お金も時間も自由に使える、リッチなDINKS。

独身の時よりも広い家に住み、週末の外食にもお金をかける。

家族と恋人の狭間のような関係は、最高に心地よくて、気づけばどんどん月日が流れて「なんとなくDINKS」状態に。

でも、このままでいいのかな…。子どもは…?将来は…?

これは、それぞれの問題に向き合うDINKSカップルの物語。

◆これまでのあらすじ

梓は夫とともに四ツ谷のマンションに住んでいる。ミニマリストの彼に影響されてシンプルな暮らしを好んでいるが、夫は“FIRE”を目指していて…。

▶前回:「もしかして、夫はケチ?」結婚1年で違和感を感じた妻。挙式も婚約指輪もなかったし…



梓・29歳。夫はミニマリスト【中編】


渋谷にある高層ビルの夜景が一望できるラウンジに、30名程度の人々が集まっている。

今日私は、雄司に連れられて“FIRE”を目指す人の交流会に参加している。

「雄司さん、奥様と一緒に来てくださったんですね!FIREには、家族の理解も欠かせないですからね。ぜひ、色々な人と交流してみてください!」

「大前さん。ありがとうございます!」

快活に話しかけてきた男性に、雄司が上機嫌に返事をする。

大前さんは、このパーティーの主催者だ。シンプルな薄手のニットにデニムというカジュアルな服装で、腕にはApple Watchをつけている。

彼は大学時代にバイトで貯めたお金を元手に、社会人1年目で投資を開始。生活費を最低限に抑えて、その分を投資に回し、35歳でFIREを達成したそうだ。

「あの人、Twitterで有名なアカウントの人だよ。梓、一緒に話しかけに行こう!」

先ほどから雄司は、彼いわく「めちゃくちゃ豪華」な参加者の顔ぶれに、目を輝かせている。そして色々な人に話しかけては、「夫婦でFIREを目指してます!」と私のことも紹介している。

― 具体的な計画について話し合ったことなんて、一切ないんだけど…。

その場では彼の顔を立てて話を合わせるものの、たいした説明もなく連れてこられたのでモヤモヤする。

彼がTwitterで知り合った人と盛り上がっている傍ら、会話に取り残された私は、ドリンクを取りに行くフリをして会場の隅で一息つくことにした。

そんな時。

「梓さん、ですよね?」

1人の女性から、話しかけられた。


「私、大前の妻です。今日はお越し頂き嬉しいです」

彼女の姿を見て、私は驚いた。大前さんの奥様――朋美さんは、大前さんとは対照的だった。一言で言えば、ゴージャスな雰囲気の女性だ。



ウェーブがかかったツヤツヤのロングヘア。綺麗にカールしたまつ毛に、ボルドーのリップカラー。シルエットが美しいブラックのワンピースは、肩にDiorのロゴが入ったボタンがあしらわれている。

私が驚いていることに気づいたのだろうか、朋美さんはクスクスと笑った。

「驚きました?大前と全然、雰囲気が違うから」

「ええ…正直、ビックリしました」

「ふふふ。夫からも、『僕のイメージが壊れるから、パーティーではあまり前に出てこないで』って冗談めかしてよく言われるんです。今日も一応、裏方に徹してるんですよ」

言われてみれば、朋美さんは先ほどから、参加者に飲み物のおかわりを提供したり、空いた食器を整えたりで、参加者とは交流していない。

「梓さん、ご主人の付き添いで来られたんですよね。あまり楽しめてないのかなって、少し心配になったので…思わず話しかけちゃいました」

「す、すみません。FIREについてはまだ勉強中で」

興味がないことを見透かされて、私は思わず言い訳する。しかし朋美さんは予想に反して、「あら」と表情を変えた。

「無理しなくて大丈夫ですよ。私だって、FIREに興味ないですし」

「そうなんですか!?」

「ええ、夫がスタッフを雇わないから、こうしてたまにイベントのお手伝いはしてますけどね。私は仕事が楽しいから、今も会社員として働いてます。彼と違って、ブランド物だって大好きですし。ミーハーを武器に仕事してますから」

偶然だが、朋美さんは私と同じPR業界で働いているのだという。大きなイベントや企業とのコラボ企画をたくさん成功させているそうだ。

― 朋美さんは、私よりも7歳年上だけど…。それを差し引いても、すごい実績!

彼女の眩しい経歴に圧倒されたけど、同時にワクワクもした。

私が転職を経ても一貫してこの業界に関わってきた理由は、仕事が好きだからだ。

最近では、“ミニマリスト”な印象が強いからか…上司から振られる仕事は、それに関わる案件ばかりだけど。彼女の話を聞いて、「もっと色々な案件に挑戦したい」という意欲が湧いてきた。

「でも、大前さんとは喧嘩になったりしないんですか?彼は、『生活費を節約してお金を効率的に投資したい』人ですよね」

「ええ。私は『お金は使ってナンボ』って思想だから、正反対です。でも、貯金は夫婦で別にしているから、お金のことではもめないし…。

何より、お互いに『ここぞ』という時は歩み寄るように意識してますから、意外と大丈夫なんですよ」



普段は節約志向の大前さんだが、記念日や誕生日のお祝いなどはちゃんと奮発して、朋美さんの好みのものを買ってくれるらしい。

逆に朋美さんも、車や家電などの買い替えでは、自分の理想は強く主張せず、大前さんに意思決定を委ねているという。

「お互いのことを理解し合ってるんですね」

今になって、大前さんが最初に言っていた「FIREには家族の理解も欠かせない」という言葉がしっくりきた。

― 私自身はFIREに興味ないけど、彼の意思は尊重したい。朋美さんたちみたいな夫婦になれないかな…。

朋美さんと話をしたことで、「雄司と一度、きちんと話をしてみよう」と私は決意したのだった。


イベント終了後。

「梓、楽しめてた?スタッフの人とばかり喋ってたみたいだけど」

ビルを出て2人きりになった瞬間、雄司が少し不満を含ませた声で尋ねてくる。

「あの人、スタッフじゃないよ。大前さんの奥さんの、朋美さん」

「え、本当?なんだ、それなら挨拶すればよかった。でも、梓がかなり仲良くなってたみたいでよかったよ」

「うん。PR業界の人でね、すごくデキる方だから刺激になったよ。大前さんと考え方は全然違うけど、お互いに尊重しあってて素敵だった。憧れの夫婦って感じ」

教えてもらった朋美さんのInstagramアカウントを開き、雄司に見せた。



PR担当のお手本のようなアカウントで、旬のお店やポップアップイベントの写真がずらりと並んでいる。時々アップされているファッションやインテリアの写真もすごくセンスが良い。フォロワーは3万人を超えていた。

それを見ている雄司の表情が曇っていく。そして、小さな声で「結婚したことは去年ブログに書いてたけど…こんな人だったんだ」とつぶやいた。

「俺はさ。正直、梓がこんなふうにギラギラした感じを目指すのは、ちょっと違うかなって思ってる。俺と一緒にFIREを目指してくれるのが理想だし、仕事続けるにしても、もっとゆるい感じで続けてほしい」

「どうしてそう思うの?」

思わず語気が強まってしまう。朋美さんへの憧れが芽生えたからこそ、自分を否定されたみたいで嫌な気持ちになった。

「だって…俺は、奥さんとはゆったりした暮らしをしたいよ。コツコツお金を貯めて早くリタイヤして、社会に縛られずに好きな時に好きなコトをしたいよ。

とにかく、落ち着いた生活がしたいんだ。ガンガン働いてどんどん消費して、っていうのは、すごく不安定に見えるんだよ」

― 不安定を嫌うんだったら、早期リタイヤだって相当不安定じゃないの?

雄司の言っていることは、矛盾している気がする。FIREを急ぐよりも、会社に所属しながらお金を貯める方が、よほど生活は安定すると思う。

けれど、私はその言葉を飲み込んだ。

― パーティーで活発に情報交換した後だから、雄司も少し熱くなっているのかもしれないよね…。

「雄司の考えはわかったよ。今日はもう遅いから、またゆっくり話し合おう。私たち、時間はたくさんあるもの」

私は、なんとか笑顔をつくる。

幸いなことに、DINKS生活は時間にたくさんの余裕がある。

雄司もいますぐ会社を辞められるほどの貯金があるわけではないだろうし、少しずつ話し合う中で、2人の考えの落としどころを探っていけばいいのだ。

この時は、そう考えていた。





1週間後。

「ねえ、梓。ちょっと、話があるんだけど」

日曜日の朝。キッチンでコーヒーを淹れていたところへ、雄司がニコニコしながら話しかけてきた。

パーティーの日以来、なんとなく気まずかったから、久しぶりの彼の笑顔にホッとする。

「どうしたの?何かいいことあった?」

「うん、ちょっとね。この家を引っ越したいなと思ってさ」

いきなりの発言に驚いた。結婚以来住んでいる四ツ谷のこの家は、55平米という広さでありながら、家賃が月18万円と破格で、2人とも気に入っていた。この辺りでは、同じ広さの物件は25万円前後するのだ。

「パーティーで色々な人と話して思ったけど。俺たち、生活にコストをかけすぎだと思うんだ。まずは固定費から削るのはどうかなと思って」

そう言って見せてきた賃貸マンションのチラシを見て、私は絶句する。

― 北綾瀬駅徒歩5分、45平米、家賃10万5千円…?ウソでしょ!

その他の物件も、どれも賃料は12万円程度に抑えられるが、今よりもずっと都心へのアクセスが悪く、狭くて古い物件ばかりだ。会社が青山にあることを考えても、絶対に今の家の方が良い。

「私、イヤだよ。ここに住んでいたい…」

途端に、雄司が不機嫌な表情になる。

2人の間に、重い沈黙が流れていた。


▶前回:「もしかして、夫はケチ?」結婚1年で違和感を感じた妻。挙式も婚約指輪もなかったし…

▶1話目はこちら:「子どもはまだ?」の質問にうんざり!結婚3年目、32歳妻の憂鬱

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雄司との溝が深まる梓。DINKS夫婦の決断は?