『20代のうちに結婚したほうがいい』

一昔前の価値観と言われようとも、そう考える女性も少なくはない。

そんな焦りにとりつかれ、30歳目前でスピード婚をした広告デザイナー・穂波。

しかし穂波は、すぐに後悔することになる。

「なんで私、焦ってプロポーズをうけてしまったんだろう」

私にふさわしい男は、この人じゃなかった――。

◆これまでのあらすじ

夫・一樹の「支えてもらいたい」というスタンスに違和感を覚えた穂波は、正直に不満を伝える。しかし「結婚前の献身的な穂波は、一体どこに消えたんだ?」と言われてしまう。

▶前回:男友達と2人きりで、深夜まで…。遅くに帰宅した女に、新婚の夫が見せた反応



目が覚めると、穂波はキングサイズベッドの端にいた。

― ああ、夢に颯斗が出てきた。すごくかっこよかった…。

「人妻」なのに、こんなことは許されない。冷や汗をかきながら一樹のほうを見ると、一樹はすでに目を覚ましていて、深刻そうな表情を浮かべていた。

「おはよう。穂波」

眉間にシワを寄せたまま一樹は続ける。

「昨日はごめん。…考えたんだ。昨晩、僕はひどいことを言った。だまされたような気分だなんて、言うべきじゃなかった」

「…いや、私こそごめん」

真剣に謝られると、かえって居心地が悪くなる。

「僕らはお互いに、もう少し歩み寄る必要があるよね。だから、ひとつ聞いてもいい?」

「何?」

「穂波の、理想の夫婦像を知りたい。どんな関係を望んでいるの?」

穂波は、ぼんやり黙り込む。

入籍するまでは、結婚そのものが目的だった。

結婚さえすれば、あとは幸せになれると思っていた。今考えると馬鹿みたいに楽観的だったと、穂波は反省する。

「そうね、強いて言うなら…」

遠慮がちに口を開いた穂波を、一樹は無言でじっと見ている。

「つまり、昨日も言ったけど…。一樹の人生を支えるっていうスタンスは、嫌なの。なんというか…お互いに、独身の頃と変わらないような自由な生活がしたい」

一樹は、失望したように目を閉じる。そして、まっすぐな本音を穂波にぶつけた。


「やっぱり…穂波の理想は、僕の理想とは全然違うね」

鳥の声が聞こえる。爽やかな朝なのに、この寝室は、かつてなく空気が淀んでいた。

「穂波。それってさ、覚悟がないよ。そう、覚悟がない。穂波は、僕を支えたいって言ったんだ。そういう穂波にぐっときてプロポーズしたのに」

一樹の声に、とげはない。ひたすらに悲しみで満ちている。だからこそ、穂波は本気で申し訳なくなってしまう。

「ごめん」

「…いや、俺もごめん。また昨日みたいに辛辣なことを言ってしまった」

一樹はベッドから体を起こした。

「今日の水道業者の対応、僕に任せてね。穂波は、友達の恋愛相談だっけ?いってらっしゃい」

その微笑みからは、穂波への失望以外の感情を読み取ることはできなかった。



11時。

颯斗と待ち合わせて、予約の取れない有名寿司店のカウンターに並んで座った。

― ふう。せっかくのお寿司、気持ちを切り替えて楽しまないと。

険悪な雰囲気のまま、一樹を置いて出かけてきた。颯斗に会ってようやく呼吸が軽くなった気がする。

「突然誘っちゃって、旦那さん大丈夫だった?昨日の今日だし」

カウンターで急に聞かれ、穂波は勝手に居心地が悪くなる。

「う、うん。大丈夫。よくあることだから」

「いい旦那さんだね。最高だよ、ここのお寿司」

そう言った颯斗の横顔。無邪気に笑ったときの目尻。つい釘付けになった。



お寿司は本当に美味しく、颯斗の話にも引き込まれ、あっという間にコースの最後のシャーベットが出てきてしまった。

お腹も心も満ち足りて、最高の気分だ。

手慣れた様子でお会計をした颯斗は、誰と来る予定なのか、1ヶ月後の予約をとっている。

― すごい。ここに通ってるんだ。

思わず、憧れの目で颯斗を見る。一樹には、こういうスマートさはない。

― 颯斗と結婚してたら、こういうお店にたくさん連れて行ってくれたんだろうな。

そのとき、ふと思う。

もし今、一樹と離婚したら…颯斗はどうするだろうか。

もしかしたら颯斗は、喜んで自分と一緒になってくれるのではないか。

そんな邪なことを考えながら、店を後にする。

しかし、浮かれた穂波は、颯斗から思いもよらない言葉をかけられるのだった。


「今日このあと、時間あったりする?ちょっと話したいことが…」

近くのダイニングバーで、仕切り直し。穂波は浮かれ気分で颯斗の隣に座った。

2人分のコーヒーを注文すると、颯斗が切り出す。

「実は今日、彼女と来る予定だったんだ。けど、おっきいケンカをしちゃってさ」

「か、彼女…?そっか、彼女いたんだ」

初耳だ。

ぎこちない反応をする穂波を、颯斗はただ不思議そうに見る。

「あれ、言ってなかったか」

「いや、まあ、いるよね。颯斗、かっこいいし。でも大丈夫なの?代わりに私なんかと来ちゃって。彼女さん怒らない?」

颯斗はまた不思議そうに、首をひねる。

「大丈夫だよ。穂波とは古い友達だし、仕事の関係で出会っただけだし。それになにより、穂波は既婚者だし」

「そう…」

邪な考えが早くも吹き飛ばされ、早くもここから退散したくなる。

― もう帰ろうかな。

しかし、次の颯斗の話に、つい引き込まれる。



「穂波さ、山梨佐奈ってわかる?」

「山梨佐奈…?わかる。クラスが一緒だった」

大学2年生のときに、同じ中国語のクラスを履修していた子だ。

「ああ、じゃあ知り合いか。同じ学部だったもんね。実は、俺の彼女なんだ」

「…え、佐奈と付き合ってるの?」

「うん。1年前からね」

― あの佐奈が、こんな素敵な人と?

佐奈について穂波が覚えているのは、なんだかパッとしない子だったということだけだ。

いつも控えめで、声が小さい。穂波とは共通点が少なく、仲良くなることはなかった。

穂波は、さっとスマホを開く。

中国語のクラスのグループLINEを開くと、佐奈はすぐに見つかった。

薄めの顔立ち。口元を花で隠したアイコン。

― ああ、そう。こんな感じの見た目だった。印象が薄い感じの…。

正直言って、颯斗とはかなり不釣り合いだ。

「佐奈のどこにひかれたの?」という言葉を飲み込んで悶々としていると、颯斗は言う。

「多分、俺らもうだめなんだよなあ。…佐奈に、嫌われたのかもしれない」

「嫌われたの?心当たりは?」

「特にないんだけど…。飽きられちゃったのかな。なんとなく、もう別れる気がするんだ」

颯斗は肩を落とし、うつむいた。穂波は、考えてしまう。

― もしここで颯斗が失恋したら、私にチャンスが巡ってくるかも。そしたら、私は颯斗と一緒に…?



既婚者なのに、こんな想像をするのはどうかと思う。それでも、この鬱々とした結婚生活から抜け出せるのではないかと思うと、心がたかぶるのだ。

そんな穂波の気など知るはずもない颯斗は、佐奈が連絡を返してくれないこと、2人でいても淡白なことを悲しげに話した。

「だから、もう諦めようと思っているんだ」

「…別れちゃっても、颯斗は大丈夫よ。引く手あまたでしょう。そんなに思い悩む必要ないって」

「…ありがとう。穂波の幸せをわけてほしいくらいだよ」

これには、つい無言になってしまう。

「あ、穂波、時間大丈夫?旦那さん、待ってるよね?」

「大丈夫。別に待ってない」

「ならよかった。気を紛らわせるために、なんか飲ませて。付き合ってくれる?」

颯斗はグラスのシャンパンを2つ頼み、話題を仕事に切り替えた。仕事の話も、颯斗の手にかかるととんでもなく面白い。

― やっぱり、颯斗といると楽しい。一樹との日々より、圧倒的に楽しい…。

全力で、気持ちのブレーキを踏んではいる。

それなのに、颯斗を手に入れないと気がすまない。そんな気持ちが湧き上がってくる。

― だって、颯斗みたいな素敵な人に、佐奈はふさわしくないもの。そして、私みたいな魅力的な人に、一樹はふさわしくない…。

目の前に広がっている状況が、ちぐはくなものに思えてきた。どう考えても、颯斗と自分が一緒にいるほうが自然なのではないかと思えるのだ。

― 佐奈とのケンカが収束する前に、私から颯斗に、アプローチしてみようかな。

シャンパンで酔ったせいにして、穂波は試しに、颯斗のほうに体を近づけてみる。

すると颯斗は、即座にある反応を見せたのだった。


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▶1話目はこちら:スピード婚は後悔のはじまり…?30までの結婚を焦った女が落ちた罠

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思い切って颯斗にアプローチ。しかし彼の反応は…