雑誌から抜け出したかのような、美男美女の夫婦。

豪邸に住み、家事や子育てはプロであるハウスキーパーに任せ、夫婦だけのプライベートタイムを満喫する。

世間は、華やかな暮らしを送るふたりを「プロ夫婦」と形容し、羨望のまなざしを送っている。

法律上の契約を不要と語り、「事実婚」というスタイルをとる、ふたりの行く末とは?

◆これまでのあらすじ

慎一と美加は、SNSで多くのフォロワーを集めるインフルエンサーカップル。ハウスキーパー・里実のアプローチに翻弄されながらも夫婦仲は順調だったが、美加から妊娠を告げられ…。

▶前回:「妊娠したの」妻から告げられたおめでたい知らせ。夫がソレを喜べない理由



Vol.6 新しい夫婦


家族で訪れていた、逗子のリゾートホテル。

慎一は、美加からの突然の告白に呆然としていた。

「赤ちゃん…?」

「そう。いま3ヶ月」

愛する妻の妊娠。普通の夫婦なら、手放しで喜ぶものだ。だが、慎一にはそれができなかった。彼女とは2年以上身体を重ね合わせていない。つまり…。

「相手は、誰?」

「慎ちゃんは会ったことがない人よ。でも、その彼とは一緒になれない。なるつもりもない。私の意志としては、授かった命を大切にしたいし、慎ちゃんとも一緒にいたい」

「…え?」

不倫、もしくは行きずりの相手ということなのか。問い詰めようにも、その情報量の多さに考えが整理できず、慎一は言葉が出てこない。

「イヤなら潔く身を引くわ。だから、どうするかは慎ちゃんが決めて…」

言葉を閉じ込めるように、美加はそっと慎一の硬直する手を握った。

「…ちょっと、アタマ冷やしてくる」

呆然としながらその場を立ち去る慎一を、美加は黙って見送った。


― 美加のことは愛している。でも…。

漆黒の海を臨むハーバーの桟橋に腰掛け、慎一はひとり葛藤していた。

“妻に子どもができた。それは夫である僕の子ではない”

その現実が、当然のごとく受け止められない。

― あんなに、仲良かったのに…。

すると、スマホに美加からLINEが入った。思わず開くと、そこには画面を埋め尽くすほどの長文がしたためられていた。



『突然驚かせてしまってごめんなさい。先ほども言いましたが、お腹の子を産みたい。そしてあなたとも、今まで通り一緒にいたいということです』

妊娠したという事実に対してではなく、驚かせてしまったことへの謝罪から始まっていることに、慎一は違和感を覚えた。美加自身は、一切悪いことをしたと思っていないという内心が、この文面に表れていると感じたからだ。

慎一は彼女に対し、不可解と言う名の恐怖心が芽生え始めていることに気づく。長文は続く。

『夫婦として、家族として、最高のパートナーの慎ちゃん。あなたへの想いは恋ではなく、愛情といった方が適切です。

家事を外注しているように、私は恋の部分をアウトソーシングしていたのかもしれません』

男と女、人間と人間。

どんなに相性が良くても、すべての感覚が一致するとは限らない。

でも、彼女だけは、自分たちだけは特別だと慎一は思っていた。それなのに…。

― つまり、僕には恋愛感情を持っていないということか。

慎一と美加は、<我慢しない、強要しない、個人を認めること>を決まり事として、この3年間過ごしてきた。また不満があっても、話し合いをすることで解決して今の関係を築いてきた。

考えてみれば、美加は今回のことでも、慎一に判断を委ね、強要もしていない。美加にしてみれば、自身に対しても我慢をしなかった結果なのか…と慎一は思った。

『私の希望。新しい家族のカタチをこれからも提案していきたい。あなたと』



美加のLINEは、この一文で締められていた。

「新しすぎるよ…」

慎一は、思わず呟いた。

次第に冷静になってきたが、すぐに返信できない慎一は、既読のままLINEを放置した。

だが、彼女へのモヤモヤとした感情を抱くのと同時に「彼女を責めることはできない」と、慎一は罪悪感も感じていた。

心でつながっていると決めつけ、美加を欲求不満に陥らせた。夜の営みがなかったことが、この結果なのではないか…。

証拠に美加は、慎一と今まで通りの生活を続けていきたいという意志を表明している。自分に気持ちがあることの表れではないかと…。

― 僕の責任である部分もあるし…受け入れるべきなのかな。

慎一は、メッセージに返信しようと試みる。だが、やはりいざとなると手が震えてしまう。

すると、手からスマホがするりと抜け、闇の中の海へ落ちていってしまった。

購入したばかりの機種だが、不思議と「まあいいや」と考える慎一がいた。


慎一の決断


「慎ちゃん…慎ちゃん…ああ、よかった…!」

気がつくと、そこはホテルの一室だった。目の前には心配そうな顔をした、愛する妻と娘がいる。

もしかしたら、昨日のことは夢だったのか…そんな希望の光が見える。だが、そんなことはない。

「朝になっても帰ってこないし、電話もつながらなかったから、万が一のことがあったのかと焦っちゃった」

慌てた美加がホテルのスタッフに捜索してもらったところ、桟橋上で倒れるように眠っていたのだという。

「パパどこ行っていたの?お母さん、すごく心配していたよ」

華の悲しそうな顔に胸が痛む。自分が夜中に部屋を出て行った理由を詳しく話せないだけに。

「ごめん…」

慎一は悲劇の主人公のような顔で、華の手をぎゅっと握る。美加もその様子を心配そうにのぞき込む。その時…。

部屋の中に、「ぐ〜」という腹部が収縮する間抜けな音が響いた。30秒を超える長さで。

「…お腹減っているの?」

「そうかも」

重かった空気が一瞬でなごんだ。美加も華も思わず吹き出している。

時計を見ればもう朝の10時すぎだ。

聞けば、ふたりとも慎一のことを心配し、ホテルの朝食にも行かず、彼が起きるまで傍にいたのだという。

心臓がキュッと締め付けられ、その直後、大きな幸福感が慎一を包んだ。

「海の見えるカフェに、おいしいものでも食べにいこうか」

「さんせい!」

彼の提案に、笑顔で返してくれるふたり。それだけで慎一の心は満ち足りた。



チェックアウトを済ませ、その後、3人でホテルの近くにある『ロンハーマン カフェ』を訪れていた。

慎一はチキンオーバーライス、華はキッズプレート、美加は食欲がないと言いながら「好物であるレモンケーキは別!」と、欲張って2つ注文した。

「ねえ慎ちゃん。この後、鶴岡八幡宮に行かない?お守り買いたいの」

「やけに元気だね。昨日は具合悪そうだったのに」

「車酔いもあったからね。今日は、私が家族サービスするわ」

パクパクとレモンケーキを食べる美加の顔を、慎一は一眼レフカメラで撮影した。無邪気な美加の表情に、慎一は改めてときめいてしまう。

ヨットハーバーを臨むテラスで、早めのランチとお喋りを楽しむ3人は誰が見ても幸せそうな家族だ。



『今日も綺麗なボクの相方』

翌日、慎一はスマホを買いに行き、カフェで撮影した美加の姿をInstagramに投稿した。

「憧れの夫婦」「ユキミカかわいい」「ワンピはどのブランド?」などと好意的なコメントが続々と届く。

「楽しかったな、湘南…」

海を臨む場所に一軒家を建て、3人で暮らしたい。そんな未来に夢を馳せる。

― いや、4人、か…。

美加の告白を思い出したくないと、慎一は妄想に逃げ込むも、現実が邪魔をする。だが、具体的に想像すると、それもアリかなと感じてしまうことに慎一は驚く。

― 美加が言う、「新しい家族」。それを貫くのもいいかもしれない…。

契約している広告案件もある。なにより、世間にかわいそうな間男であると思われたくない。そして、ユキミカの夫という称号も手放したくない…。

Instagramへのコメントや「いいね」は秒速で増えていく。その重さを感じながら、慎一はひとまず今の生活を続ける決心をした。

美加はまっすぐな性格なので、産む決意は固めているだろう。誰も不幸にならない手段はそれしかない。

そんなことを考えながら、慎一が投稿を見ていると「いいね」を付けたアカウント一覧に、里実のアカウントのアイコンが浮かんできた。

ヒヤリとするとともに、以前彼女が口にしていた「かわいそう」という言葉の意味を、慎一は理解した。


▶前回:「妊娠したの」妻から告げられたおめでたい知らせ。夫がソレを喜べない理由

▶1話目はこちら:1度結婚に失敗した女が次に選んだのは、収入も年齢も下の男。彼とだったら、理想の家庭が…

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平然と別の男との子を慎一と育てようとする美加。その真意とは…