「私、小学校から大学までずっと同じ学校なの」

周囲からうらやまれることの多い、名門一貫校出身者。

彼らは、大人になり子どもを持つと、必ずこんな声をかけられる。

「お子さんも、同じ学校に入れるんでしょう?」「合格間違いなしでいいね」

しかし今、小学校受験は様変わりしている。縁故も、古いしきたりも、もう通用しない。

これは、令和のお受験に挑む二世受験生親子の物語。

▶前回:「この子を、同じ学校に入れたい…」名門校を卒業したワーママの苦悩



Vol.2 幼児教室選びは、やっぱり大切


お受験をしたい、と光弘に相談したその日の夜から、果奈は早速情報収集を始めた。

まずは、小学校からの友人に招待してもらったLINEグループに入る。

『初等部受験生ママ集まれ!』というタイトルのクローズドグループは、果奈の母校出身者の集まりだ。メンバーは、100名近くいる。

やりとりに目を通していくと、入試の倍率について書かれたメッセージを見つけた。

かつて3.5〜4倍を推移していたはずの果奈の母校の倍率は、現在は5倍前後らしい。

中学受験も視野に入れた学習指導が、人気の要因となっているようだ。

― のびのびした学校生活、なんて悠長なことを考えている場合じゃなさそうね。

ならばまずは幼児教室選び、と思い、果奈はLINEグループで問い合わせをしてみる。

すると早速、個人指導のお教室を紹介してもらうことができた。

個性を大切にする指導が評判の教室だという。LINEグループのメンバーの名前を出すだけで、顔パスで入れるそうだ。

― 親が卒業生だと、こういうところは楽で良いわね。

個人指導だから、仕事とのスケジュール調整もしやすいだろうと果奈は思う。早速体験授業を申し込み、その日を楽しみに待った。




火曜日の午後、果奈たち家族は個人指導の教室に向かった。

果奈はこの日のために午後半休を取った。久しぶりに保育園を早退した翼も、心なしかはしゃいでいる。

経営する美容院が定休日の光弘も、一緒に来てくれた。

「こんにちは。東出翼くんね。ここで上履きに履き替えて、今日は先生と一緒に遊びましょう」

物腰柔らかな女性が優しく翼をいざなって別室へと消えると、もう一人、室長と名乗る初老の女性が現れて、果奈と光弘を応接室へと通した。

「お母様のお友達のご紹介でいらしたのよね。失礼ですが、お父様はどちらのご出身?」

ソファに座ると、早速室長が質問してくる。

「はあ、僕は山形です」

「あら、いやだわ。私、ご主人の出身校をうかがったのよ。…でも、私が存じ上げている学校ではなさそうね」

室長は、鈴が転がるような笑い声をあげた。

「小学校から高校までもちろん公立です。そのあと東京の美容学校に通いました」

「まあ、専門卒!でも気になさることはないわ」

― 言われなくても、光弘はそんなこと気にしていないのに。

光弘が明らかに気分を害しているのを見て、果奈はハラハラした。

応接室は、いきなり険悪な雰囲気になる。しかし室長は場違いな明るい声でパンフレットを差し出した。

「こちらが私どものカリキュラムです。年中になると、体操、お絵かきも始まって…」

次々と説明する室長を遮り、果奈は質問する。

「土日の授業はございますか?私、平日は働いているもので」

あら、と目を見開いて室長が言った。

「うちは平日の午後しか授業はありません。お母様、お仕事をおやめになるのは早いほうが良いわ。いつまでのご予定?」

「今は退職は考えていないのですが…」

果奈がお茶を濁そうとすると、体験授業を終えた翼が応接室に入ってきた。



「楽しかったー!」

明るい表情の翼に、果奈はほっとしたが、次の先生の一言に愕然とした。

「翼くん…まだまだ覚えることがたくさんあるわね。お母様と同じ学校はこれからの頑張り次第ですが、でも大丈夫。うちに通っていたと願書に書けば、どこかしらご縁をいただけますよ」

― このお教室はダメだわ。うちには合わないし、そもそも平日しかないなら通えない。

果奈は早々に先生方にお礼を言うと、光弘と翼を促してお教室を後にした。

― やっぱり、働きながらお受験は難しいのかしら。

果奈は、再びLINEグループ『初等部受験生ママ集まれ!』の情報を熟読し、ため息をついた。



次の週末、果奈と翼は、医院を営む吉祥寺の実家を訪れることにした。

「小児科」とうたってはいるが、親の診察もしている地域密着型の診療所だ。翼は、果奈の実家が大好きなのだ。

吉祥寺駅周辺に着くと、果奈が卒業した小学校の通学路が目に入る。

伊勢丹や葡萄屋はなくなってしまったが、のんびりとした雰囲気は変わらない。

― 懐かしい。やっぱり翼にも、ここで同じ学校生活を送ってほしいな。

お受験に心が折れかけていた果奈は、決意を新たにした。



実家に到着すると、早速翼が「じいじの病院見たい!」とせがむ。

今は、果奈の一番上の兄が院長を務めているその診療所に、父は翼を連れて行った。

2人を見送った果奈は、母に話しかける。

「お母さん、私のお受験って大変だった?」

お土産に買った、小ざさの最中を渡しながら母に聞くと、元看護師の母は、きびきびした動作でお茶を入れながら答えた。

「もう忘れちゃったわ。でも大変じゃないお受験なんてないわよ」

果奈が先日の個人指導教室での出来事を話すと、母は、苦笑いしている。

「遊び半分で体験授業に行ったのが伝わったんじゃない?」

そうだ、と母は果奈の返事を待たずに腰をあげ、リビングを後にする。そして大きな箱を持って戻ってきた。

「これ、お母さんのお受験オーダースーツセット。ちゃんとお手入れしているから、まだ使えるはずよ。どうせあなたたち、普通の服で行ったんでしょう?」

果奈が箱を開けてみると、ネイビーのスーツに無地の革バッグ、今は廃盤になったカルティエのタンクソロが出てきた。


「お母さん、秒針がない時計はしないから、その時計は果奈にあげる。それよりスーツ、サイズが合うか、着てみて?」

果奈は、言われるがままに着替えてみる。

― うわ、ダサ。

スタイルが良くも悪くも見えない筒のようなワンピースに、丸襟のジャケット。しかも袖口が変な重ね布になっていて、やたらと重い。

「まずは形からよ。チャラい格好していたら、出身とか、仕事のこととか、根掘り葉掘り聞かれても仕方ないわよ。

先生方が、初対面のあなたたちの本気度を判断する方法なんて、服装ぐらいしかないじゃない」

果奈と2人の兄たちのお受験を成功させた先輩である母の、的を射た言葉。果奈は納得せざるを得なかった。



次の週末。

果奈と翼は、広尾にある大手幼児教室を訪れていた。

集団授業の大手お教室しか、土日も開講しているところがなかったのだ。

Webサイトに「服装は自由」と書いてあったが、果奈は、母から借りたネイビーのスーツを着てきた。

翼も、ファミリアのポロシャツにグレーの短パン姿だ。心なしかおとなしそうに見える。

果奈たちが教室の入り口に着くと、そこには驚きの光景が広がっていた。



― ネイビーを着ている人がいないわ!

皆、シンプルないでたちではあるものの、果奈たちが着ているような、お受験ルックの親子はほとんどいない。

シャネルのマトラッセを肩から掛けている母親に、どこかのファッションセンターで買ったようなスウェットを着ている子どももいる。

― この服装、むしろ場違いかも。

果奈たちは『こちらでお待ちください』という看板の隣で立つ。

すると、受付の女性が「まあ!」と顔をほころばせて近づいてきたので、早速自己紹介をした。

「お待ちしてましたよ。さあ、こちらへ」

受付の女性は、果奈と翼を連れて、教室内を案内してくれる。

他の親子にはない厚待遇に戸惑いながらも、果奈は実感していた。

― 服装ってこんなに大切なのね。

お受験という場において、どうやら正解は『ネイビー』のようだ。

体験授業が始まると、まずは子ども一人ひとりが皆の前で先生からインタビューを受ける。

皆、はきはきと受け答えをしていて、とても初めて体験授業に来たとは思えない。

子どもたちの様子をほほえましく見ているうちに、翼の隣の席の女の子が名前を呼ばれた。

笑顔で前に進み出た女の子に、先生が話しかける。

「お名前は何ですか?」
「アン…ブヒブヒ!」

女の子はアンと名乗った後に鼻を鳴らして笑っている。

ブタの女の子が主役のイギリスの人気アニメのまねをしているのだろう。

― なにあの子!すごく面白い!

思わず果奈は笑いそうになったが、他の母親たちが能面のような顔で保護者見学席に座っているのを見て、慌てて姿勢を正した。



笑いをこらえているうちに、翼の名前が呼ばれた。

「ポッポー!シュッシュッシュッ…」

翼は返事の代わりに機関車の汽笛をまねすると、前へならえの形にした腕を回しながらゆっくりと動き始めた。

ご丁寧に機関車トーマスの主題歌まで口ずさんでいる。

― まさかこんなところでトーマス!?

さすがに今度は他の母親たちもクスクスと笑っている。

アンと翼の様子を見て、他の子も騒ぎ出してしまい、先生たちが必死になって皆をなだめているうちに、体験授業は終わってしまった。

教室から出てきた翼は、やり切った顔をして果奈に抱きついてくる。

針のむしろの体験見学を終えた果奈は、力なく笑いながら翼を迎える。

そのとき、先生が話しかけてくれた。

「翼さん、大きな声が出ていて良かったですよ。ぜひ、新年少クラスでお会いしましょうね!」

先生の温かな言葉に果奈は入塾を即決し、手続きを済ませた。しかし他の母親たちが自分たちに厳しい目を向けている気がして、そそくさと教室を出る。

教室の出口で、ちょうどトイレから出てきた親子と一緒になった。

「あっ、ブタ鼻のアンちゃん」

「あっ、トーマスの…」

果奈は女の子の母親と目を合わせて気まずく笑うと、一緒に教室を後にした。


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ようやく幼児教室通いがスタート。東出一家に早くも立ちはだかる壁とは?