雑誌から抜け出したかのような、美男美女の夫婦。

豪邸に住み、家事や子育てはプロであるハウスキーパーに任せ、夫婦だけのプライベートタイムを満喫する。

世間は、華やかな暮らしを送るふたりを「プロ夫婦」と形容し、羨望のまなざしを送っている。

法律上の契約を不要と語り、「事実婚」というスタイルをとる、ふたりの行く末とは?

◆これまでのあらすじ

慎一と美加は、SNSで多くのフォロワーを集めるインフルエンサーカップル。しかし、美加が元夫との子どもを妊娠したことで、慎一は離婚を決意する。美加と子どもを守るため、自分が悪者になることを決めた慎一は……。

▶前回:元妻の家に行ったら既に別の男がいて…。その光景を見た元夫が思わず取った行動とは



Vol.12 それぞれの旅立ち


「みなさん、こんばんは。ユキミカこと結城美加と」

「森谷慎一です」

ふたりの最後のインスタライブは、笑顔で始まった。

“『ご報告』があります。”と意味深に互いのアカウントで告知したのが開始から3時間前だったが、そんな急にもかかわらず、300人ほどの聴衆が集まっていた。

おそろいの白いシャツで、並ぶふたり。おそらくファンの誰もが、おめでたの報告などの嬉しい方向を予想していただろう。

「実は僕たち、2ヶ月前から別居しています」

慎一は、離婚の原因を自身の不貞だと告げた。

当然のことながら、コメントには慎一を責める意見が相次いだ。

「慎一さんは悪くないんです。私が自由すぎるから…。事実婚にすることも、私の勝手で押し付けて…その結果だと思います」

嘘だらけの関係であったが、美加のセリフ自体に間違いはない。そして、まっすぐな視線で、美加は言葉を繋げた。

「私が言いたいのは、事実婚だから破綻したんじゃなくて、私たちふたりが至らないからこうなっただけだということ。事実婚が悪いわけではありません」


「籍を入れていたら、その制約が多少の抑止力になっていたかもしれません。でも事実婚だから“すぐ別れる”ものだと思ってほしくない、私たちは真剣だった」

そんな意味合いを美しい言葉で彩って、美加は声を詰まらせながら切々と訴える。

美加の涙は、さらに多くのフォロワーたちの心を掴んだようだ。

慎一を責める言葉よりも、次第に美加の今後を応援するというコメントで埋まった。

そして、ふたりは頭を下げ、インスタライブは終了した。



「ごめんね、ありがとう」

配信が終わったあと、美加と慎一はかねてから予約していた『sio』で遅めのディナーをとることにした。

ひと仕事終えた緊張感から解放され、表情はともに柔らかい。

「ごめんね、とは?」

「あなただけ、悪者にしちゃって」

美加は、慎一に素直に謝った。

「フォロワーはみんな、君に夢を見ているんだ。壊すことはできないよ」

慎一も、その謝意を素直に受け取る。

今後のことについて慎一が尋ねると、美加は緑朗とは今後も籍を入れない方針だという。

出産後に子どもの認知はしてもらうが、今まで通りつかず離れずの付き合いをしていくのだと美加は言った。

美加の言葉を静かに聞いていた慎一は、今後の自分についての話を始めた。

「海外に放浪の旅に出ようと思うんだ」

「海外に?」

「日本にいたら、生きた心地しないだろうし。カメラマンとしても人間としても一皮むけたいからね。就活のネタ作りに東南アジアでバックパッカーしたことあるんだけど、すごくいい経験だったからさ」

「ごめんなさい…」

つとめて明るく話す慎一の言葉を遮って、美加は深く頭を下げた。そんな彼女の手を慎一は優しく握る。

「お互いさまだよ」

「本当に?正直に言って」

美加は何かを感づいているようだ。慎一が自ら告白するのを待っているかのように見つめる。

だが、慎一は、真実を一切言うつもりもない。

美加にも、そして、彼女を愛する多くの人にも。

それが自分にとって、最善の選択だと思ったからだ。

― この『結婚』に後悔はない。なにもかも偽りであったが、確かに、なりたい自分になれていたから…。

洗練されたライフスタイルを送り、羨望を集めたいという欲を満たしてくれた美加に、慎一は純粋に感謝していた。

最後のデートタイム。

人気レストランのフォトジェニックな料理にもかかわらず、慎一は写真を撮ることも忘れ、ふたりの時間に夢中になっていた。





数ヶ月後。

コロナ禍も一旦落ち着きを見せ、慎一の渡航の日がやっと決まった。

残り少ない日本での日々を、慎一が有明のマンションで過ごしていたその時。

あの女が突然やってきた。

「みぃつけた!」

宅配便と称され、安易に扉を開けたのが間違いだった。

そこには、満面の笑みで佇む里実がいたのだ。

「…里実さん、なぜここを」

「美加さんの部屋にメモが落ちていたんです」

「え?」

そのまま帰ってもらおうと試みるも、意味深な彼女の発言が慎一をためらわせた。

「私、美加さんの家でまた雇ってもらえることになったんです〜」


里実によると、彼女が辞めたあと、美加は何人かハウスキーパーを雇ったようだ。

しかし、誰も彼女の家でハウスキーパーをこなすハードさについていけず、結局、里実の元に再雇用したいと連絡があったのだという。

「慎一さんから頂いたお金でしばらくのんびりとしていようと思っていましたけど、頼まれたら仕方ないですもんね。でも、普通、自分の夫と浮気したハウスキーパーをまた雇おうと思いますか?」

里実は面白がって、美加のズレた人間性を揶揄する。おそらく美加は、里実と慎一の間には本当は何もないと思っているのだろう。

「つまり、僕はいまだ舐められているのか…」と、慎一は感じた。

「この際だから、関係を事実にしちゃいませんか?」

「できるわけないだろ」

玄関で体を寄せてくる里実を、慎一はきっぱりと拒否した。しかし、里実は動じもせず、驚くべき提案を彼に投げかけた。

「慎一さん、私とネオ・シナジー婚しましょうよ。見せかけでもいいから、一緒に家族を作りません?」

「は?」

「慎一さんは、美加さんを想いながら私と過ごしていればいいんです。私は慎一さんと一緒にいられればそれでいい。ここから美加さんの家に通って働くので、美加さんの情報を逐一お伝えできますよ」

― バカげた提案だ。

慎一は大きくため息を吐く。

“ネオ・シナジー婚”。それはかつて、事実婚に変わる言葉として慎一が生み出した名称だ。

そして、その名にふさわしくあるために、多様性を認めるというお題目のもと、非常識なことも受け入れてきた。

妻である美加が別の男と関係があることを知っても、慎一は夫として家族でいることを継続しようとしていた。

だが、その結果がこれだ。

そこに、信念は実は何もなかったのだと慎一は気づく。

美加には多少それがあったのかもしれないが、慎一は乗っかっていただけ。

個人としては、型にはまらなければ生きていけない、平凡な男だったと、慎一は気づいた。

それに気づけたのは美加、そして目の前の里実のおかげだ。

「お断りするよ。美加によろしく伝えて」

慎一は、強引に里実を追い返した。

そこまでされるとは彼女は、思っていなかったのだろう。

里実もまた、慎一を甘く見ていた。



「ヒドイ!すべて暴露しますからね。美加さんがどうなっても知りませんよ!!」

扉の外で、里実が叫ぶ。

華に対してはうしろめたかったが、不思議と美加に対しての興味が消えていることに気づく。

表層的なものだけを追い求め、軸がなかった。そんな慎一の憧れの象徴が、美加という存在だった。

だからこそ、そんな慎一を見透かしていた美加につけこまれたのだ。過去も、今も、これからも…。

浅はかな自分の殻を破るには、美加から身も心も離れることが一番だと、慎一は確信していた。

幸い籍には、彼女の痕跡は一切ないのだから。



翌週。慎一は日本を飛び立った。

まっさらな土地で、新しい自分を見つけるために。そして、心焦がす、真の美しいものを探すために…。

渡航直前、どうやら里実が美加のことをメディアに告発し、大騒動を見せていることを慎一は知った。

その事実を知ったのは、空港のラウンジで何気なく開いたネットニュースの中だった。

『人気ママモデル・ユキミカのどす黒い裏の顔』
『ハウスキーパーの私は、彼女の生贄にされた……』
『夫を3重に裏切り。人間の心なき社長の資質に疑問』

そんな見出しがスマホの画面に踊っていたが、慎一はどれもクリックする気にはならなかった。もう関係のないことだからだ。

美加から着信通知が何件もあるが、もしかしたらその件なのかもしれない。

でも、慎一にとっては本当にもう関係のないことなのだ。

慎一は、生まれ変わったような晴れやかな気分の自分に驚いていた。



「Ladies and gentlemen, We will be landing at……」

その地への到着のアナウンスが流れ、記念すべき1ヶ国目に到着する。

場所は、アフリカのある国だ。

タラップを降りた途端、空港の向こうの、どこまでも続く長い地平線に沈む夕日に、慎一は目を奪われた。

自然の風景は、人物とは違い、写真よりも実物の方がはるかに美しい。

ネット上の、「作られた輝き」とは真逆の世界だ。

慎一はカメラを構えることさえ忘れ、しばらく眺め続けた。

Fin.


▶前回:元妻の家に行ったら既に別の男がいて…。その光景を見た元夫が思わず取った行動とは

▶1話目はこちら:1度結婚に失敗した女が次に選んだのは、収入も年齢も下の男。彼とだったら、理想の家庭が…