TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25〜)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。5月20日(金)の放送では、「小平市平櫛田中彫刻美術館」に伺いました。

◆木彫の最高峰、日本近代彫刻界の巨匠の半生を辿る

今回の舞台は、東京都・小平市にある小平市平櫛田中彫刻美術館。ここは、木彫の精緻な作品で知られる彫刻家・平櫛田中が晩年に過ごした住居兼アトリエに建設された美術館で、1984年に開館しました。

平櫛田中は、1872年に岡山県井原市の田中家に生まれ、10歳のときに平櫛家の養子に。そして、26歳で彫刻家になる際、「平櫛田仲」と名乗ります。107歳まで創作を続けた田中の代表作といえば、国立劇場にある2メートルを超える大作「鏡獅子」。

制作に費やした歳月は20年以上、田中の集大成とも言える作品はいかにして生まれたのか、片桐が同館の貴重な資料とともに迫ります。

彫刻研究家で学芸員の藤井明さんによる案内のもと、まず鑑賞したのは、田中が29歳のときの作品「唱歌君が代」(1901年)。

田中は大阪の小間物問屋に奉公した後、21歳で憧れの人形師に弟子入りし、そこで木彫の基礎を教わり、その後25歳で上京。創作活動に打ち込むのですが、その頃からすでに才気煥発。

木彫とは思えないほど細やかな造形に、片桐は一目見るなり「すごい造形力ですね」、「まるで3Dスキャンしたような、全てが生々しい」と驚愕。当時の彫刻界は見たものを見た通りに正確に表現するのが課題でしたので、田中は見事にそれを体現し、本作は日本美術協会美術展で銀杯を受賞しました。

その後、リアルな造形を追求していた田中も40代になると作風に変化が。48歳で制作した巨大な作品「転生(※ブロンズ像)」(1921年)では、空想上の存在である“鬼”を表現。その口からは何か出ていますが、なんとこれは「人間」だとか。

これは田中が幼い頃に聞いたと言われる「中途半端に生きている人間は不味く、鬼でさえも吐き出してしまう」という話が元になっているそうで、そこにはいい加減に生きることなく、やると決めたことはとことんやる人間でありたいという田中の心情が表れています。

何より、リアリズムを追求していた初期の頃に比べ、本作は勇ましさが誇張されています。そうした変化の契機となったのが岡倉天心との出会いだとか。東京美術学校を設立するなど、当時の美術界を先導する岡倉との出会いにより、田中は芸術作品としての描写力を意識。田中はより迫力のある肉体表現、さらには空想の存在を追い求めるようになっていきました。

「自分にしかできない芸術みたいなものを追い求めるということでもありますよね」との片桐の言葉通り、田中の個性がより色濃く反映された作品となっています。

◆精緻な作品ができたわけ…「星取り法」なる技法の存在

続いては田中が生涯を通して数多く制作した「気楽坊」という作品ですが、展示台には木彫と石膏像が。なぜ2つあるのかといえば、田中の木彫制作の工程を伝えるため。

石膏像を見てみると黒い点が多数ありますが、これは「星取り法」という立体物の原型を別の立体物にコピーするときにできるもの。木彫制作にあたっては、いきなり木を彫るのではなく、まずは自由に調整できる粘土で見本を作り、それを石膏で形取ります。

そして、完成した石膏像を「星取り機」という道具でポイントとなる位置に黒い点を打ちながら計測。

その後、石膏像を外し、荒削りした木材を同じように固定。黒い点の位置をドリルで石膏像と同じ深さまで掘り進めます。田中はこの「星取り法」という、今で言う3Dプリンタのような技法で精緻な作品を作り出していました。

ちなみに「星取り機」は元来、ヨーロッパで大理石彫刻の際に用いられていた道具で、それを木彫に応用したところ見事に成功。それで木彫家の間に拡大したわけですが、「星取り法」で作られた作品はよく見ると表面に点の跡が残っていることもあります。また、「星取り法」は木彫にも関わらず原型が残るため、田中はこの技法で自分の好きなモチーフを何度も製作していたそうです。

◆超大作「銀獅子」ができるまで、そしてその後は…

そして1936年、64歳でいよいよ「鏡獅子」の制作が始まります。このモチーフは歌舞伎の人気演目で、モデルとなったのは六代目・尾上菊五郎だとか。

田中は制作にあたり、歌舞伎座に25日間通い詰め、いろいろな場所から観察し構図を決定。そして、22年もの月日をかけ完成へと至ります。

小平市平櫛田中彫刻美術館には、そんな「鏡獅子」にまつわる作品が数多くあり、そのひとつが「鏡獅子」完成後に保存用に作られた「鏡獅子」(1965年)。

さらには、最初に作ったと言われる「試作鏡獅子」(1936年)も。そこには、黒い点の跡がたくさんあり、星取り法を用いていたことがわかります。

ここで片桐からは「なぜ前髪がカットされているんですか?」との質問が。その理由は、形が取りにくい部分であること、さらに顔は大事な部分ということで、よく見えるようにしたそうで、そこにもかつてのリアリズム時代との違いが窺えます。

また、彩色は全身に金箔を貼り、その上に色をつけるというこだわりようで、田中の「鏡獅子」への執着が感じられますが、さらにそれがわかるのが「鏡獅子試作裸像」(1938年)。

鏡獅子は歌舞伎の厚い衣装を着ていますが、その中の人間はどんな骨格で、どんな筋肉をしているのか、これはそれを知るためだけに作ったもの。加えて、頭部のみを作った「鏡獅子試作頭」(1938年)も。しかも、サイズは実物と同等というこだわりようで、片桐の口からは「すごいな〜」、「面白い」との声が漏れます。

こうして22年かけて「鏡獅子」を完成させますが、その後も田中は作品を制作。107歳で亡くなる前年には「西山公」(1978年)を発表しています。

これには片桐も「106歳ですか!」と驚き、「彫刻って絵画より肉体的に大変じゃないですか。ノミを使うから腕力も必要だし。本当にスゴいですね!」とただただ感服。

しかし、当の本人は「六十、七十は鼻垂れ小僧、男ざかりは百から百から、わたしもこれからこれから」なる言葉を残しているそうで、100歳を超えても制作意欲は止まず。片桐も「六十、七十は鼻垂れ小僧ですから…僕は…胎児です(笑)。すごいですね…」と圧倒されていました。

田中の長い彫刻家人生の軌跡を辿った片桐は「20代の頃から3Dプリンタで写し取ったような写実性、技術。そして、岡倉天心と出会い、理想なものを作ることに傾倒していくのは本当にすごいと思いましたけど、やはり、なんと言っても“長生き”。これが大事ですね。そして、作家業70年以上のうち『鏡獅子』に20年、追い求めるってやっぱりすごいなと思いました」と感想を述べ、「自分のスタイルを確立し、信念を持って作品を作り続けた平櫛田中、素晴らしい!」と絶賛。100歳を超えても作り続けた生粋の芸術家に拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、「楠の原木」

小平市平櫛田中彫刻美術館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものの中から学芸員の藤井さんがぜひ見てほしい作品を紹介する「今日のアンコール」。今回、学芸員の藤井さんが選んだのは「楠の原木」です。

田中の旧宅に入ってすぐの場所に置かれたその大木は、彫刻を彫るためのもので、田中が100歳のときに20年寝かせておけば立派な彫刻材になると購入。それを聞いた片桐は「20年近く寝かせておけばちょうどいいと、100歳でこんなに大きな木を買ったんですね! すごい制作意欲!」とビックリ。この木材は同館のシンボルとして展示されています。

最後はミュージアムショップへ。手ぬぐいや栞など、さまざまなグッズがあるなかで、「これは初めて見たかもしれない!」と片桐が見入っていたのはオリジナルの「懐紙」。

これは懐に入れて携帯するための和紙で、お茶会などにも用いられるもので、片桐は「懐紙がグッズになっているのは初めて見た、珍しいですね」と目を丸くします。

そして、クリアファイル、トートバッグなどがあり、さらには「書」の色紙も。田中は晩年、趣味で書も嗜んでいたそうで、思わず目を留めて眺める片桐でした。

※開館状況は、小平市平櫛田中彫刻美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>番組名:わたしの芸術劇場放送日時:毎週金曜 21:25〜21:54、毎週日曜 12:00〜12:25<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00〜8:25<TOKYO MX2>「エムキャス」でも同時配信出演者:片桐仁番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/