松坂由里香は、パーフェクトな女。

美貌。才能。財力。育ち。すべてを持つ彼女は、だからこそこう考える。

「完璧な人生には、完璧なパートナーが必要である」と。

けれど、彼女が出会う”未来の夫候補”たちは、揃いも揃って何やらちょっとクセが強いようで…?

松坂由里香の奇妙な婚活が、いま、幕を開ける──。

▶前回:「バツあり男性も全然OKだけど…」婚活女子が絶対に受け入れられなかった、彼の離婚理由



Vol.7 健康的な男


長引いた風邪がやっと治った由里香は、病み上がりのだるい体を引きずって1週間ぶりに出社していた。

― ああ〜、30歳になって体力めちゃくちゃ落ちた気がする。少しは運動したりして、健康に気をつけないとなぁ…。

デスクでぐったりしている由里香とは対照的に、秘書の星野はオフィスの年末大掃除に奮闘中だ。

大きな段ボールを軽々と抱える、意外にたくましい腕力。その姿に感心しながら、由里香は星野に尋ねた。

「星野くんって、意外と筋肉あるよね。ジムとか行ってるの?」

「いや。ご存じの通り、休日に公園を散歩するくらいですよ」

「おじいちゃんかっ」

ツッコミを入れる由里香に、星野はあきれたような視線を向ける。

「社長。ジムもいいけど、まずはお酒を減らさないとダメですよ。ダイエットしてるんでしたっけ」

「ううん、もうしてないんだけどさ。最近めっきり体力が落ちちゃったなーと思って。日々衰えを感じるよ…」

「え?おばあちゃんですか?」

そんな他愛もない雑談を繰り広げていると、ふいに由里香のスマホが震えた。

見てみると、久しぶりに再開したマッチングアプリの通知だ。

― 前回に懲りて、婚活ならやっぱりはじめにきちんと条件を知っておくべきと思ってアプリを再開したけど…。また変な男だったら、相手する元気ないなぁ…。

いまいち本調子ではない由里香は、渋々アプリを立ち上げる。

けれど、相手の男性のプロフィールを確認するなり、思わず弾んだ声を漏らした。

「あっ、この人いいかも!」

画面に映る男性はズバリ、今の由里香にとって理想的な男性だったのだ。




2日後。

「うわー、熟成鮨ってはじめて食べたけど、めちゃくちゃ美味しいね!」

由里香の隣で美味しそうに鮨を頬張るのは、アプリでマッチングしたお相手・ケンタロウだ。慶應卒、大手事務所勤務の会計士である。

由里香のリクエストでちょっと珍しい熟成鮨を出す『銀座 鮨 學』にやってきたが、妙なうんちくを繰り広げることもなく、キラキラと目を輝かせて美味しそうに食べる姿には好感しかない。

何より惹かれたのは、その引き締まった健康的なルックスだ。

学生時代にアメフトで鍛え上げたという、厚い胸板。

オーダーメイドらしいスーツにフィットした、広い肩幅。

まるで20代の若者のようにつやつやとした、血色の良い肌。

45mmのアップルウォッチが小さく見える、セクシーでたくましい腕…。



年齢は35歳だったはずだが、贅肉は一切なく、元体育会系の男性にありがちなぽっちゃり感は皆無。

それもそのはず。

「スポーツやトレーニングなど、体を動かすことが好きです。健康的な生活を心がけています」という一文に惹かれて、由里香はこうして久しぶりのマッチングアプリデートにやってきたのだ。

「僕は飲まないけど、由里香ちゃんはどうする?お酒好きなんだよね?」

「ケンタロウさんを見習って、私もやめておきます。お酒は控えなきゃってちょうど思ってたので。それに、体力づくりのために運動もしなきゃなーって考えてるんですよ」

「そうなんだ!そういうことなら応援するよ。僕はね、最近は筋トレだけじゃなくて、柔軟性を高めるためにストレッチに力を入れてて…」

ケンタロウから「30歳を越えた頃から健康に気をつけ始めて、今ではほとんどお酒は飲まない」と聞いたときは、正直つまらないと思ってしまった。

けれど、筋骨隆々とした肉体美を目の前にしている今、そんな考えは撤回済みだ。

― 自分を律せる男性って、信頼感があって結婚向きよね。ケンタロウさんといたら私も自分を高められそうだし、健康でいられそう。一緒にいて成長できる相手って、結婚相手としては最高なんじゃない?

由里香はふと、星野に「お酒をやめろ」と忠告されたことを思い出す。

ノンアルコールのデートは久しぶりだけれど、気だるさの残っていた体にはちょうどいい。それに、酔っていないぶん、相手のことがハッキリと見える気がする。

― ケンタロウさんといると、なんだか前向きなパワーをもらえるなぁ。性格もすごく良さそうだし、こういう人と結婚するのがきっと幸せなのかな。

健全な食事が終わる頃には、由里香はクリアな思考のまま、ケンタロウとマッチングしたときに感じた確信を深めているのだった。



「あぁ、美味しかった。由里香ちゃん、いいお店教えてくれてありがとう」

「こちらこそ!ずっと行ってみたかったので、付き合ってもらえてうれしかったです。ごちそうさまでした」

「お鮨はタンパク質も豊富だし、健康的だよねー」

地下の店から地上へ出て、二人並んで歩きながら食事の感想を言い合う。

時刻はまだ8時半。銀座の街は、賑わい始めたばかりだ。

― まだ一緒にいたいけど、お酒飲まないとなると二軒目に誘っても盛り上がらないかな…どうしよう…。

心の内とは裏腹に、どんどん駅が近づいてしまう。

― 今日はこのまま解散かぁ。

わずかな落胆を感じた、その時。由里香の手に、ケンタロウの手が触れた。

「由里香ちゃん。良かったらだけどさ、このあとうちに来ない?なんていうか、まだ一緒にいたくて…」

緊張しているのだろうか。由里香の手を握るケンタロウの手は、力強くもぎこちない。

その不器用な感触にケンタロウの誠実さを感じ取った由里香は、酔っていないはずの頬をほんの少し赤らめながら、コクリとうなずく。

「私も、まだケンタロウさんと一緒にいたいです」

「ほんとに!?やった!」

無邪気に喜ぶケンタロウは、歩いてすぐだという自宅に向かって足取りも軽く歩き始める。

しかし、そんなケンタロウに大きな違和感を覚えるのは、一緒に歩き始めてからしばらくしてのことだった。


銀座駅近くから『銀座 鮨 學』の前へと引き返し、首都高速沿いに歩く。

築地署の前を通りすぎ、新富橋を越え、もうすぐ京橋あたりへと差し掛かろうとした頃。

由里香の足がじわじわと痛み始めた。

― 「ここから歩いてすぐ」って言ってたけど、もう15分は歩いてる…。

日頃ほとんど運動することもないうえに、病み上がりの身だ。しかも、履いているのはヒールの高いディオールのパンプス。

間違いなく、元アメフト部の男性と延々ウォーキングをするようなコンディションではない。

「あの〜。近くって言ってましたけど、ケンタロウさんのおうちってどこなんでしたっけ?」

足の痛みを堪えながら聞いてみると、ケンタロウはケロッとした顔で答える。

「ん?清澄白河だよ」

「清澄白河!?」



由里香は慌ててスマホを取り出し、グーグルマップで道筋を確認する。

間違いない。京橋から清澄白河までは、徒歩ならさらに45分はかかる計算だ。

「えっ?歩くんですか?」

「えっ、3、40分くらい歩かない?由里香ちゃん、運動したいって言ってたからちょうどいいかと思ったけど」

「それは…」

今日の会話を振り返ると、ケンタロウは言っていた。

学生時代は体力自慢だったのに、30歳を越えてから無理が利かなくなり健康に目覚めたこと。それ以来、移動はほとんど徒歩か自転車にしていること。

そして由里香は、その話に「私も今日から見習わなくちゃ♡」とハッキリ同調したのだ。

― 言った。確かに私、言ったわ…。

全く悪気のないケンタロウに向かって、由里香はすこし渋ってみせる。

けれどケンタロウは完全に「歩こう!」と張り切っており、とても「タクシーに乗りたい」と言えるような雰囲気ではないのだった。

急に疲れを感じた由里香は、どうにか苦笑いを浮かながら口を開いた。

「実は、昨日あんまり寝てなくて。今日はちょっと万全の体調じゃないから、部屋に行くのはまた今度にしようかな…」

「ええっ、そうだったんだ。うん、無理しないで。睡眠って何よりも大切だから、ゆっくり寝たほうがいいよ」

そう返すケンタロウの顔は、心の底から心配そうだ。

― 悪い人じゃないし、やっぱりもう一回会いたいな。うん。ちゃんと歩み寄って、今度はスニーカー履いてこよう!

そう柔軟に考え、前向きな気持ちでリスケを提案する。

けれど…ケンタロウからの返事は、由里香の想像の斜め上をいくものだった。



「週末の土曜日はどうですか?」

「ごめん!来週の土曜日はトライアスロンの大会なんだ。そうだ、由里香ちゃんも飛び入り参加しない?」

「いやぁ、ちょっとハードル高そうです。じゃあ、火曜日の夜は?火曜だけやってる美味しい串カツのお店があって…」

「あー、火曜はランニングの予定入れちゃってる。それに、脂質制限してるから、揚げ物はNGなんだ。由里香ちゃんも、健康目指すなら脂質には要注意だよ」

「ですよね…。じゃあ、串カツは無理だけど、金曜?見たい映画があるんですけど」

「うわぁ。水、金は絶対にジムに行くって決めてるんだよね…。ここは譲れないから、合トレする?」

「…木曜、23時とかの遅めになっちゃうんですけど、どうでしょう?」

「あっそれなら!睡眠大切だから0時には寝るようにしてるけど、うちに来てもらえるなら1時間は話せそうだよ。由里香ちゃんも夜は寝たいタイプだもんね?」

「…ちょっとお互いいろいろ確認して、また追って決めましょうか」

何においても健康を優先するケンタロウとは、結局次の予定が決まらないまま解散となった。

由里香を送ることもなく「業務用スーパーで鶏むね肉を買って帰る」というケンタロウ。

その背中を見送ると、由里香は足の痛みを堪えながら近くのクラフトビアバーへと飛び込む。

「すいません。ハウスビール、パイントで」

― 星野くん、ごめん!私は飲むよ!

心の中で星野に謝りながら、由里香は店員にオーダーする。

なみなみと注がれたビールを飲み干すと、そのおいしさに震えながらスマホを取り出した。

「いや、いくら健康でも、人間関係の柔軟性がゼロなのはダメじゃない!?」

思わず口に出しながら、ケンタロウとのマッチングを解除する。その勢いで、もう一度大きく手をあげて店員を呼んだ。

「すいませーん、クラフトビール飲み比べセットをひとつ。それから、フィッシュアンドチップスもお願いしますー!」

欲望と期待で頬が緩み、星野のこともケンタロウのこともどこかへ吹き飛ぶ。

揚げたてのフィッシュアンドチップスの食感を楽しみながら、由里香は背徳的な人生の喜びを噛み締めるのだった。


▶前回:「バツあり男性も全然OKだけど…」婚活女子が絶対に受け入れられなかった、彼の離婚理由

▶1話目はこちら:お泊まりデートの翌日。男は先にベッドを抜け出し、女の目を盗んでこっそり…

▶Next:12月12日 月曜更新予定
人間関係の大切さを実感した由里香は、“人脈のある男”とデートへ…