◆前回のあらすじ

上京したばかりの春香は、年上のカメラマン・光司と交際中。アートや文化的偏差値が高い彼の存在に魅了され、春香の感性も磨かれていく。
仕事も順調で、カメラマンと付き合う醍醐味を味わっていたが…。

▶前回:富山から上京して中目黒に住む女。年上のカメラマン彼氏に夢中になるが…



カメラマンの男/春香(23歳)の場合【後編】


春香が光司と交際をはじめて、1年ほどの月日が経った。

「たまたまジャック&ベティで観たトリュフォーの光の使い方と構図が最高だったんだよね。もう一度見にいきたいくらいなんだよな」

いつもの恵比寿のバー。夢中で語る彼の横で、春香は相変わらず笑顔で頷く。交際当初と違うのは、春香があの頃よりカルチャーやアートの造詣を深めていることだった。

すでに春香は、光司の語ることはだいたい理解できるレベルになっている。

今の言葉を翻訳するとすれば、『横浜・黄金町にあるミニシアターで、古いフランス映画を見てその映像技術に感動した』というところだろうか。

「へぇ。横浜に行ったんだ。仕事で?」

「いや…なんとなくひとりでフラフラとね」

「それなら私も誘ってよ。横浜ならみなとみらい行って、赤レンガでスイーツを食べたかったな」

春香は流れでなにげない願望を口に出す。すると光司は、ウイスキーグラスを口元に運ぶ手を止め、鼻で笑うのだった。

「…キミもそういうところに行きたがるんだ」

田舎者の23歳女子の一面が、ふいに出てしまったことにハッとする。

「僕はムリ。あの界隈なら、伊勢佐木町や野毛の方が好きかな。スイーツとか、ハリボテのフォトジェニックは好きじゃない」

「だよね…」

光司は、仕事以外で観光地やテーマパークに行ったことはないという。大衆的なバラエティや胸キュン系映画も、わかりやすく苦手だ。彼の美意識に合わないのは十分納得できる。

ただ…共に時間を過ごす相手としては、消化不良の部分があった。

― トリュフォーも気になるけれど、コスモワールドの観覧車に乗ってみたかったのにな。


気が乗らないならば仕方ない。そう切り替えた春香は光司に、映画と野毛散策デートを提案してみる。しかし、お目当ての映画の上映期間中に予定の合う日が無く、結局、有耶無耶になってしまった。

― つまらないの…。

ここ最近、光司は来年公開の大作映画のスチール撮影が立て込んでおり、相当多忙のようだ。

それは春香も同様で、企画を任されるようになってからはイレギュラーな出勤や残業も多々あり、きまぐれな光司の「会いたい」に応えられない日も増えていた。この日も、2週間ぶりの逢瀬だった。

しかし、同じ目線の会話を楽しめるようになってからは、離れていても苦ではない。

会えない時間も、光司から教えてもらったアートやカルチャーの世界に没頭し、ひとりきりでも楽しめるようになっていたから。

― まあいいか。来週、ひとりで横浜の映画館に行こう。

光司の好きなモノに触れるだけで、繋がっている気がするのだ。



次の休日。早起きした春香が向かった先は、横浜だ。

住まいのある中目黒から、横浜まで電車で1本。映画館のある黄金町までは距離があるが、上映が始まる夕暮れ時まで近辺を散策してから向かおうと考えていたため、むしろ都合がよかった。

春香はまず、みなとみらいの『水信フルーツパーラーラボ』を訪れる。横浜で100年以上の歴史を持つ老舗果物店が手掛けたデザートカフェだ。

横浜マダムから長年愛されているという上質なフルーツのクオリティや、丁寧なおもてなし、シンプルながらセンスある内装がインスタで紹介されているのを見て、ずっと行きたいと思っていた。

横浜のシンボルである花火のような観覧車や、ヨットの帆を模した半月状のホテルを眺めながら味わう色鮮やかないちごのパフェ。

見た目が鮮やかで甘いだけでないイチゴの可能性を最大限に引き出し、ジェラートやパイ生地、ジェリーなどの食感や風味が重なり合う繊細な味わいは、五感の全てを満足させてくれた。決して、ハリボテのフォトジェニックなどではない。

― 美味しいし、こんな素敵なお店なのに。光司は誤解してるよなあ…。

春香は空になったパフェグラスを前に頬杖をつく。

店内に溢れる自分と同年代の女性客たちのはしゃぎ姿は、キラキラとした輝気に満ちていた。春香は微笑ましげな表情でそれを見つめた。



― 多分、この辺りだと思うけど…。

いつの間にか上映時間が迫っていたため、春香はジャック&ベティのある黄金町まで地下鉄で向かった。

映画への期待に胸を膨らませながら、目的地を探す。

しかし…いつのまにか退廃的な匂いのする通りに迷い込んでしまっていた。



― あれ?なんだか、怪しい雰囲気…。

先ほどまでいた港湾地区の健康的な明るさとは違い、ダークな輝きが満ちている。夕暮れにピンク色のネオンが眩しい。道を誤ったに違いなかった。

ある意味、光司がカメラマン的に興味を持ちそうな、味のある街並みではある。

けれど、辺りは薄暗い。上映時間が迫りつつあるという焦燥感とともに、不安が春香を襲った。

彷徨いの果てに、とにかく駅に戻って仕切り直そうと心を決めた時だった。

「ここでいいだろ」

「えー、もっとキレイなところがいいなぁ〜」

若い男女の声が、背中の奥で聞こえた。ホテルに入ろうとするカップルだろうか。思わず振り向いてしまった。

― あれ?

興味本位以上に、男の声にどこか聞き覚えがあったのだ。


春香の視線の先には、見覚えのある人物がいた。

自分と交際しているはずの男性──ほかでもない、光司だ。

光司が並んで歩いているのは、ピンクのミニリュックを背負った、巻き髪の可愛らしい女性だ。

180cm近い彼の背中は、小柄な横の女性に合わせて、微かに丸くなっている。ハリボテのようなクラシックな建物に肩を寄せ合い入っていくふたりを、春香は呆然としながら見送った。

姿が消えても、春香の脳裏のフィルムには、光司とその横にいた女の姿が焼き付いている。

― 信じられない…。

呆然と、ただ、立ちすくむ。



しかし、腑に落ちなかった部分が繋がったところはあった。

多忙なはずの光司が、特別縁もない横浜へ目的もなくフラフラと訪れていること自体、不自然なことだったから。

盲目が疑念を無理やりかき消していた。最近なかなか予定が合わず、突発的な「会いたい」ばかりなのも、そういうことなのかもしれない。

春香はそのまま映画を見ずに、帰路につくのだった。



数日後。光司をいつものバーに呼び出して、その件を問い詰めた。すると、彼は動揺することもなく淡々と答える。

「ああ、横浜に住んでいるモデルの子と、ホテルでロケハンをしていただけなんだよね」

「ならふたりきりで密着する必要もないんじゃない?」

「モデルとは関係性の構築が必要なんだよ。アートを理解する春香なら信じてくれるよね。そんな感情的にならないでくれよ」

「…」

光司の人を舐めた余裕しゃくしゃくの態度に、春香は絶望を感じる。

それと同時に、今までの行いを反省した。光司をむやみに崇拝し続けていたことを…。

彼の美意識を、絶対だと思い込んでいた。そんな不思議な雰囲気の男に見初められた自分にも酔っていた。

けれどあの時、彼の隣にいた小柄な女の子は、ブラウンのゆるふわな巻き髪だった。

グラマラスな身体のラインが露わになる、ピンクのロングワンピースが似合っていた。

鮮やかなパフェと自撮りをしていそうな、どこにでもいる可愛さで…光司に微笑みかけていた。



つまり、自分が神様だと思っていたのは、所詮、28歳のどこにでもいる男だったのだ。

膨らんだ風船が一気にはじけたような気分──それがたとえ出来心で、軽い火遊びだったとしても、春香にとっては解せないことだった。

「だいじょうぶ。君は僕のファム・ファタールなんだよ。たとえ、一時的に他の女性を愛そうと、僕が狂っているのは君にだけなんだ」

震える春香の肩を抱き、光司はゆったりとしたトーンで耳元に囁く。

しかし春香には、どうしてもその言葉の意味が理解できなかった。

「…は?」

たった一文字だが、これまで溜め続けた様々な想いが込められたひと言を、春香はついに発してしまった。

そのまま背を向け、静かに店を去る。振り向くことはもうないだろうと心に誓って。

―― 帰ったら、ネトフリで恋愛ものの韓ドラでも見ようっと。

春香は決心し、できるだけ開けた大通りを目指して、前を向いて歩きだした。

そのとき、スマホが小さく鳴動する。それは、春香の上司からのメールだった。

『お疲れさまです。椎野さんが先日手がけた特集企画「カタチから入る歌舞伎入門」ですが、上層部からも好評でweb版の記事の反応もいいようです。

第2弾と連載化の話があがっているんですが、朝一で打ち合わせ可能でしょうか?』

初めて歌舞伎を見に行ったのは、光司に連れられてのことだった。あの時は何も分からなかったけど、実は今、贔屓の役者もでき、自らチケットを購入して足を運ぶようになっている。

自分の中の光司の名残を感じながら、胸の痛みにお礼を言う。

上司に返事を送った後、春香はファム・ファタールの意味についてさっそく調べたのであった。

<カメラマン男子>
高い意識と、浮世離れした芸術肌な感覚についていけない。実は表層的で、自分に酔っているだけの可能性も?


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