東京…特に港区は、ウソにあふれた街。

そんな港区を走る、すこし変わったタクシーがある。

ハンドルを握るのは、まさかの元・港区女子。美しい顔とスタイル。艶のある髪。なめらかな肌…。

乗客は皆、その美貌に驚き、運転席の彼女に声をかける。

けれど、彼女と話すには、ひとつルールがあった。

「せめて乗車中はウソ禁止です」

乗客たちは、隠れた本音に気づかされていく――。

▶前回:「今頃、彼女は他の男と…」同居中の女から“2時間だけ出ていって”と家を追い出され…



西麻布〜羽田空港 菅家涼太を乗せて


タクシードライバーの稼ぎ時は、終電がなくなったあとだ。

だから多くのドライバーが昼から夕方にかけて出勤し、翌日の朝まで働く。

今夜も、舞香の運転するタクシーは、多くの客を乗せている。

― 今日もほとんどのお客さまに、話しかけられたな。

いつものことだ、と舞香は思う。客のほとんどが、ドライバーが若い女性だと気づいて、声をかけるのだ。

舞香は「乗車中はウソ禁止です」といつものルールを提示し、客たちと束の間の会話を楽しむ。

ウソ禁止。

そのルールを客に求める以上、舞香もそれに従ってきた。

タクシードライバーとなって、まもなく4年になるが、舞香は車内でウソをついたことがない。

― でも今日、初めてウソをつくかもしれない。

今日ラストのつもりで拾った客を見て、舞香はそう思わずにはいられなかった。

西麻布は、すでに夜が明けていた。


スーツ姿のその客は、急いでいる様子だった。

西麻布の交差点近くにタクシーを止めて先客の会計をしていると「次、いいですか?」と、車外から尋ねてきたのだ。

― 聞き覚えのある声…。

そう思うと同時に、彼の顔を見る。

「…」

時が止まったように、舞香は返事ができなくなった。

「あの、次乗せてもらってもいいですか?」

男性客はもう一度、尋ねてくる。その際、舞香の顔は見ようともしなかった。本当に急いでいるらしい。

「どうぞ」

ドアを開け、男性客を招き入れる。

「ありがとうございます」

そう言った男性客の顔をもう一度バックミラーで確かめ、間違いないと思った。

菅家涼太だった。

「羽田空港までお願いします。朝イチの便に乗るんです。急いでもらってもいいですか?」



舞香は混乱していた。

六本木通りをUターンして、高樹町から首都高速道路に入る。谷町ジャンクションで右折するまで、頭が真っ白だった。

20歳から港区で生きてきた舞香が、数多く出会った男の中で、唯一本気になった相手。

それが涼太。

かつて恋人同然の関係だったものの、正式には交際しなかった。

男性側から口説かれてばかりで、人生で一度も自分から告白したことがなかった舞香は、フラれるのが怖くて、あと一歩を踏み出せなかったのだ。

そしてそのうち涼太は突然、アメリカへ旅立った。

「また港区で会おう」と言い残して―。

あれから、4年が経つ。

舞香がタクシードライバーになったのは、涼太と再会するためだ。

思い立ったきっかけは、偶然にも同じ運転手のタクシーに2度乗ったこと。

アメリカに旅立つ涼太を追って羽田空港に向かったものの、間に合わなかった舞香に、そのときの運転手は言った。

「会えますよ。ご縁がある人ならきっと会えます。僕がお客様と再会できたように」

― たしかにタクシーを運転していたら、偶然の再会があるかもしれない。

だから、舞香はタクシードライバーになった。

とはいえ内心では「会えるわけない」と思っていた。それなのに一縷の望みをかけてしまう自分を、情けなくも思った。

「どれだけ未練があるの?」と自分で自分を笑った。

― でも今まさに、このタクシーの後部座席に、涼太さんがいる…。



タクシーは芝公園を通過した。まもなく、朝焼けに照らされるレインボーブリッジが見えてくる。

ここに来てようやく、舞香の混乱は収まってきた。

バックミラー越しに、涼太の様子をうかがう。

― 涼太さんは、私がここにいるって気づいてない…。

それもそうだろう。4年前に離ればなれになった“友達以上恋人未満”の女が、まさかタクシードライバーとなって再び現れるなんて思うはずがないと、ひとり納得する。

― 話しかけてもいいんだろうか…。

臆病な心の声。

― すぐに話しかけたほうがいい!だって、そのためにタクシードライバーになったんでしょ?

それに強気な自分が返答する。

聞きたいことは、山ほどあった。

4年前、なぜ突然アメリカに発ったのか。その後、どうして連絡をくれなかったのか。いつ日本に帰ってきたのか。

帰国したことをどうして連絡してくれないのか。

どの質問も「だって俺たち付き合ってたわけじゃないだろ?」と言われたら、それで終わってしまうものばかりだ。

― やっぱり、話しかけるのは怖い。

臆病になった舞香が思い返すのは、このタクシーの中で出会った、様々な客たちのことだ。

彼たち、彼女たちは「せめて乗車中はウソ禁止」という舞香の言葉に従い、本音を打ち明けてくれた。

自分だけがそのルールを破ることなど、できない。

― 失礼ですが、菅家涼太さんですよね?柊舞香です。覚えていらっしゃいますか?

ただ、そう言えばいい。

― それだけのこと。なのに…。

何も言えないまま、タクシーはレインボーブリッジに差しかかる。

するとそのとき、涼太が唐突に話しかけてきた。

もちろん、ドライバーが舞香だとは気づかないままに…。

「実は今日、結婚式なんです」


「えっ…?」

“結婚式”とはっきり聞き取れたが、聞き返した。その言葉の意味することを、考えたくなかったからだ。

「今日、結婚式なんです」

涼太はもう一度言った。

「…お客様の、結婚式ですか?」

「はい。俺の結婚式です。沖縄で挙げるんです。でも飛行機に乗り遅れそうで…」

笑う涼太を見て、舞香の頭は、再び真っ白になる。

乗せている客は本物の涼太ではないかもしれないと思い、バックミラー越しであらためて見るが、まぎれもなく本人だ。

「沖縄まで、おひとりですか…?」

自分でも何を聞いているのだろう、と思いつつも会話を続けたかった。沈黙すれば、混乱と絶望が深まるだけだから。

「はい。妻は先に沖縄で待っています。

俺は仕事があったんでギリギリまで東京にいるしかなくて…。けど案の定、飛行機に乗り遅れそうです」

涼太はまた笑う。

あの頃と変わらない、穏やかな笑い方だった。



舞香は、涼太を再会する日を、心待ちにして生きてきた。

再会できる可能性は低い。しかし、もし再会できたら、それは奇跡であり運命。きっと恋仲に戻れる。どういうわけか、そう信じていたのだ。

― 涼太さんに新しい恋人ができていて、まさか結婚するとは…。

すこし想像すれば簡単に気づくことが、舞香の頭にはなかった。

涼太のことになると、冷静さを失うのだ。4年前からなにも変わっていない、と思う。

― 奇跡なんて、そう起きないよね。起きるわけがない。

タクシーがレインボーブリッジを渡るころには、もうあきらめていた。

「乗車中はウソ禁止」

多くの乗客に守ってもらったルールを、舞香自身が破ることを決めた。

本音は言わない。

自分が、柊舞香であること。

涼太と再会するためにタクシードライバーになったこと。再会できたら、もう一度やり直せると思っていたこと。

すべての想いを告げずに、捨てることにした。

4年前のあの日、涼太を追って羽田空港へタクシーで急行したが、間に合わなかった。

そして今、結婚式へ向かう涼太を飛行機に間に合わせるため、羽田空港までタクシーを走らせている。

あのとき言えなかった想いを、今も言えない。皮肉なものだと思う。



「あ、ダメだ…」

タクシーが湾岸線に入ったころ、涼太が唐突に呟いた。

「飛行機の時間、まちがえてた…」

「…えっ?」

驚き、思わず声が漏れる。

スマホを見ながら、涼太はもう一度言った。

「飛行機、もう飛び立っていました…」

運転スピードが遅くて間に合わなかったのかと申し訳なく思ったが、どうもそうではないらしい。

「予約したチケットの時間を、勘違いしてました。タクシーに乗るときには、すでに飛行機は飛び立っていました…」

呆気に取られたが、すぐに心の中で笑った。

舞香が知る涼太は、いつもこの調子だったから。

アメリカに発つときも「ニューヨーク」と「ロサンゼルス」と混同していたぐらいなのだ。

クスッと笑い声が漏れそうになるのをなんとか堪え、聞く。

「どうなさいますか?このまま羽田に向かってもよろしいですか?」

「はい。スマホでチケット取り直すんで、羽田に行ってください」

「かしこまりました」

羽田空港に到着するまでに、涼太はチケットを再手配できたようだ。

「よかった。この便でも結婚式にはギリギリ間に合いそうです」

「そうですか。よかったですね」

間に合うことに、少しガッカリした。そんな自分を、嫌なやつだと思う。

「ありがとうございました。なんだかんだで、なんとかなりました」

ターミナルに到着し、会計を済ましながら涼太は言った。

領収書とお釣りを渡し、普通ならそこでお別れ。一期一会の運転手と客。

だが、涼太は普通の客ではない。

会いたくて会いたくて仕方なかった相手だ。

舞香は、いざ別れのときとなり、やはりいても立ってもいられなくなった。

「飛行機は、何時の便ですか?」

「あと1時間後です」

「そしたら少しだけお話できますか?」

「えっ?」

今度は涼太は驚きの声をあげた。

― 言ってはいけない。言ってはいけない。

臆病な心が語りかけてくるが、口は勝手に動く。

「菅家涼太さんですよね?」

「そうですが…えっ?どうして俺のこと知ってるんですか?」

「覚えていますか?」

舞香は初めて後部座席の方に振り返り、涼太を真正面から見つめた。

「私、柊舞香です」

涼太の表情が一変した。

「舞香…」

涼太はつぶやいた。

「よかった。覚えてくれてたのね」

舞香は言った。

「5分だけでいいから、私と話してくれる?」


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結婚式を目前に控えた涼太へ、舞香が贈る言葉とは。