きっかけは、1遍のエッセイだった―。

『私の、忘れられない冬』

ライターの希依(28)は、WEBエッセイに自身の過去を赤裸々に綴った。

その記事の公開日、InstagramのDMに不思議なメッセージが届く。

「これって、青崎想太くんのことですよね?LINE、知ってますよ」

平和だった希依の人生が、めまぐるしく変わっていく―。

◆これまでのあらすじ

DMは、4人の仲を復活させたくて顕彰が送ったのではないか。そう疑った希依は、顕彰本人に確認するものの、否定されてしまう。その晩、希依は親友の咲から「想太が彼女と別れた」と聞き…。

▶前回:近所の男友達と、2人で飲んだ帰り道。マンションのエントランスに夫が立っていて…



親友・咲からのLINEメッセージを読んで、希依は「え…」とつぶやいた。

『咲:想太、彼女と別れたらしいよ』

お湯張りをしているバスルームの中で、立ち尽くす。

― 想太…一体なにがあったのかな。

名前も顔も知らない想太の彼女を想像し、思いを巡らせていると、咲から着信があった。

「もしもし?」

「希依、いま電話大丈夫?LINE見てくれた?」

「うん、見た」

「想太が別れたのって、希依と再会したことと関係あるんじゃない?

希依、実は想太となにかあったとか?元に戻りそうになってない?」

決めつけるように言う咲に、希依は珍しくむっとした声色で答えた。

「なんにもないよ。私には正介がいる。想太とは、2人で昔の話をちょっとしただけ」

再会した日に想太と随分長く話し込んだことや、しまいに泣いてしまったことは、咲には内緒にした。

咲が「既婚者のくせに未練がましい」と責めてくるのがわかっていたからだ。

バスタブのへりに腰掛けると、咲は低い声で話し始めた。

「ねえ希依。ここからは私の推測になるけど…。想太は、まだ希依のことが好きなんじゃない?

あのDMの送り主は想太なんじゃないかな。希依と再会したくて、想太が自作自演したのよ」


咲は「推測だけどね」と念押ししてから、また話し始めた。

「想太は多分、こっそり希依のエッセイを読んでたのよ。で、あの日のエッセイを読んで、希依に連絡したくなった。

でも自分から連絡するのは怖くて、まずは匿名でDMして、希依の気持ちを試したのよ」

「…そんなことあり得る?」

「で、期待して会ってみたら、希依は既婚者になってた。だけど、想太の思いは止まらなかった。

こんな状態で彼女と付き合い続けるのも悪いと思って、想太は彼女をふった」

咲はいつになく饒舌だ。

「だとしたら彼女がかわいそうよね。想太ってひどい」

「咲。確証もないのに想太を悪く言うのはよくないって」

「…希依も希依よ?想太と再会したあの日、あんなにソワソワするんだもん。あれは既婚者のふるまいじゃなかったよ?

希依がもっとシャンとしてたら、想太も潔く気持ちを断ち切れたと思う」

ひとり歩きしていく咲の話に、希依はため息をついた。

「待ってよ。もしかして酔ってる?勝手に話を進めすぎだって」

希依の指摘に、咲は黙り込んだ。

「…ご、ごめん。そうね、今夜はワイン飲みすぎたかも…ごめんね」

咲は、気まずそうに電話を切った。

お風呂がもうすぐ沸く。希依はリビングに戻り、ソファで新聞を読んでいる正介のとなりに腰掛けた。

彼は、早くも2缶目のビールを開けている。



「正介、お風呂沸くけど、先に入る?」

「いや、先入っておいで。今日はゴルフ場でお湯に浸かってきたから、俺は簡単なシャワーでいい」

正介の手が、希依の頭を優しく撫でる。

「わかった。じゃあ、なんか簡単なおつまみ出すわ。チーズとかナッツとかどう?」

「そうだな。今日の夜、そういうの食べたんだよなあ。和風のものがいいな」

「じゃあ冷や奴は?」

「いいね」と正介が嬉しそうに笑う。

結婚して2年が経っても、希依は何気ない日常に幸せを感じる。

― 私、正介のこと好きよ。仮に咲が言うように、想太が私に思いを寄せていたとしても…決して浮かれたりしない。

そう誓いながら、豆腐の上に生姜を擦りかけた。



― でも、想太、大丈夫かな。

希依は、ふと不安になる。

また想太の心の元気がなくなっていたらどうしよう。その心配が、希依に行動をとらせた。

― もし想太がなにかに悩んでいるなら、助けてあげたい。友達として、心配。

そこで、想太とのLINEを開く。

『希依:次の週末に会えない?いろいろ話聞くよ』



日曜。

希依は正介に「大学の友達と会う」とだけ言って、家を出た。

いつになくカジュアルな服装にしたのは、自分自身に「これはデートではない」と言い聞かせるためだ。

「希依、お待たせ」

待ち合わせの14時ちょうど。新宿駅近くのカフェに、想太がやや緊張した様子でやってきた。


想太と2人で会うと、昔を思いだして変な感じがする。

「2人で会って、大丈夫だった?旦那さんは気にしない人なの?」

「うん。なんの問題もない。想太は友達だもん。これはデートじゃない」

「そっか。デートじゃないもんね」と、想太はうなずいた。

2人分のコーヒーを注文したところで、希依は切り出す。

「彼女と別れたってほんと?」

「ほんとだよ。別れた」

「大丈夫?なにかあったの?」

「…大丈夫だよ」

想太は、さみしそうに笑った。

「言ってしまえば、僕の気持ちが変わってしまっただけ」

彼の微妙な表情から真意を読み取ろうとするが、できなかった。

「彼女には、ほんとに申し訳なく思ってる。でも僕は元気だよ。安心して」

その言葉に、希依はほっとした。



「別れたって情報は、咲から聞いたんだね?」

「うん」

「やっぱり。咲とLINEしてたら、彼女との関係について聞かれて。

別れたことをあえて誰かに言うつもりはなかったんだけど、ウソはつけなかったんだ」

想太は「咲って、ちょっとおせっかいなところがあるよね」と苦笑した。

「おせっかいというより、咲は正義感が強いのよ」

「正義感?」

「そう、結婚に対する正義感。咲ったら、私が想太と再会したことを心配してるの。

『希依はもう結婚しているんだから、想太に浮かれたりするな』って、何度も何度も言われるの」

想太は、眉をハの字にして笑った。

それなのに、急にしっとりとした声で言う。

「ねえ。希依が今さらまた僕に浮かれるなんて…ありえないよね?」

「う、うん、ありえない」

希依は心臓がバクバクいうのを感じた。

コーヒー1杯はあっという間になくなり、まだ明るいうちにカフェを出る。

新宿駅へと歩く途中、通り沿いのお店に、バレンタインデーのポスターが貼ってあるのが目に入った。

「もうすぐ、バレンタインデーね」

「なつかしいな。希依の、手作りのチョコフロランタン」

― よく覚えてるのね。

なつかしさがこみ上げる。初めてのバレンタインデーに贈ったら、いたく感動されたこと。

以来、交際2年目も3年目も、2/14には決まってチョコレートフロランタンを贈ったこと。

「美味しかったな。…また食べたいな」

前を見たまま想太がつぶやいた。

言葉の端に、希依は未練を感じた。

考えすぎかもしれないと思うが、彼の切ない表情に気持ちが揺れてしまう。



薄着で来てしまったからか寒気がした希依は、胸を抱え込むようにして、両方の二の腕をさする。すると想太は心配そうに言った。

「これ、つけて帰る?」

答える前に、想太は自分のマフラーを外す。昔と変わらない彼の香りが、風に乗って鼻に届いた。時間が巻き戻ったような気持ちになる。

「ううん。大丈夫だから」と、希依は想太を制した。

「…そっか、こんなの変だもんね。旦那さんが心配するよね」

「ううん。ありがとう」

今日の想太からは、未練を感じる。希依は混乱した。

咲の言うように、あのDMは想太の自作自演なのか。

― でも、聞けないわ。だって…もし想太が、私への未練をはっきり口にしたら…。

「未練がある」なんて言われたら、想太への思いが戻ってきてしまう。希依は、それを恐れた。

― ああ。私…想太のことを、全然忘れられていない。

自分の気持ちをはっきり認識する。正介を愛しているはずなのに、と顔を歪ませた。

駅につく頃には、全身が冷え切っていた。

薄着のせいもあるが、自分の心のとんでもなさに、血の気が引いていたのだ。

「帰るね。ばいばい」

希依は、気持ちを断ち切るように、想太に手をふる。

そして不自然なほどの早足で、ひとり改札をくぐった。



希依は、想太を忘れられていないという事実に、自分のことながら衝撃を受けていた。

動き出した電車の中、スマホを開く。

『希依:想太を忘れられない』

立ち上げたLINEにそう本音を打ち込んで、ある人に送信した――。



▶前回:近所の男友達と、2人で飲んだ帰り道。マンションのエントランスに夫が立っていて…

▶1話目はこちら:「もう無理」と、イブに突然フラれた女。数年後、謎のDMが届いて…

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希依がLINEで本音をもらした相手とは…?