「次に付き合う人とは、結婚したい!」

そう思っていたのに、思いがけず始まりそうな恋愛は「結婚」からは程遠そう。

「今が楽しいから」という理由でとりあえず付き合うか、それとも将来を見据えて断るか…。

30過ぎたら、なかなか恋愛に没頭できないのが現状だ。

恋愛のゴールは、結婚だけですか?

そんな問いを持ちながら恋愛に奮闘する、末永結子・32歳の物語。

◆これまでのあらすじ

後輩・日向からお茶に誘われた結子。彼の結子への気持ちは、誠実だと思うが社内恋愛に踏み出せずにいる。そんな時、社内で飲み会が。酔った勢いで結子は「彼は欲しくない。1人でいい」と心にもないことを口走ってしまう。

▶前回:「結婚願望ありますか」って聞かれるのが最近つらい32歳女。なんと答えるのが正解なのか…



Vol.3 元恋人と別れた理由


2月中旬の日曜日・朝9時。

目黒駅のロータリーで待っていた結子の前に、一台のクーパーが停車した。

「ごめんね、わざわざ迎えに来てもらっちゃって」

前日から寒波が襲来し、今日は朝から冷え込んでいる。

「乗ってください」

車から降りて来た日向が、助手席のドアを開ける。

「あったかーい!」

「そこのカップホルダーの飲み物よかったら。スタバで買っておきました」

コートを脱ぎシートベルトを締めた結子に、日向が言った。

「えっ!?ありがとう。嬉しい」

結子がカップを手に取ると、車は路上に滑り出した。

― こんなに気が利くとは、想定外…。ちゃんと私の好きなチャイ ティー ラテだし。

チラリと日向の方を見ると、慣れた様子でハンドルを操っている。

「クーパーって、なんか日向くんぽいね」

「どういう意味ですか?」

「おしゃれで可愛い」

結子は思ったままのことを口にした。

「あー、やっぱ僕が年下だから、そういうこと言うんだろうな」

日向は少し悔しそうだ。

「事実、この年の差は埋められないし…ところでどこに向かってるの?」

ドリンク片手に、結子が尋ねる。


「神奈川方面ですけど、中華街、鎌倉、湘南方面…どこか行きたいところありますか?僕は運転が好きなので、どこでもいいです」

「だったら中華街がいいな。ご飯食べて、風水グッズと蒸籠買いたい。あと占いも」

「実用って感じですね」

日向は笑うが、結子の実家は鎌倉。

海岸方面はデートというよりは、子どもの頃から慣れ親しんだ場所なのだ。

「私、鎌倉出身だから、あっち方面はわざわざ行かなくても。ところで日向くん、出身はどこなの?」

同じ会社の人のプライベートを結子は、あまり気にしてこなかった。

「生まれも育ちも高輪で、今は実家暮らしです。

大学がSFCだったので湘南方面は割と詳しいんです。初めてデートにお誘いできたので、自分のテリトリーに連れて行ってしまおうと思ってました」

― へえー。意外と優良物件なのね…。



「ところで、末永さんは、なんで彼氏いないんですか?この前の飲み会の席では、もう3年、4年誰とも付き合っていないと言ってたのが聞こえてきましたけど」

「やっぱり聞こえていたのね。そうよ、ここ3年、誰とも付き合ってないわ」

28歳の時、付き合っていた彼と別れた。

そして、しばらく恋愛は要らないと思って過ごしているうちに、コロナが蔓延。次の恋を見つける時間も、きっかけもないまま、1人取り残された。

社会のシステムが変わりつつある中、1人でいることに慣れようと結子は必死で努力してきた。

「元カレとはなぜ別れたんですか?」

「一言で言い切るのは難しいけど、大事にされていないって気づいたからかな」

4年付き合った彼は、大学時代の先輩だった。卒業後ゼミのOB会で再会し、付き合い始めた。

「4年も付き合っていたのに、先輩と後輩の関係が崩れなかった。私は、いつもどっか抜けている後輩で、彼は私のことを全て把握し先導する先輩だった」

「僕の知っている末永さんは、テキパキ仕切ってくれる人なのに」

食べるもの、着る服、行く場所…なんでも彼が決めるのが当たり前だった。

24、5歳の結子は、仕事に必死で、彼と一緒にいられれば良かったし、プライベートの中身なんて気にする余裕さえなかった。

「付き合って3年経った頃から、あれ?って思うことが多くなってきてさ…」

旅行にもたくさん行ったし、週末ごとに映画やショッピングに出かけ、時間の許す限りを一緒に過ごした。

しかし、その膨大な時間の中で、自分の意思が全く尊重されてこなかったことに結子は気づいた。

例えば、こんな風に。

「俺、見たい映画があったからチケット買っておいたよ。ブルース・ウィリスの『デス・ウィッシュ』。めちゃいいらしいよ」

― またアクションものか…。

わかってはいたけれど。結子なりに小さな抵抗を試みる。

「私、レディー・ガガの『アリー/スター誕生』見たいな」

「えー?日曜日なんだから、映画くらい好きなの見せてよ。その代わり、映画の後は結子の好きなレストランに行くってことで」

だが、映画が終わっていざ食事に行くとなると、夕食の約束はどこかに行ってしまう。

「映画でポップコーン食べすぎてお腹空いてないわ。レストランはまたにして、家に帰ってゆっくりしようよ。あとで、結子何か作ってよ」

「うん…」

ここで「えー?ゴハン食べに行こうよ」と言ったら、彼の機嫌は急降下し、面倒なことになるのは目に見えているので、結子は何も言わない。

一事が万事こんな調子だったが、結子は、別れようと思ったことはなかった。



「今、考えるとあの時なんで別れようって思わなかったのか不思議なのよね」

日向は、運転しながら静かに結子の話を聞いていた。

そう遠くはない位置に、みなとみらいのランドマークタワーが見える。

「決め手になる大きなきっかけがなかったからじゃないですか?何かの決断をするのって強い意思が必要ですし。で、別れたきっかけはなんだったんですか?」

「確かに、そうかも!別れた原因は、彼の転勤。北海道に異動になったの」

異動が決まった翌週末。彼の自宅に呼び出され、当たり前のように言われた言葉を結子は忘れない。


「結子、北海道へは一緒に来てくれるよな?」

その時手渡された小さな紙袋に入っていたのは、婚約指輪。ブライダルリング専門店の保証書が同梱されていた。



「プロポーズって、もっと素敵なものだと思ってたのに、ショックだったわ」

「まあ、確かに。末永さんのことだから、え?ハリー・ウィンストンじゃないの?って思ったでしょ?」

日向がふざける。

「そんなことないけど…。それまで彼は、結婚なんて微塵も匂わせていなかった。きっと遊び相手もいない地方で1人で過ごすのが嫌だっただけ」

プロポーズの理由に気づいた途端、蓋をしてきた彼への怒りが、沸々と噴き出してきたのだ。

だが、結子は、その指輪を受け取った。

目にはうっすらと涙を浮かべ、「仕事すぐには辞められないから、3ヶ月だけ待って」と答えた。

もちろんその涙は、これまで色々耐えてきたことを思い出した悔し涙で、嬉し涙ではなかったのだが。その時の彼の満足そうな顔といったら…。

日向と一緒にいる今この瞬間にだって、結子は鮮明に思い出すことができる。

「で、末永さんは3ヶ月経っても会社を辞めなかった。実際、辞めようとしたんですか?」

相手が日向だからなのだろうか。こんなに自分のことをベラベラと喋り続けたのは、結子にとって久しぶりのことだった。

「ううん。辞めるつもりなんてなかった。別れるって決めてたわ。でも、あの場で別れ話をする気にもなれなかったの」

彼が北海道に引っ越した直後に、結子はLINEで一方的に別れを告げた。

「こっちの事情も鑑みず、仕事辞めてついてこい、なんて…。彼にとって私の人生って彼の意志ひとつでどうにでもできるその程度のものなんだ、って思ったの。

だから、自分でもびっくりするくらい、いきなり冷めたのよ。タイプだったはずの顔、最後は“ひょっとこ”にしか見えなかった」

「目が覚めたんですね。自分の人生も、時間も、自分だけのものです」

日向が振り向き、笑った。

中華街に程近い立体駐車場に彼は車を停めた。

「ランチまでまだあるから、少し散歩しましょう」

日向と結子は、車を降りる。

「そういえば、日向くんは1年前に別れたって言ってたよね?」

半歩先を歩く、日向に向かって尋ねる。

「言いましたね。彼女から結婚の話が頻繁に出るようになって」

「まだ若いもんね」

と結子はなんとなく話を合わせる。合わせたつもりだった。

「違いますよ。若いからじゃありません」

日向が否定した。

「じゃ、何?」

「僕は“結婚をゴール”にしたくないんです。結婚ってしなくちゃダメですか?いつまでも大切にお互いを思いやっていれば、結婚しなくてもよくないですか?」

自分を否定されたわけじゃない。まだ日向とは付き合ってもいない。

でも、次に付き合うなら一緒にいる未来が見える人がいいと結子は思っていた。

― 要するに結婚願望ゼロってことよね?

「最初からゴールは結婚じゃない、って決めつけなくてもいいんじゃない?」

そう答えるのが精一杯だった。


▶前回:「結婚願望ありますか」って聞かれるのが最近つらい32歳女。なんと答えるのが正解なのか…

▶1話目はこちら:次付き合う人と結婚したいけど、好きになるのは結婚に向かない人ばかり…

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結婚はしない。それでも…日向からの必死のアプローチに結子は…