ただ時間を知りたいだけなら、スマホやスマートウォッチでいい。

女性がわざわざ高級時計を身につけるのには、特別な理由がある。

ワンランク上の大人の自分にしてくれる存在だったり、お守り的な意味があったりする。

ようやく手にした時計は、まさに「運命の1本」といえる。

これは、そんな「運命の時計」を手に入れた女たちの物語。

▶前回:金属アレルギーでジュエリーがつけられない30歳女。「婚約指輪いらないでしょ?」と恋人から言われ…



Vol.4 リマ(32歳)仕事とも恋愛もいまいち
OMEGA 「デ・ヴィル トレゾア クォーツ」


「じゃあ、そこ立って」

指示された通りにリマが壁の前に立つと、カメラマンは形式的に数回シャッターを押した。

リマは、カタログとムービー制作のためのオーディションで、アパレルブランドのショールームに来ている。

時間差で入ってくる他の女性モデルは、リマよりもだいぶ若い。

自分にたいして興味がなさそうなオーディションの運営陣たちを見て、リマは察した。

― このオーディション、呼ばれたんじゃなくて、事務所が勝手に私をねじ込んだだけなんじゃない?

「ありがとうございました」

リマは笑顔で一礼すると、ショールームを後にした。

かつては雑誌の専属モデルだったリマ。

20代後半あたりから徐々に仕事が減り、最近はオーディションに出向いても実際の仕事につながるのはわずかだ。

モデルとしては、オワコン。

だが、一般人としてなら、ビジュアル的に抜きん出ている。

175cmの身長は、たとえそれがファストファッションの服でもそれなりにサマになる。

Instagramのフォロワーは5万を超えていて、時折街でフォロワーから声をかけられることもある。

知り合いから食事会に華を添えてくれ、と呼び出されることもしょっちゅうだ。

「ファッションモデル」いうより、「モデルもできるインフルエンサー」といった最近の自分の立ち位置に、リマ自身も気づいている。

「あ〜あ。あのブランドの服、わざわざ着ていったんだけどな」

今日みたいなオーディションは、慣れてはいるけどちょっと辛い、というのがリマの本心だ。


さっさと結婚して、モデルやインフルエンサーの中でも「主婦枠」と呼ばれるジャンルに仲間入りしたいと思ってはいる。

だが、2年前から恋人さえいない。

オーディション会場を出ると、リマはバッグからスマホを取り出した。

『リマさん、今日、大丈夫ですよね?』

同じ事務所のモデルで後輩の愛莉から、LINEが届いていた。



『うん、大丈夫。今、表参道でオーディション終わったからこのまま向かうね』

リマが返信すると、愛莉から『よろしくお願いします』の一言と共にウサギのスタンプが送られてきた。

この後、19時から愛莉たちの食事会に合流するのだ。IT企業に勤める彼氏から頼まれて、愛莉が企画したらしい。

西麻布までの道をぶらぶらと歩いて下りながら、なんとなくInstagramを立ち上げる。

すると、誰かの投稿が目に入った。

それは、スーパーモデルのカイア・ガーバーが、真っすぐな眼差しで微笑んでいるスチール写真。

ただの白いタンクトップにデニムという究極にシンプルなスタイリングが、均整のとれた体をより一層魅力的に見せていた。

そして手元には、革ベルトの時計をしている。他にはアクセサリーはつけておらず、否が応でも時計に目が行ってしまう。

オメガの広告写真を引用しているらしいが、その写真の強さがリマの心を捉え、離さなかった。

― 素敵…。モデルとしてのルックスも表現力も。ナチュラルなのに時計の高級感が伝わってくる。



「ごめんなさい、遅くなっちゃって」

5分遅れで、リマは指定されたレストランに着いた。

すでにテーブルには、女性が3人、そして男性が5人着席している。

「リマさん!来てくれてうれし〜」

愛莉が満面の笑みで迎える。

男性は愛莉の彼氏と同じ会社の同期たち。愛莉以外の2人の女性は、愛莉がファッションショーで知り合ったインフルエンサーらしかった。

「リマさんってこんなに綺麗なのに、彼氏いないんですよ」

場を盛り上げるためか、リマを持ち上げるためかわからないが、愛莉がリマの紹介も兼ねて彼氏がいないことを伝える。



「綺麗すぎるからじゃない?身長何センチ?年齢とかって聞いてもいいですか?」

すでにお酒が入っている男性に1人に聞かれた。

「175センチ、32歳です」

リマは簡潔に答えた。

「高っ!めちゃ細くて、かっこいいっすね。姉さんって感じで!」

「えっ、やだ、すみません。オーディション帰りなので、女っぽくない格好でごめんなさい」

リマは適当にあしらうと、その場の全員が「確かに、姉さん」と同意する。

「私の憧れの先輩を姉さん呼ばわりしないでください!ところで、リマさん、何食べますか?」

愛莉が気を使って話題を変えようとする。

「あ、なんでも大丈夫…」

リマは適当に濁しながら、化粧室に立ち上がった。

実は、リマには気になる人がいる。

半年前に美容関連のイベントで知り合った、WEBマガジン編集者の直斗だ。

これまで共通の友人と共に食事やバーベキューに度々出かけている。

それ以降、Instagramを通じてメッセージを送りあったりはするけれど、2人きりで会うまでは発展していない。

彼は、すらっと高身長で、知的で落ち着いた雰囲気が素敵だとリマは思っている。

2人きりで話してみたいと思っているが、彼の隣に似合うのは自分じゃないような気がして、アプローチさえできていない。

化粧室を出たところで、Instagramを立ち上げると、直斗のストーリーが目に入った。

まだ仕事が終わらず、同僚と頼んだUber Eatsの写真がアップされていた。

― 仕事熱心だなぁ…。

酔った勢いで、『お仕事遅くまで大変ですね!』と一言だけメッセージを送ると、スマホをバッグにしまい込み、リマはテーブルに戻る。

だが、その時、男性陣の心ない言葉を耳にしてしまったのだ。


「リマさんって、どっかで活躍してたことある?」

「あるある!もう休刊しちゃったけど、ファッション雑誌の専属モデルとかやってたんだよ」

愛莉が悪びれる様子もなく答えていた。

柱の影で、リマは呼吸を整える。

「ごめーん!なんの話?」

妙に明るく席に戻ったが、リマは内心ショックだった。その後の会話には加わりはするものの、心ここにあらず。

結局、二次会に行こうと盛り上がっている彼らをおいて、「明日、仕事で朝早いから」と断り、途中で帰ってきてしまった。

帰り道、通りがかりの店のショーウインドーに映った自分の姿を見た。

もともと痩せ体質ではあるが、若い頃に比べ、体型は崩れている。それは自分でもわかっていた。

細いだけで締まっていない。歩き方や座り方だってかつてのように気をつけてはいない。

― 同じ業界には、30代、40代になっても活躍し続けている人はいるのに…。

私には、何もない…。

自分の姿を見つめたまま、リマがため息をついた時。

ブルッ…。

バッグ伝いに振動を感じ取り、リマはスマホを取り出すと、直斗からの返信が届いていた。

『リマちゃんも、仕事?』

なんて答えるべきだろう、とリマは一瞬考える。

『いえ、違います。

実は最近、オーディション落ちまくってて…。モデルとしてのキャリアはあるんですけど、自分に自信ないから、余計にオーディションに落ちる、っていう負のループにはまってるんです…』

リマは正直な気持ちを打ち明けた。

『でも、モデルの仕事が好きなんでしょ?』

その言葉に、リマはハッとした。仕事が好きか、なんてリマはここ数年考えたこともない。

『好きです』

『じゃあ、頑張るしかないんじゃない?自己分析して、自分の強みと弱みを把握して次に生かす。これ、ビジネスシーンではよく言われるんだけど』

彼に他意はないのはわかっている。だが、リマはそのメッセージに目を潤ませた。

― 仕事なのに。私、年齢とか事務所のせいにして、何もやってなかった…。

『直斗さん、私、なにも頑張ってなかった…。恥ずかしいけど、今のメッセージ見てハッとしました。』

そう返信しながらリマは決意した。もう一度ちゃんとモデルとして頑張ろうと。



2年後。

リマはまたモデルとして返り咲いていた。

悔しい思いをしたあの日を機に、ピラティスで体を作り直したり、初心に戻ってポーズや歩き方のレッスンを受け直したりした。

誘われても飲み会は極力断り、食事は基本自炊。お酒は週に一度だけと決め、揚げ物やラーメンは封印。

そして、表現の幅を広げるために、カメラマンやヘアメイクと一緒に作品撮りを行い、これから増やしていきたい仕事について、所属事務所に積極的に提案していった。



実は、トレーニングを始めてから、数週間後にリマは直斗にメッセージを送っている。

『直斗さんからもらったメッセージのおかげで、もう一度モデルとして挑戦してみよう思いました。

挫けることもあると思うので、たまにはお茶でもご一緒してください』

それがきっかけとなって、リマは直斗と時々お茶や食事をする仲に発展。

半年前から付き合い始めた。

自身の努力を発信し続けてきたInstagramのフォロワー数は、10万を超えた。

体を改善し続けるために行ってきたエクササイズや、体をきれいに見せるための着こなしも人気だ。

「おはようございまーす」

タクシーを降りると、リマは慣れた様子でスタジオに入って言った。

今日は朝から自身の愛用品について、ファッション媒体で取材を受けることになっているのだ。

「撮影の前に取材させてください。

まず、毎日これだけは絶対に持ち歩いている、身につけているっていうものがあれば教えて下さい」

編集者に聞かれ、リマは答えた。



「バッグやその中身はその時々の気分で変えますが、仕事の時は必ずこの時計をつけています」

そう言って、リマは手元の時計を見せた。

それは2年前のあの時、なんとなく流れてきたInstagramで見た、カイア・ガーバーが付けていたあの時計だ。

「この時計は、2年前にモデルとして体を作り直し、一からやり直そうと決意した時に、その気持ちがいつまでも持続するように、って願いを込めて買ったんです。

その時の私には、本当に高い買い物で…」

ピンク味を帯びたゴールドのケースに、アリゲーターレザーのストラップ。ケースの両サイドには、曲線状にダイヤモンドが配されている。

「でも、買ってよかったって思います。私のお守りのような時計なんです」

そこまで言うと、リマは愛おしそうに腕時計をじっと見つめた。


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