レストランに一歩足を踏み入れたとき、多くの人は高揚感を感じることだろう。

なぜならその瞬間、あなただけの大切なストーリーが始まるから。

これは東京のレストランを舞台にした、大人の男女のストーリー。

▶前回:バツイチ女に訪れた久しぶりの恋愛チャンス。浮かれるあまり、大事なことを見失ってしまい…



Vol.20 隼人(30歳)5年越しの約束


― 9月29日、か。

ベッドサイドに置かれたデジタルの目覚まし時計。表示された日付に、隼人の胸は少しだけ締め付けられた。

ほんの一瞬、美咲のことが脳裏をよぎる。考えても無駄だとわかっているのに。

寝ぼけ眼をこすりながら起き出して、テレビをつける。

歯磨きをしながら何の気なしにテレビの音に耳を傾けると、元気の良い女子アナの声が聞こえてきた。

「おうし座のあなた、今日は運命的な出会いがありそうです!」

再び美咲が、頭をかすめた。

― さっきから何を考えてるんだ、俺は。彼女とはもう、あり得ないんだから。

5年前の今日。

隼人は思いを寄せていた同期の美咲と、こんな約束をした。

「5年後の今日、お互い独身だったらこの場所で会おうよ」

あのとき美咲は、「そんな先のこと、覚えていられるかなぁ。でもわかったよ」と、笑った。

そして5年が経ち、今日はその約束の日。

だが、今となっては美咲があの店に現れる可能性はゼロだ。だって彼女は、3年前に結婚したのだから。

「さてと、仕事、仕事」

隼人は、美咲を頭の中から追い出すように自分の頬を2回叩いた。


恋に落ちた瞬間


美咲と出会ったのは、かれこれ10年も前のことだ。

「やばい、緊張するな…」

現在勤務する大手広告代理店の最終面接。隼人の心臓はドクドクと音を立て、体中から汗が噴き出していた。

― 絶対に受かりたい。

コピーライターを目指していた隼人にとって、ここは一番の正念場。

だが、隼人は面接を前に、極度の緊張状態に陥り、頭が真っ白になってしまったのだ。

ずっと考えてきた志望理由や自己PRが、全然出てこない。何かを考えようとすればするほど、焦りが募っていく。

このままではいけないと、隼人はお手洗いに駆け込んだ。洗面台に立ち、大きく深呼吸する。

何度か深呼吸をすると少しだけ落ち着いた。安堵したのもつかの間、ふと腕時計を見ると、面接時間が刻々と迫っているではないか。

隼人が慌ててお手洗いから飛び出すと、ひとりの女性がハンカチを差し出してきた。



「緊張するよね、よかったら使って」

「えっ?」

突然のことに理解が追いつかずにいると、その女性はハンカチを隼人の手に持たせた。

「お互い受かったら、また会うことになるでしょう。そのときに返してね」

それだけ言うと、彼女はくるりと背を向け、歩いて行ってしまった。

呆然としていた隼人だが、ふんわりと肌触りのいいハンカチに、なんとも言えぬ安心感を覚えた。



「おはよっ」

エントランスで、まだ眠い目をこすりながらあくびしていると、美咲がコーヒー片手に隼人の隣にやって来た。

美咲らしい爽やかな香水の香りが、ふわりと漂う。

晴れて内定を得た隼人は、美咲と同期になった。

ハンカチも無事、内定者懇親会で返却済みだ。美咲がいるかソワソワしていたところ、彼女から「また会えたね」と、話しかけてきてくれたのだ。

そのときの嬉しさと言ったら、今思い出しても心が躍る。

念願叶ってクリエイティブ職につくことになった隼人と、持ち前の明るさと華を生かして営業で活躍する美咲。

“同期”として、仕事は助け合い、夜はお酒片手に愚痴り合う。そんな関係を続けていた。

仲良く、そして心地よい関係。

だが隼人は、自分の気持ちにずっと蓋をして彼女に接してきた。本当は、初めて出会った時から美咲に心を奪われてきたのだから。





「ふぅー、疲れたね」

ある日。

隼人と美咲は、上司から誘われた飲み会の帰り道、新橋近くを2人で歩いていた。

「あの部長、口から生まれてきたのかって思うくらいよくしゃべるよな」

隼人が嫌味っぽく言うと、美咲がハハハッと笑った。

「さっき全然楽しく飲めなかったからかな、もう一杯くらい飲みたくなっちゃった」

美咲の言葉に、これはチャンスと、隼人はすかさず提案した。

「飲んでいこうよ」

こうしてふたりは、『ランデブーラウンジ』を訪れた。


まさかの展開


20時。

『ランデブーラウンジ』には、ピアノの生演奏が響いていた。繊細な音色に、皆ゆったりとした時間を過ごしている。

席に着いた美咲は、緊張する隼人の気持ちなどいざ知らず、マイペースにメニューを開く。

「メニュー見てたらお腹も空いてきちゃった。ちょっと食べてもいい?」

ちょっとと言いながら、マリネの盛り合わせやサンドイッチを頼んだ美咲は、続けて生ビールをオーダーした。

「隼人は?」

「僕も彼女と同じビールを」



「隼人が飲むなんて珍しいね」

美咲は驚いた様子だった。それもそのはず。

隼人は酒に弱く、ビールを数口飲んだだけでも顔が赤くなってしまう。だからいつもソフトドリンクを頼んでいるのだ。

「今日はなんとなく」

格好つけて返したが、ビールを頼んだのには訳があった。

ビールを数口飲んだところで、隼人は美咲に世間話をするかのように切り出す。

「美咲は今、付き合ってる人とかいるの?」

「急にどうしたのよ。今はいないけど」

美咲の言葉に勢い付けられて、隼人はもう一口ビールを飲んで、キュッと拳を握りしめる。

「美咲、俺と付き合ってくれない?」

一世一代の告白を、ストレートにした。勢いで口にしたものの、顔がカッと熱くなる。

恐る恐る美咲の様子をうかがうと、彼女は想定外の行動に出た。小さく目で合図して、ウエイターを呼び止めたのだ。

「隼人、酔っ払ってるでしょ。顔真っ赤だよ。すみません、お水ひとついただけますか」

美咲は酔っ払いの戯言だと受け取ったらしい。

隼人は、ビールを頼んだことを猛烈に後悔した。ビールを飲んだ目的は、酒で勢い付けるためともうひとつあった。

告白して恥ずかしさのあまり顔が赤くなってもごまかせると思ったから。だがそれが、今となっては裏目に出た形だ。

「酔っ払ってないよ」

反論する隼人に、美咲は「そういうところが酔っ払いなのよ」と、取り合ってくれず、その日はそのまま終わってしまった。

帰り際。

告白に失敗した隼人は、タクシーに乗り込む美咲に、最後のチャンスだと、こんなことを口にした。

「5年後の今日、お互い独身だったらこの場所で会おうよ」

「そんな先のこと、覚えていられるかなぁ。でもわかったよ。じゃあまたね」

そんな会話をしたが、2年後。美咲は、大学時代の同級生と結婚し、それを機に仕事を辞めた。彼女とは、それっきり会うこともなくなってしまった。





「思い出に浸りにでも行ってみるか」

仕事を終えた隼人は、なんとなく5年前の約束が忘れられず、帝国ホテル方面へ歩き始めた。

美咲がやって来るなんて、そんなことに期待しているわけではない。

ただ、今や仕事でも会うことがなくなってしまった美咲との甘酸っぱい日々を思い出したい。そんなノスタルジーに浸りたかったのだ。

メインロビーを抜け、あの日以来の『ランデブーラウンジ』に入る。

あの時と同じく、心地よいピアノの生演奏が流れていた。

「懐かしいなあ」

思い出を抱きながら、バーエリアに足を踏み入れた、その時。隼人の視界に、見覚えのある姿が飛び込んできた。

「美咲…?」

思わず漏れ出た声に反応した彼女は、「隼人、久しぶり。遅いじゃない。先に始めちゃったよ」と、カクテル片手に笑った。

「ど、どうして?」

隼人が混乱していると、美咲は指輪のなくなった左手薬指を見せながら答えた。

「1年前に離婚したの」

スッキリした表情の彼女に、隼人の心臓がドクンと音を立てる。

「覚えててくれたんだね」

「ここのお店の名前、ランデブーとかけたんじゃないの?」

ちゃめっ気たっぷりに笑う美咲に、隼人は出会った時から何度目か分からないほどに心をわしづかみにされた。


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