今となっては昔のことですが、港区に沙羅という女が生息していました。

「今夜、食事会あるんだけどどう?」と言われれば飛び入り参加して、必死に“彼氏候補”を探したものでした。

ある日、ようやく彼氏ができて食事会に行かなくなりましたが、その彼にも…。

残念に思って2年半ぶりに港区へ近寄ってみると、そこには以前と全く別の世界が広がっていたのです。

▶︎前回:港区女子に憧れを抱き、実家を飛び出して男に寄生してきた女。10年後、その末路は…。



同棲していた家を出るタイムリミットが、迫ってきた。

元カレから3ヶ月の猶予をもらっていたはずなのに…。時が過ぎるのは、どうしてこんなにも早いのだろうか。気づけば夏も終わり、季節はすっかり秋になっている。

「沙羅さんの場合、家賃の25%は経費にできます。でも実際にどれくらいをオフィスにするかによって変わってきて…」

税理士さんの話を、私はぼうっとしながら聞いていた。

私は今、個人事業主だ。だから家を借りるのはそう簡単ではない。しかも自分が住みたい家のレベルとなると、なおさらハードルが高くなる。

「はぁ…。困ったな」

昨年の売り上げを見ながら、ため息が出てきた。

最近はSNS投稿の案件も減ってきている。焦りはあるのに、解決策が見えてこない。

「ありがとうございました」

中目黒にある税理士事務所を出ると、外は薄暗く曇り空だった。そんな空と同じような気持ちで、私は広尾へと帰ったのだった。


「ただいま〜」

誰もいない、広い部屋のドアを開ける。ここ最近、元カレは出張という名の旅行が増えて、ほとんど家にいなかった。

― これは私と顔を合わせたくないのか、なんなのか…。

八方塞がり状態で思考回路が停止してしまう。焦りばかりを募らせていると、先日デートをした陽太さんからLINEが入った。

陽太:沙羅ちゃん、今週お茶でもどうですか?
沙羅:いいですね!ぜひぜひ。

こうして彼と『ブリコラージュ ブレッド&カンパニー ダイニング・カフェ』でお茶をすることになったのだ。



秋の風が気持ちいいテラス席で、私と陽太さんは向かい合って座っていた。すると彼が、屈託のない笑顔で私に問いかけてくる。

「沙羅さんの家、ここから近いんですよね?」
「はい。…だけど、近々引っ越さないといけなくて」
「そうなんですか?なんで?」

陽太さんにまっすぐ見つめられ、どう返答すべきか迷ってしまう。

本当のことを言えばいいのかもしれないけれど「彼氏から同棲解消を言い渡された」なんて言っても、よく思われないことは明白だ。

「次の更新が近づいてきているんですが、コロナで売り上げが落ちてしまったので引っ越そうと思って。…でも、新しい家が見つからないんですよね」

思わず、手元のカフェラテに視線を落とす。こんな素敵な男性を前にして、家ナシになるなんて恥ずかしくて言えない。

しかしそんな私の葛藤に気づいていない彼が、思いがけない提案をしてくれたのだ。

「僕の友人がちょうど海外転勤になったんですけど、期間が丸2年と決まっていて。その間に家を貸せる人を探しているらしく、よかったら紹介しましょうか?」
「えっ!?いいんですか?」

パッと顔を上げると、陽太さんの背後には後光が差しているように見えた。

「でも港区じゃないですけど、いいですか?」

一瞬、胸がザワついた。でも今の私には、選択権などない。



そもそも、私がどうしてここまで港区にこだわっていたのか。

それは「どこに住んでるの?」と聞かれたときに、優越感に浸れる“港区アドレス”が欲しかったから。そして、まばゆく艶やかな光を放つ港区が、純粋に好きだから。

それからゴルフでピックアップしてもらうときに、みすぼらしい場所やマンションだと恥ずかしいから…。

理由はたくさんある。でも最新の港区事情に、ついていけない自分がいるのも事実だった。

もうこの場所から、私は求められていない…。何度もそう思ったのだ。

こうして私は、陽太さんからの提案をありがたく受け入れることにした。

紹介されたのは、戸越銀座駅近くにあるマンション。狭いけれどセンスのいい家具が配置された、36平米の部屋だった。


「へぇ〜。じゃあ沙羅さんは、今そこに住んでるんですか?」

久しぶりに萌ちゃんから呼ばれた食事会で、私はさっそく洗礼を受けていた。

「そうなの。でも静かだし下町情緒があって、いいところだよ」
「何線ですか?…って聞いても萌、電車乗らないからわかんないかも(笑)」

そう言って萌ちゃんと、隣にいる男性が笑っている。

どうしてだろう。こんなとき、以前の自分だったらバカにされているような気がして焦ったけれど、今日は何も感じない。

「そうだよね。でも住めば都と言うしね」
「とりあえず、沙羅さん頑張ってくださいね♡」

彼女からの応援に曖昧な笑顔を作りながら、私は目の前にある鴨のローストにナイフを入れた。



しかし、そのときふと気がついた。そういえば最近、外食しても全然写真を撮っていない。

以前だったら血眼になって、予約の取れない名店や高級店の料理を写真に収め、熱心にSNSへ投稿していた。むしろ、それが生きがいでもあったのだ。

「自分は素敵なお店で、こんな美味しい料理を食べてます♡」と世の中に誇示するかのごとく、必死だった。

料理が冷めても、気にしない。とにかく写真を撮ることだけが大事だったのだ。

けれどもここ最近、私だけではなく萌ちゃんもあまり写真を撮らない。食事がきたら、楽しく会話をしてその場を楽しむ。

そんな当たり前のことが行われている。

「そういえば萌ちゃんって、あまり写真とか撮らないの?」

そう聞くと彼女は目を丸くさせながら、当然のことのようにこう言ったのだ。

「え?だって今どき、SNSに必死になってるのとかイタくないですか?」



世の中は、移り変わる。あれほどSNSに熱狂していた人々も、いつの間にか少なくなっていた。

思えばバリバリに加工した写真も、もう流行っていない。むしろナチュラルで、ありのままの姿を映したほうが“いいね”がつく。

港区の一部に蔓延していたフェイクな世界も、もしかしたらもう流行っていないのかもしれない。

「リアルな世界のほうが、大事だよね…」

ふと、そんな声が出てしまう。

3年前まで当たり前だったことが、当たり前ではなくなる時代。毎日必死に、映えるモノを求めていたけれど…。今考えると、あれは誰に向かっての牽制だったのだろう。

私はタクシー代を拒否し、二軒目の誘いも断って電車で帰宅した。

深夜の戸越銀座駅に降り立つと、なぜかホッとする。そして思わず、駅前のなんの変哲もない写真を撮った。

どこにも載せないし、誰にも見せない写真。でも自分の中で、大事な1枚になった。


▶︎前回:港区女子に憧れを抱き、実家を飛び出して男に寄生してきた女。10年後、その末路は…。

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動き始めた“元・港区女子”が、見つけた居場所とは