「海外で、挑戦したい」

日本にいる富裕層が、一度は考えることだろう。

そのなかでも憧れる人が多いのは、自由の街・ニューヨーク。

全米でも1位2位を争うほど物価の高い街だが、世界中から夢を持った志の高い人々が集まってくる。

エネルギー溢れるニューヨークにやってきた日本人の、さらなる“上”を目指すがゆえの挫折と、その先のストーリーとは?

現状に満足せず、チャレンジする人の前には必ず道が拓けるのだ―。

▶前回:高級レストランや一泊10万超えのホテルでデート三昧。最高の彼氏だと思っていたけど、裏があって…



Vol.11 恋愛も仕事も諦めモードの女(裕香、39歳)


「はあ、疲れた…」

仕事から帰ってきた私は、お気に入りのソファに体を預け、先ほど見た“いまいましい光景”を思い返していた。

私の職業はヴァイオリニスト。といっても、そんな立派なものではない。

普段は音楽教室で教えたり、イベントなどに呼ばれて曲を演奏するのが仕事。

曲のジャンルは、依頼主の希望を優先する。

ジャズを演奏するときもあれば、先週はOliviaという子のバースデーパーティーでディズニーの曲を奏でたし、今日はオペラで歌われる有名なクラッシック曲を弾いた。

けれどそこで、衝撃的なことが起こったのだ。

Mr. Wilsonという人からの依頼は「友人と自宅で食事会をするので、ダンサーのバックミュージックを演奏してほしい」という内容だった。

オペラ曲で踊るのか、と少し驚いたが、言われた通りに準備した。

場所は、アッパーイーストサイドの豪華なコンドミニアムの一室。

そこは入居に厳しい審査があり、何代も続く名家しか住めない場所らしい。

中に入ると、豪華なシャンデリアにモダンな絵画、高そうなオブジェが飾られていた。

主催者のMr. Wilsonは落ち着き余裕のある紳士で、金持ち特有の風格が漂う。

来ていた友人は主催者を入れてたったの3人。

全員50代半ばの男性で親しい仲間のようだったが、ただの友人と集まるだけの場に、演奏家やダンサーを用意していたことに衝撃を受けた。

さらに驚いたことに、呼ばれていたダンサーは3人もいたし、ピアニストまでいた。

「裕香が適当に演奏してくれたら、私たちが合わせるから」

打ち合わせもほとんどなくリビングの一角で演奏を始めると、彼女たちが踊り出した。

男性たちはお酒を片手に、ダンサーたちをまじまじと眺めている。

そこで、私はやっと気がついたのだ。


― 彼女たちのダンスって…!?

不自然に中央に置かれたポールに1人の女性が足を巻き付けると、その横で2人が上着を脱ぎ始め、美しい肩やデコルテをあらわにする。

徐々に女性たちが薄着になり、男性たちが彼女たちに近づこうとした時、玄関でガタンっと音がした。

「何してるのよ!?」

場の空気が一気に凍りつき、50代半ばの綺麗な女性が入ってきた。

一直線にMr. Wilsonに向かって歩いて行くと、彼の顎に人差し指と中指を当てて、ぐいっと顔を自分の方に向けて言った。

「楽しみたいなら、他でやりなさい」

先ほどまでの威厳に満ちた彼はどこへやら、母親に怒られた3歳児のように「I am sorry, honey...」としょぼんとし、会は早々にお開きになったのだった。

聞くところによると、夫は名家の彼女の家に婿として入ったため、奥さんには頭が上がらないそうだ。

会場となっていた家は、いくつかある奥さん名義の一つだという。

そんな出来事を見たせいか、私は昔のことを思い出した。

私は、日本で音大を出たあと、ニューヨークでジャズを学ぶために留学した。そのまま住み着き、かれこれ15年以上が経つ。



その間、マーケティング会社に勤める元夫と出会い、結婚した。

「ハイヒールを履いて堂々と演奏する裕香に一目惚れした」

彼はそう言っていた。

けれど年齢とともにヒールが辛くなり、フラットシューズばかりを履くようになった。

そんなある日、夫が浮気していることに気がついたのだ。

相手は、ハイヒールがよく似合う女性。

浮気を知ったあとも、彼のことが大好きだった私は離婚には踏み切れなかった。だが結局、5年前に彼はその女性と一緒になると言って家を出ていった。

その時、私は、日本への帰国も考えた。

でも、結婚に失敗したという惨めな理由で帰りたくなかったし、ヴァイオリニストとして成功する、という夢も叶えられていないままだったので、ニューヨークに残ることにした。

結局今は、なんとか仕事をしながらここで暮らしている。

― 結婚も失敗。夢も叶わなかった…。

来年、私は40歳になる。

恋愛はもう懲り懲りだし、気ままな独身生活は自由で楽しい。

でも、このままでいいのかとふと不安がよぎるときがある。

― 夢も恋愛も諦めた人生か…。

ブルックリンにあるアパートメントの窓から星を見ながら、私はそんなことを考えていた。





1ヶ月後の金曜日の夜。

ミッドタウンイーストの高級ステーキハウスで行われたチャリティーオークションに、私は仕事で呼ばれた。

そこに、先日のWilson夫妻が腕を組んで出席していた。

「もう仲直りしたのかしら、それとも世間体?」

あの場で一緒に演奏したピアニストのマディソンが、呆れた顔を見せる。

会場には50人ほどが集まり、美味しい料理と演奏を楽しみながら、景気や株、仕事や旅行の話などで盛り上がっている。

開始から1時間ほど経って、主催者の挨拶が始まった。

「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。今日は大いに楽しんでください。そして困っている人たちのためにも節税対策のためにも、じゃんじゃん寄付をしてください」

会場に笑いが起こった。


チャリティで集まったお金は、児童施設へ寄付される。

内容に賛同する・しないにかかわらず、ネットワーク作りや寄附金控除を目的として、お金持ちを相手にこのような会がニューヨークでは多く開かれている。

私たちは演奏をやめ、オークションが終わるまで、部屋の隅で待つことになった。

すると、70代くらいの鮮やかなオレンジ色のドレスにマノロ ブラニクのハイヒールを履いた女性が、話しかけてきた。



「あら、あなたたち、食事は?」
「いえ、仕事中なので…」

私の答えを聞くや否や、その婦人は「ご飯も出さないなんて、ケチね。私が頼んであげるから」と、食事を運んでいた男性に料理を持ってくるよう促した。

そして婦人は私たちの横に座り、色々と話し始めた。

「あーつまんない。皆中身のない話ばかり。一体何が楽しいんだか」

そういうと、彼女はニッと笑う。

「彼らの実情の方がもっと面白いのよ。見て、あの夫婦。夫の会社の経営が傾いた途端、裏では奥さんが他の金持ちに乗り換えようとしてるらしいわ。When poverty comes in at the door, love flies out of the window.(貧困が来たら愛が飛んで行く)ってやつね」

シャンパンを片手に、彼女のおしゃべりは続く。

「結局、男女の仲に永遠なんてないのよ」

「失礼ですが、ご結婚は?」

マディソンが婦人に尋ねると、女性が大袈裟に眉を上げた。

「とっくの昔に離婚したわ。私には1人の生活があってるの」

私は思わず「寂しくならないですか?」と聞いた。

すると彼女は両肩を上げて「ぜーんぜん」と笑う。

「仕事に集中できるし、好きなことにお金を使えるし、誰とデートしてもいいのよ。人生一度しかないんだから、楽しんだ者勝ちよ?」

そんな話をしていると、司会者が興奮気味にオークションの最後の品の説明を始めた。

「今日一番の目玉です。皆さま、用意はいいですか?なんと…」

そう言ってプロジェクターに映し出されたのは、誰もが知る40代の有名なハリウッド俳優の写真だった。

「皆さんの大好きな彼との豪華ディナーの権利です!」

世界で最もセクシーな俳優で10位内に選ばれたこともある彼に、会場内がざわついた。

女性だけでなく、男性たちも顧客へのプレゼント用なのか、次々と手を上げる。



$500から始まった額は、どんどんと膨れ上がり、一気に$20,000を超えた。

すると、隣にいた婦人が、持っていた番号札を上げて叫んだ。

「One hundred!」

会場がどよめく。

司会者が興奮して他にいないか確認するが、諦めたように誰も手を挙げず、最後は拍手が起こった。

何が起こったのかわからずマディソンに聞くと「10万ドル(約1,400万円)で落札したってことよ」と目を見開いて教えてくれた。

驚く私たちを尻目に、婦人は立ち上がると「ね!」とウィンクをし、私の方を向いた。

「あなたの演奏、好きよ。頑張って。人生一度きりだから」

その言葉を残し、美しいハイヒールで背筋を伸ばした彼女は、颯爽とその場を後にした。

会場にいた人に彼女のことを尋ねると、ある有名な貿易会社の元CEOだという。

「彼女も昔は元夫に騙されて、全財産を失ったり裏切られたり苦労したらしいわ。だけど今は誰よりも人生を謳歌してるみたい」

私は先ほどの後ろ姿を思い出しながら、もう一度ハイヒールでも履いて、一度きりの人生を思い切り生きよう、と誓った。


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