この世には、生まれながらにして満たされている人間がいる。

お嬢様OL・奥田梨子も、そのひとり。

実家は本郷。小学校から大学まで有名私立に通い、親のコネで法律事務所に就職。

愛くるしい容姿を持ち、裕福な家庭で甘やかされて育ってきた。

しかし、時の流れに身を任せ、気づけば31歳。

「今の私は…彼ナシ・夢ナシ・貯金ナシ。どうにかしなきゃ」

はたして梨子は、幸せになれるのか―?

◆これまでのあらすじ
ショーンこと翔馬にフラれてしまった梨子。理由がわからず戸惑うが、なんと後輩・沙理と同時進行されていたのだ。しかも沙理は妊娠し、結婚するという。なんとか気持ちに整理をつけた梨子のもとに、気まずく別れた高校の先輩・安藤が訪ねてきて…。

▶前回:両思いを確信して先輩に告白するも、撃沈…。女が聞いて仰天した「フラれた理由」とは?



― 今さらアンドリューが訪ねてきたの?私になんの用?

梨子の頭に大きな疑問が浮かぶ。

しかし、アンドリューのことばかりを考えている余裕はなかった。

新入社員・陸斗に仕事を教えつつ、いかに自分の仕事を効率よく終えるのか。それを考えなくてはならない。

仕事に集中し始めると、アンドリューのことはいつの間にか梨子の頭から消え去った。

梨子は、書類を仕上げてから席を立ち、廊下を歩く。すると、父と部下の弁護士たちが来客用会議室から出てくるのが見えた。

「あ、梨子。ちょっといいかな」

父に呼び止められて足を止めると、なんと最後に会議室から出てきたのは、アンドリューこと安藤隆だった。

「あ!そうだった…お久しぶりです」

梨子は、ぎこちなくお辞儀をする。

「梨子さんが奥田先生を紹介してくださったおかげで、今回のプロジェクト、スムーズに契約まで持ち込めそうです。ありがとう」

安藤が、はにかんで笑いながら言う。

父は「我々はここで」と言って部下を連れて、執務室に戻ってしまった。

仕方なく梨子は、1人残された安藤をエレベーターホールまで送ろうと、一緒に歩き出す。

すると、突然彼は切り出した。

「梨子さん、僕、ずっとあなたに謝りたかったんだ」

「はあ?今さら何ですか?」

心の声が、思わずそのまま出てしまう。

「突然お父さんを紹介してだなんて、失礼すぎるよね。ごめん。あの時は転職したてでいっぱいいっぱいだったんだ。

同窓会で良いつながりをつくらなくちゃ、って自分のことしか考えてなかった」

― へえ、なんだか素直じゃない。

「それで、お詫びにまた食事でもどうかなって思って…」

梨子は、開いた口がふさがらなかった。


「もう謝罪も気遣いも結構です。それに今、男の人と食事に行くような気分じゃありません」

「そんな構えないでよ。ねえ、梨子さん何食べたい?」

執拗に迫る安藤に、無理難題を吹っ掛けて断るつもりでこう答える。

「じゃあ、ホルモン!すごく新鮮なやつ。でも煙のにおいが服につくのは絶対にいや。そんなお店を、1週間以内に見つけてくれるんなら行きます」



― 1週間後 ―

梨子は東麻布にあるイタリアンに来ていた。

― こんなところまでノコノコ来てしまうなんて、なんという失態。

席に着きながら、心の中で嘆く。

「梨子さん、来てくれてありがとう。ここのトリッパ、すごくおいしいから」

― トリッパは盲点だったわ。さっと食べて失礼しよう。

「そうなんですね。あ、私赤ワイングラスで。あと、トリッパ最初に持ってきてください!」

梨子は、やってきたウエイターに告げた。



「梨子さん、改めてごめん。あんなに失礼なことをしたのに、奥田先生とつないでくれて本当に感謝しているよ」

オーダーを済ませると、安藤が言う。

「それで、今さらだけど梨子さんの優しさに気づいて、もっと君のことをよく知りたいと思ったんだ」

― そんなこと言って、また何か頼みごと?それとも誰かにフラれて私の優先順位が上がったとかかしら?

怪しんだ梨子は、冷たい声で聞いた。

「へえ。正直なところはどうなんですか?怒らないので言ってみてください」

安藤は、前髪を触りながら答える。

「転職したらモテるかと思って、自称モデルに告白したらフラれました」

「それで私のこと誘ってるんですか?」

思わず苦笑いしながら聞く。しかし安藤は真顔になってこう言うのだった。

「確かにそれはきっかけだけど、梨子さんの優しさに気づいたのは本当だよ。だから頑張って、服ににおいのつかないホルモンのお店を探した」



トリッパとワインがおいしく、会話がはずんだ。

お互いの失恋話を打ち明けて、笑いあっているうちに、気がつけば時間は終電間際になっていた。

前回のデートでは、憧れの人によく思われたい一心で、自分を取り繕ってしまった。

しかしその必要もない今、梨子は100%の本音で安藤と話せているのだった。

安藤も、そんな梨子を優しく受け止めてくれる。

「ねえ、また2人で食事しようよ」

店を出るとき、安藤が言う。梨子は、思わず首を縦に振ったのだった。



― 日曜日 ―

梨子は『マーサーブランチテラスハウス』で紀香と待ち合わせて、近況報告をしていた。

「ええっ!じゃあ妊娠した後輩の子とショーンは前から付き合っていて、梨子はそれを知らずに告白しちゃったんだ」

驚く紀香に、給湯室で起きた修羅場についても話す。

改めて思い出し、梨子はため息をついた。

「とんだ大事故だったよ…。あ、でもこの前久しぶりにアンドリューと会って、飲みに行ったよ」

「アンドリュー?もうやめといたら?」

スマホの着信をチェックしながら紀香が訝る。

「なんか、ちゃんと話してみたら憧れでも遠い世界の人でもなくて、ただの人だった。しかもこっちが強気に出るとすぐ素直になるの」

「へえ、梨子が主導権を…なんだか面白そうね」

そのとき、ふたたび紀香のスマホが『ブブッ』と着信を伝えた。


安藤のことについて、紀香からダメ出しをされると梨子は思っていた。しかし紀香は、スマホを見てばかりで歯切れが悪い。

「電話、出ないの?」
「あー…多分旦那。ケンカしちゃったんだよね」

紀香がアイスティーの氷をつつきながら言う。

「突然『紀香は仕事してないんだし、子ども作ろう!』とか言い出して。なんでかと思ったら『お義母さんに言われたから』だって」

「え、お義母さん。…結婚式で会っただけだから知らなかったけど、紀香の旦那さんってそんな勝手な人だったんだ」

梨子が驚いて言う。

「私も知らなかったよ。結婚前はさ、私の仕事も激務だったし『仕事辞めてしばらくゆっくりしたら?』って言ってくれて優しいな、って思ったんだよね」



紀香は続けた。

「でも、もう仕事を探すつもりでいたし、正直言ってまだ子どもを持つ覚悟なんてない…。こんな考えって甘えなのかな?」

「そんなことないよ!妊娠に関することは、女性がすべての権利を握っているってネットに書いてあったし。だから紀香は間違ってない!」

妊娠どころか、結婚、もとい相手さえいない梨子は、何もアドバイスできない自分にもどかしさを感じたが、紀香の目を見て言った。

「もし家にいるのがつらくなったらうちにおいで。紀香、1人で抱えこまないですぐに連絡してね」

「ありがとう…って梨子、実家でしょ」

紀香が、やっと笑顔になった。



― 数日後 ―

『紀香:急にごめん!丸の内にいるから会える?』

お昼休みに、紀香からLINEが届いた。梨子は、『丸ビルのクア・アイナにいて!』と急いで返信する。



― ほんとは昼食は手軽に済ませて、残り時間で、次の新人が来たときのために指導マニュアルを作ろうって考えたけど…。

急遽予定を変更し、店へ向かう。

店内に入ると、注文もせずにポツンと座る紀香の姿が見えた。

アイボリーのニットのセットアップに、スニーカーという、まるで近所のコンビニに行くような服装に、梨子は心配になる。

「どうしたの?」

2人分のコーヒーを注文して席に着くと、紀香がつぶやいた。

「あいつが来たのよ…」

「えっ?」

梨子の問いかけに、紀香が叫ぶ。

「姑!あの後、旦那とはしばらく子どもは作らないって結論になったの。でもそれをまたお義母さんに報告したらしくて、納得いかないってさっきアポなし訪問してきた!」

常軌を逸した紀香の義母の行動に、梨子は鳥肌が立った。

「それで着の身着のままで飛び出してきちゃった…」

「逃げてこられてよかった!あとは旦那さんに任せればいいよ。今日はうちにおいで…」

話していると、紀香の目線が、梨子の背後を泳いだ。

その目線を追って振り返ろうとしたとき、梨子は、不吉な足音を聞いた…。

▶前回:両思いを確信して先輩に告白するも、撃沈…。女が聞いて仰天した「フラれた理由」とは?

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忍び寄る不吉な足音の正体は?戸惑う梨子を助けてくれたのは意外なあの人…