高度1万メートルの、空の上。

今日もどこかへ向かう乗客のために、おもてなしに命をかける女がいる。

黒髪を完璧にまとめ上げ、どんな無理難題でも無条件に微笑みで返す彼女は「CA」。

制服姿の凛々しさに男性の注目を浴びがちな彼女たちも、時には恋愛に悩むこともあるのだ。

「私たちも幸せな恋愛がしたーい!」

今日も世界のどこかでCAは叫ぶ。

◆これまでのあらすじ

フライトで北海道に出向いた七海。現地でクルーたちと待ち合わせしていたところ、元カレの新太から届いたLINE。元気だと返信すると、東京に戻ったら食事に行こうと言われる。曖昧な返事をした七海だが、ちょうどその時、ファーストクラスのお客様、小泉からも連絡が入る。

▶前回:2ヶ月ぶりに元カレから連絡が。ゴハンに行こうって言われたけど、これってどういう意味?

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Vol.9 これってキュンですか?


『小泉:夜分遅くにすみません。秘書から連絡をもらいました』

小泉は、「お礼を受け取ってほしい」という申し出を七海が断ったと聞いて、LINEをしてきた。

『七海:秘書の方にも申し上げたんですが、お気持ちだけで。気にしないで下さい』

メッセージを返信しながらも、そんなに感謝していたなら、現地で言ってくれればよかったのに、と七海はちょっと不思議に思う。

だが、その後に届いたメッセージで腑に落ちた。

『小泉:本当なら現地でちゃんとお礼をすべきだったですが。欲しいものを買い求めた後の嬉しさで舞い上がっていて、そこまで気が回らず…すみません』

『七海:お買い物、楽しめたなら良かったです』

送信した直後、小泉から電話がかかってきた。出ないわけにもいかず、通話ボタンを押す。

「小泉です。LINEだとまた「大丈夫」と言われそうなので、電話しました。もしよかったら、お友達を誘ってうちのホテルに遊びに来ないかな?と思って」

― えっ?ホテルに招待?

七海が即答できずにいると、小泉が「えっと…」と前置きをしてから「旅慣れているCAさんに感想とか聞けると嬉しいし」と言った。

「一応、箱根、長野、別府、あと和歌山と島根にもあるから、好きなところを選んでもらえれば。日程も好きな日を言ってください。今月は忙しいですか?あまり遠くじゃ行きづらいですか?」

「い、いえ、そんなことは…。でもいいんでしょうか?」

七海が申し訳なさそうに聞くと、小泉は「もちろん」と即答した。


「友達でも彼氏でも、誘いたい方がいたら一緒にどうぞ。LINEくれれば、部屋を押さえますから」

七海は空いている方の手で、会社から支給されているiPadをバッグから取り出し、莉里子のほか数人の仲良しの同僚の10月のスケジュールを確認する。どうせなら、同じ日にオフが入っている人を誘うほうが、話は早い。

だが、彼女たちのオフは七海と微妙にズレていた。

「小泉さん、今、オンラインで仲のいい同僚のスケジュールを確認したんですけど、10月はオフが合わなくて…。もし良かったら、私1人でお伺いしてもいいですか?一応、CAですから、1人旅、割と慣れてるんです」

自分の勤めているエアラインなら低料金で利用できるため、七海は1人で気軽にあちこち旅行してきた。

長い休みを利用して、海外ならベトナムや台湾などのアジアを1人で旅行したり、また国内では九州のパワースポットをまわったり。時間に縛られない1人旅は、気ままで楽しい。

― 箱根なら電車でもそんなにかからないし、1人でゆっくりするのに良さそう。

「1泊2日で箱根にお邪魔してもいいですか?」



10月3週目、木曜日。

いつも国内フライトのときに使っているリモワのキャリーケースに、手早くパッキングを済ませ、七海は家を出た。

― ランチに美味しいものを食べて、「箱根 彫刻の森美術館」にも行きたいな。

東海道本線で小田原に向かい、そこから箱根登山バスで箱根湯本に到着した。

箱根の山々はまだ紅葉には若干早い。だが、いつも空の上から見ている景色を地上から見るも楽しい。



― 普段と違うってこんなに解放感があって、リラックスできるのね。

今日と明日は、仕事やプライベートの気になることをすっかり忘れ、箱根を満喫しようと思っている。

日常を切り離し、自分を癒すことに集中したい。七海がそう思うのには、理由があった。

さっきからバッグの中で、ブルっと震えてはメッセージの受信を伝える七海のiPhone。既読にはしていないが、メッセージの送り主はわかっていた。

― たぶん新太ね…一応食事に行く約束はしたけれど…。

今回のオフは3連休。うち最初の2日は箱根で過ごし、3日目の土曜に、元カレ・新太とランチの約束をしている。

突然、新太から連絡がきて食事に誘われた時、七海は「ランチならいいよ」と返答をした。

すると、新太から「去年一緒に行って、七海が気に入ってた七里ヶ浜のイタリアンに行こうよ」と提案されたのだ。

だが、ひどい振り方をして去っていった元カレから、そんな提案されたところで「今更なぜ?」という気持ちが拭えない。

「ゴメン、多分疲れているから近場でお茶か、サクッとご飯にしてもらえると…」と七海がお願いすると、新太は承諾してくれたのだが…。

わざわざ思い出の場所を指定してくるあたり、元に戻りたいとか言われる可能性もある、と七海は予想している。ようやく失恋から立ち直り、前に歩き始めた七海は、複雑な思いだった。

七海はスマホを取り出すと、通知を確認することなく電源をOFFにした。

ランチを富士屋ホテルでとった後、美術館をゆっくり巡り、宿に着いた頃にはすっかり陽が落ちていた。

「お部屋にご案内いたします」

着物姿の女性が先導し、七海は部屋まで案内される。到着してから目にした篠竹がびっしりと植えられたアプローチや、直線的でモダンな和風建築、玄関の室礼など、宿の随所に小泉のセンスが感じられた。

「あ、あの絵!」

七海と一緒に先月ニューヨークで買い付けた絵が、回廊に飾ってあった。

案内された離れの部屋は、シモンズのダブルベッドが鎮座する寝室とリビングルームが続きになっているジュニアスイート。テラスの先には檜の露天風呂が見える。



しばらく部屋でくつろいだ後、食事をする場所まで館内をキョロキョロと見回しながら移動する。案内された場所は、プライベートに仕切られたカウンタースタイルの食事処だ。

― 素敵…。こうなったら徹底的に楽しまなきゃ!

促され着席する七海。目の前のお品書きを一つ一つ見ていると、背後から食前酒が供された。

「今夜は心ゆくまで飲んでください」

「はい、ありがとうございます」と七海が振り向くと…。

― えっ?マジ?

七海の後ろには、小泉が立っていた。

― いつからいたの?

白シャツにスラックスといったスタイルで従業員に混じっていても違和感はない。



「え?小泉さん、今日はお仕事ですか?」

まさか七海1人のために東京からやってくるはずはない。「お仕事」はそんな考えからついて出た言葉だった。

「いえ、七海さんをおもてなししようかと」

小泉は笑いながら答える。

そんな七海をよそに「お隣、ご一緒していいですか?」と断ると、小泉は七海の右隣に腰を下ろした。

突然小泉と夕食を共にすることになり、七海の鼓動が速まる。

だが、先付を突きながら2人の間には、たわいもない話題が行き来し始めた。

お酒が入ると幾分か緊張も和らぎ、お互い自然と敬語が抜けてくる。



「ファーストクラスでは、七海さん仕事の顔してたよね。いつもあんな感じなの?」

ふと小泉が同じ便でフライトした時まで話を巻き戻した。

「いえ、担当するクラスによって大変さは違うけど、ファーストクラスはやっぱり緊張しますね。気を抜いて失敗することもあるし」

「失敗って、たとえばどんな?」

切り子の猪口で冷酒を飲みながら、小泉が聞く。

「うーん、最近はこれといってないけど、新人の頃は、お客様に頼まれたことを飛行機降りてから思い出すっていうのはしょっちゅう。

あとは、気分が悪くなったお客様を介抱している際、お客様が食事をリバースしそうになってしまい…」

こんなにペラペラと自分のことを喋ってしまうのは、お酒のせいだろうか?と七海は考える。



「それでどうしたの?」

「お客様のお洋服を汚すわけにはいかない!ってとっさに思って、私、それを手で受けちゃったんですよ」

小泉は時には笑い、感心しながら七海の話を聞いていた。

「ごめんなさい、食事中に」と七海は謝るが、筆舌に尽くしがたい失敗談など、山ほどある。

ふと七海は小泉のお猪口が空になっていることに気づく。日本酒のお代わりを注ごうと、七海は切り子の徳利に手を伸ばした。

その時。小泉の手が、七海の手を制した。

「今日はいいよ。いつも仕事でやってるんでしょ?」

― えっ?

小泉の口から出た何気ない言葉に、なぜか七海は何も返せずにいた。

七海の手首に触れている彼の手の温度を感じる。

と同時に、胸の奥の方をギュッと鷲掴みにされるような感覚になった。七海は、小泉と目を合わせることさえできず、呆然とする。

「どうしたの?」

七海の顔を覗き込んだ小泉と目が合い、七海は我に返る。

「あ、ごめんなさい。大丈夫です」

そう言いながら、七海の鼓動は意志に反して速くなっていく。

― やだ…こんな言葉でキュンとなっちゃうなんて…。私ってば飲み過ぎちゃったかも。

「CAです」と言うとその場に居合わせた男性の多くは、「さすがCAさん気がつくね」と七海の立ち居振る舞いをほめる。

だが、ともすればCAだから気遣いできるのは、当たり前と思われているのが現実だ。だから『今日はいいよ。いつも仕事でやってるんでしょ?』という小泉の言葉が七海の胸に突き刺さったのだ。

小泉が日本酒リストを見ながら、次の料理に合う日本酒を料理人と相談し始めた。

「小泉さん、私、これ以上飲むと酔っちゃいそうだから、あと少しだけで」

すると「じゃあ次で最後ね。和らぎ水を途中でさすといいよ」とチェイサーをもらってくれた。

小泉は、今までになくリラックスした様子で楽しそうに見える。

そうこうしているうちに、七海の刺激的で想定外の箱根の夜は更けていった。


▶前回:2ヶ月ぶりに元カレから連絡が。ゴハンに行こうって言われたけど、これってどういう意味?

▶1話目はこちら:機内で名刺をもらった28歳CA。ステイ先で連絡したら…

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元カレ新太と食事に出かけた七海。元サヤ?と思いきや彼の口から出た言葉は…