TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30〜)。この番組では、多摩美術大学卒業で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。6月5日(土)の放送では、「玉堂美術館」で川合玉堂の生涯に迫りました。

◆15歳にして細密な写生、天才少年・川合玉堂

今回の舞台は東京都・青梅市、御岳にある玉堂美術館。ここはその名の通り、明治時代から昭和30年代にかけて活躍した日本画家・川合玉堂の美術館です。

すぐ目の前には多摩川が流れ、その雄大な景色に片桐は「ここスゴくないですか!」と思わず唸ります。

戦時中の1944(昭和19)年、玉堂はかねてから写生のために訪れていた御岳渓谷に疎開し、住居とアトリエを設けます。そして、戦後もそのまま定住し、この地を終の住処に選んだことから美術館が建立。ここには少年時代の写生から晩年の作品まで幅広く展示されています。今回、館内を案内してくれるのは玉堂の曽孫である同館の主事・小澤芳郎さん。

玉堂は、1873(明治6)年に愛知県で誕生。筆や墨などを扱う商店の長男として生まれ、幼い頃から絵に親しみ、14歳のときに京都で本格的に絵を学び始めます。彼が最初に学んだのは、写生を重んじ、均整の取れた表現が特徴の丸山四条派。しかしその後、玉堂は流派の垣根を越え、さまざまな画法を取り入れながら独自の境地を切り開いていきます。

まず片桐の目に留まったのは、「鴛鴦 雌 写生」。「細かいスケッチというか、まるで博物学の資料のよう」と感心していると、15歳のときの作品だと知らされ「15歳!?」と声を上げて驚きます。

「このくちばし、羽根の細かい部分とか……僕も14歳の頃から画塾に行っていたけど、すごい。探求するタイプの方だったんですね」と目を丸くします。

玉堂は丸山四条派で3年学び、博覧会での入選を機に、流派の垣根を飛び越えていきます。23歳で上京し、格式高い画風で力強さと華麗な表現が特徴の狩野派の橋本雅邦に師事。同じく雅邦の元で学んでいた横山大観らとともに新たな画風を模索しながら才能を開花させていきます。

◆あくなき探究心で、さまざまな技法を習得

続いては、片桐が「気になっていた」という金屏風「紅白梅」(1919年)。これは玉堂が46歳のときの作品で、そこには彼ならではの特徴が。それは「花を描き過ぎないこと」。本来、美しい花は数多く描きがちですが、玉堂はわざと描かず、空白の部分を上手に使い、作品に気品を出していました。

この作品には、丸山四条派で培った写実表現と狩野派で学んだ力強くも華麗な表現が融合し、さらには琳派が多く用いた技法「たらし込み」も使用。玉堂は、豪華な背景に大胆でインパクトのある構図が特徴の琳派の技法をも柔軟に吸収していました。

そして、55歳の作品「老松蒼鷹」(1928年)では、狩野派の流れが強く見えつつも、丸山四条派の名残もあり柔らかさも感じられます。さまざまな流派の影響を受けた玉堂ですが、最も大事にしていたのは彼のルーツでもある写生。そこはブレることがなかったそうです。

そんな玉堂に、片桐は「あくなき探究心でいろいろな技法を吸収していく。そこ(流派)を軽々と渡り歩いている感じみたいなのは、ある種いさぎよいなと思いますけどね。かっこいい」と羨望の眼差しを送ります。

玉堂が生涯追い求めたモチーフは、大自然とそこに生きる人々の姿でした。片桐が「これまたキレイな絵ですね……」と称えたのが、まさに自然と人々が描かれた「峰の夕」(1935年)。ファンの間でとても愛されているというこの作品は、玉堂が山梨県の御坂峠に写生旅行に行った際、素晴らしい風景を見つけた彼は車を降り、その場で描き始め、甲府に泊まる予定を変更し、自宅に戻り一晩でこれを描きあげたとか。

普通は一晩で描きあげるのは困難。しかし、玉堂は通常日本画は下に置いて描くところ立てて描いていたため、肘や肩が自由に動くので速い筆運びが可能に。なぜそれを他の画家がやらなかったかと言えば、油絵の西洋画と違い、日本画は墨がすぐに垂れてしまうからですが、玉堂は墨の量が的確で、筆が速いので垂れる暇がなかったと小澤さんは解説します。

◆鴛鴦で始まり鴛鴦で終わる…最後まで描き続けた玉堂

次に片桐が注目したのは、玉堂が80歳のときの作品「夏川」(1953年)。「この画面構成、人がいて、上から川が流れていて、すごくやさしい風景ですよね。風物詩というか、地元の人が見たら『そうそう』となる感じ」と魅了された様子。

そして、その隣には「渓橋紅葉」(1953年)。そこには山から薪を運ぶ人が描かれており、「(玉堂が)御岳の地を愛している感じがこの2枚からすごく伝わってくる」と片桐。

そして、「色がすごくキレイで、これも気になった」と話すのは「春光」(1948年)。これは構図が素晴らしい隠れた名作で、ここでも梅の花を描き過ぎない玉堂らしさが。片桐は「下に梅、上は完全に余白。ここで終わらせる勇気」と感服し、「だからこそ動きが出て、他と違う感じがするんですね」と分析。

さらには、83歳のときに描いた「栃若葉」(1956年)を前に、「晩年の作品ですが、力がありますね」と感心しきり。

玉堂が最後に描いた大きな作品は、原点とも言える鴛鴦でした。それは自身の生涯を描いたと言われる「鴛鴦」(1957年)。14歳の「鴛鴦」に始まり、84歳の「鴛鴦」で締めくくるその壮大な生涯に「やり続けることで見えてくるものがあるんでしょうね。70年の集大成であり、なおかつ『初心忘るべからず』みたいなイメージもある。でも、何より描く熱量が何歳になっても衰えないのがすごい。描き続ける才能。これに尽きる」と感慨深そうに語ります。

こうして84年に渡る玉堂の人生を体感した片桐は、「画家の記念館というのは、その場所も縁のある場所で、絵と合っていて、100年近く経った今も変わらない存在感を感じられる。すごく素敵な体験させてもらいました」と感謝を述べ、流派の垣根を越えた玉堂のあくなき探究心に盛大な拍手を送っていました。

◆「片桐仁のもう1枚」は、玉堂18歳の作品「松茸 写生」

ストーリーに入らなかったものから、どうしても紹介したい1作品をチョイスする「片桐仁のもう1枚」。今回、片桐が選んだのは、玉堂が10代の頃の写生のなかでも特に度肝を抜かれたという「松茸 写生」(1891年)。「この房の裏側の繊維の感じがすごい。動物だろうが、植物だろうが、どういう形をしているのか。どう描くといいのかを追い求めている。もう学者ですね」と絶賛。

なお、玉堂美術館には玉堂が実際に使っていた画室が当時のまま移築されています。今回、特別に玉堂が使っていた椅子に座らせてもらった片桐は「おぉ……」と声を漏らしつつ、目の前に飾られた描きかけの絵を前に「筆の運びに迷いがないもんな……」と言いながら見入ります。

そして、最後はミュージアムショップへ。片桐は、「美術館に必ず売っている(僕の)好きなやつ。これを考えた人はすごい」と言い、ポストカードやスケッチブックを手に楽しんでいました。

※開館状況は、玉堂美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>番組名:わたしの芸術劇場放送日時:毎週土曜 11:30〜11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00〜8:25<TOKYO MX2>「エムキャス」でも同時配信出演者:片桐仁番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/