふふ、良かった。じゃあ、またね」

僕の顔が、ヤマウズラの目に負けないくらい赤くなっている気がするのだけれど…彼女にバレていないだろうか。

遠くで、ココが吠える声がまだ聞こえている。

僕は、彼女が生けた花を見ながら、大きく深呼吸をした。


◆今宵の1本


ドメーヌ・クロワ・デュプレ ウイユ・ド・ペルドリ
(Domaine Croix Duplex / OEil-de-Perdrix)

スイス ヌーシャテル湖畔

ピノ・ノワール100%のロゼワイン。

スイスのロゼワインといえばウイユ・ド・ペルドリといわれるほど、伝統があり、地元で愛されている。

「ヤマウズラの目」という意味があり、その名の通り、目の周りが赤いヤマウズラに似て、美しい赤みを帯びた色調を放つ。

スイスのワインは、ほぼ自国で消費されるため流通量は少ないが、雄大な自然を彷彿させるフルーティーで飲み疲れない澄んだ味わいに、誰もが虜になるだろう。


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