【故ジャイアント馬場さん夫人・馬場元子さんの遺言(最終回)】現在、DDTで活躍する秋山準(51)は、1992年に専修大レスリング部を経て、ジャイアント馬場さんにスカウトされ全日本プロレスに入門した。2000年6月のノア旗揚げに参加した後、13年4月には全日本に参戦。翌14年6月には社長に就任することが発表された。

 当時のインタビューで馬場元子さんは「全日本を預けるのは秋山君しかいない」と語っている。自ら「馬場家の五男坊」と公言してかわいがっていた秋山に低迷する全日本の再建を託すのは当然の流れだった。そして14年6月2日に秋山から一本の電話があった。

「全日本の社長を引き受けることになりました。元子さんから『何かあったら東スポの平塚君に相談しなさい』と言われたので報告します」との内容だった。元子さんの姪・緒方理咲子氏に「何かあったら頼りなさい」と告げていた言葉とほぼ同じ内容だった。翌3日に横浜市内の道場近くのカフェで会って話を聞き、同日の本紙で「秋山全日本社長就任」の記事が掲載された。

 デビュー当時から秋山を取材してきた記者にとっては、会社が混迷を続ける大変な時期に、よく重荷を引き受けたという思いしかなかった。そして秋山の覚悟も相当なものだった。自ら任期を「5年」と定め、経営だけでなく私生活も徹底的に切り詰めて、地道に確実に興行を打っていくという。本来なら自由奔放にリング上で暴れ回るはずの男の使命感と責任感に胸を打たれた。

 新聞代も節約したいとまで言うので、スクラップ用に全日本の記事が掲載された本紙を半月単位で3年間、事務所に送り続けた。ある日、何かのキッカケですっかり郵送を忘れてしまい、最後の2年間は送っていない。この場をお借りして秋山におわびしたい。すいません。最後の2年間はサボってしまいました…。

 秋山は公約通りに全日本を再建へ導き、5年の任期を終えて19年7月8日付で社長職を退いた。想像を絶する重圧を強いられた5年間だったに違いない。

 そして今年2月15日にDDTに正式入団。今、DDTのリング上で躍動する秋山は再び全盛時の輝きを取り戻したように見える。デビュー当時は先輩の激しい攻撃で毎日半失神していた姿を見ていただけに、とても充実して楽しそうだ。身分不相応に元子さんに頼られた記者は年も重ねて足腰も弱りすっかり頼りなくなったが、秋山の輝く姿を最後まで見届けることが、残された責任なのだろうかと思う。

 秋山だけでない。全日本はもちろん丸藤正道(41)や杉浦貴(50)、小川良成(54)ら馬場さんの遺伝子が受け継がれたノアの選手たちの活躍を見届けて記事にすることが、馬場さんと元子さんに対する最大の供養になるのではないかと考えるようになってきた。

「つまりそういうことなんですよ」。和田京平氏が締めくくる。「もう何のわだかまりやしがらみもない。それぞれの場所で頑張る姿を馬場さんも元子さんも笑って見てるんじゃないかな」

 今年の4月14日は晴れるだろうか。今なおリング上で躍動する選手たちに天から春の陽光が降り注ぐことを切に願う。(終わり)

(運動二部・平塚雅人)