『20代のうちに結婚したほうがいい』

一昔前の価値観と言われようとも、そう考える女性も少なくはない。

そんな焦りにとりつかれ、30歳目前でスピード婚をした広告デザイナー・穂波。

しかし穂波は、すぐに後悔することになる。

「なんで私、焦ってプロポーズをうけてしまったんだろう」

私にふさわしい男は、この人じゃなかった――。

◆これまでのあらすじ

颯斗から、恋人として隣にいてほしいと言われた穂波。急遽デートに行き、流れで一晩泊まってしまう。夫の一樹には『同僚の花苗の家に泊まる』とウソの連絡を入れたが、翌朝、その花苗から着信が…。

▶前回:離婚寸前の夫に内緒で外泊。翌朝、女のスマホを鳴らした意外な人物とは



「もしもし?」

穂波は、花苗からの電話におそるおそる出る。

「穂波?久しぶり。あのね、今一樹さんが職場に電話してきたの」

「え?」

「『穂波、元気ですか?』って急に聞かれたから、最近は会ってないって言っちゃったんだけど…もしかして、まずかった?」

花苗は声をひそめる。

「なんか、浮気の心配してるっぽく見えたけど…。もしかして穂波、まだあの広告事務所の社長と…?」

詮索が不快で、電話を一方的に切った。

― もしかして一樹に、嘘がバレた…?

焦りがこみ上げてきたとき、1件のLINEが入る。

一樹:出社せず待ってます。大至急、家に帰るように。

朝風呂を楽しんでいた穂波は、立ち上がり、バスタオルで体をふいた。

「いい朝だったのに、最悪」

まだ寝ている颯斗の枕元に「実家の親が、急用があるみたいなので帰ります」とのメモを残し、バタバタと部屋を出る。



麻布のマンションに到着すると、妙な緊張がこみ上げてくる。

― なんて言おう。男といたことは、なんとか隠さないと。離婚するにしても、財産分与は手に入れたいし。

ドアを開けるとすぐそこに、一樹が真顔で立っていた。

「楽しかった?」

「え?」

「広告事務所の社長さんとのデート」

― は?なんでバレてるの?

花苗が言ったに違いなかった。

「ねえ、穂波は知らないのかもしれないけど、それ、不貞行為なんだよ。だから、今出ていくか、その男と二度と会わないか選んで」


一樹は仁王立ちしたまま、無表情で穂波を見下ろす。

彼の提示した2択に対しての答えなど、はじめから決まっていた。

「…出てくわ。私たち、もう終わりにする」

「そう。なら離婚届を準備するよ?お互いに、両親に報告しなきゃだよ?」

一樹の声は震えていた。それが怒りのせいなのか、悲しみのせいなのかは、判別がつかない。

「離婚届ね。わかった、準備しといて」

一樹は「最低すぎるな」と吐き捨てるように言った。

玄関のドアをそっと閉め、逃げるようにエレベーターホールまで引き返す。

― 仕方ないじゃない。私は、私にふさわしい人を見つける努力をしたまでよ。…私にふさわしくなかった一樹のほうに、問題があるんじゃない?

時計を見ると、まだ10時前だ。

気持ちを切り替えて、颯斗に電話をかけた。

「もしもし、颯斗?まだホテルにいる?」

「うん、いるよ」

「よかった。今日、予定通りデートできるわ!」

「え、実家の急用、大丈夫だったの?」

「うん。大丈夫!」

穂波は、はやる気持ちを抑えて、颯斗のもとへ急いだ。





翌週、金曜の昼過ぎ。

近所のデパ地下で買い物を済ませた、帰り道。

穂波はタクシーの後部座席で、左手の薬指に輝く新しい指輪をうっとり見つめた。

あの日、一樹から逃げるようにホテルに戻ったあと、颯斗は穂波をドライブデートに連れて行った。

葉山で海岸を散歩したり、ランチをしたり。そして夜になると颯斗は、横浜の大さん橋で、カルティエの指輪ケースを開きながら、こう言ったのだ。

「穂波のことが本当に好き。結婚を視野に入れながら、付き合ってくれる?」

あれから1週間。同棲は至って順調。笑いが絶えない毎日だ。

「ほんと、毎日幸せ」

マンションの車寄せに着き、後部座席のドアが開いた、そのとき―。

佐奈が立っていることに気づく。

「…え。佐奈?なんで?」

穂波は、早足で佐奈に近づく。



「これ」

見ると、オパールの飾りがついたヘアアクセサリーが、佐奈の手のひらに乗っていた。いつか颯斗と寝た日に部屋に置いてきたものだ。

「穂波のなんでしょ?やっぱり颯斗と、付き合ってるんでしょ?」

「…そうよ」

今さら嘘をつく理由もないだろう。目をそらしながら答えた。佐奈は、口先だけを小さく動かす。

「穂波さ、ちょっとどこかで2人で話さない?」

「ごめん。佐奈と話すことなんて、なにもない」

「じゃあ立ち話でいいから、ちょっとだけ話させて。…いま、颯斗はどこ?」

「会社よ」と、ぶっきらぼうに答える。

「よかった。あのさ、穂波、結婚してるんじゃないの?本気で颯斗と一緒になるの?」

― なに?

今さら、惜しくなったというのか。

「どうしたの?颯斗をふったこと、今さら後悔してるの?もう遅いよ。私、今の旦那とは離婚するから」

「別に後悔してるとかじゃなくて」

「残念だけど」

穂波は、佐奈の声を無理やりさえぎった。

「あきらめて。…恨むなら、私じゃなくて、冴えない自分の見た目を恨んでね」

佐奈は、軽蔑したように穂波を睨んだ。

「なによそれ…もう知らない」

あきれ顔で去っていく後ろ姿に、穂波は勝ち誇った気持ちになるのだった。




「あんた不倫したの!?」

母親に呼び出されたのは、その夜のことだ。

電話越しに金切り声で「今からうちに来なさい」と言われ、しぶしぶ実家に帰る。両親は、揃って深刻な表情をしていた。

「そんな大袈裟な顔しないでよ。もう私たちの間では、話はまとまってるから」

なだめようとすると、母親は叫んだ。

「大袈裟なことがあるもんですか!一樹さんのお母さまから電話があって、謝りっぱなしなのよ」

「…ごめん」

「もう謝り疲れたわ。先方も『最悪な展開だけど、離婚は早いにこしたことはない』っておっしゃってるから、すぐ準備しなさい」

「うん」

そのとき父親が口を開く。

「今は、その“広告事務所の社長さん”と、一緒に暮らしてるのか?」

「まあね」と穂波は急に、誇らしげに微笑んだ。

「颯斗ていうの。今度紹介するね。素敵な男性よ。見た目はかっこいいし、話も面白いし。

ああいう人こそ、私にふさわしいオトコだったのよ。お父さんもお母さんも、会ったらしっくりくると思う」

満面の笑みで自慢げに言う穂波を見て、両親は、当惑した様子で顔を見合わせるのだった。



― 早く離婚届を出さなくては。

実家を出て、さっそく一樹に電話をかける。

「あの…離婚届、いつ書くか相談したくって」

「ああ。僕も連絡しようと思ってた」

疲れ切ったような声で一樹は言った。

「じゃあ週末、一瞬こっち来れるか?紙は用意しておく。記入して、この部屋の荷物をぜんぶ整理してほしい」

「わかった」

電話越しでもわかる、憔悴した様子だ。

「一樹、大丈夫?」

思わず心配してしまったが、愚問だったとすぐに気づく。一樹は鼻で笑いながら、何も答えないまま電話を切った。



実家から颯斗の家に戻った穂波は、ひどい疲れを感じていた。

佐奈に待ち伏せされて、実家に呼び出されて、さんざんな1日だった。

「ただいま、颯斗」

穂波は、寝室にいた颯斗の枕元にしゃがみ込む。

「遅くなってごめんね。あと明日、一旦もとの家に帰るわ」

「えっなんで?」

「離婚届の準備。それから荷物の整理」

「そう。…すぐ帰ってきてね。元旦那と長くいられたら、不安になる」

颯斗はハの字眉で、穂波に手を伸ばした。

なんてかわいい人なのだろう。そう思ったそのとき、枕元で充電していた電話が鳴る。

見ると、電話は佐奈からだった。

「出ないの?誰から?」

「うん。ちょっと…」

颯斗の前で、佐奈と電話などしたくなかった。イライラしている可愛くない自分を見られるのも嫌なのだ。

わざわざ自分の部屋に移動して、電話に出る。



「もしもし?なに?」

「ごめん穂波。遅くに電話して」

「ちょっとしつこいよ。残念だけど、ホントにあきらめて」

「…どうして、話も聞いてくれないの?」

「何を話す必要があるのよ」

電話を切り、寝室に戻った。

颯斗はベッドから出て、立ち尽くしている。「誰からの電話?」と不服そうに聞いた。

「友達よ」

「え?友達で、あんなにコソコソする?」

颯斗は、「見せて」と手のひらを出してきた。

躊躇していると、無理やりスマホをとられる。そして手首をつかまれ、指紋認証を解除されられた。

「え、佐奈から…?」

みるみるうちに顔面蒼白になった颯斗からは、意外な一言が出てきた。

「佐奈から、何を聞いたの?」

「え?」

「…俺と別れた理由を、聞いた?」

「いや、なにか言いたげだったけど、切っちゃった。え、なに?別れた理由って?なんかあるの?」

颯斗は、質問には答えず、怪しげににんまりと笑った。

そして、佐奈のLINEを勝手にブロックした。


▶前回:離婚寸前の夫に内緒で外泊。翌朝、女のスマホを鳴らした意外な人物とは

▶1話目はこちら:スピード婚は後悔のはじまり…?30までの結婚を焦った女が落ちた罠

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最終回:佐奈はずっと、あることを必死で伝えようとしていた…