【多事蹴論87】日本の“闘将”がW杯で世界的ヒールになった事情とは――。2010年南アフリカW杯を控える岡田ジャパンは同年6月4日に国際親善試合(スイス・シオン)でコートジボワールと激突し、0―2で敗れた。この試合で対戦国主将のエースFWディディエ・ドログバ(チェルシー)と空中で競り合ったDF田中マルクス闘莉王のヒザが右腕を直撃。右ヒジ付近を骨折させてしまった。

 W杯開幕直前にまさかの“アクシデント”。ドログバは同シーズンのイングランド・プレミアリーグ得点王でコートジボワールの大黒柱だけに、大ニュースとして世界中を駆けめぐり、負傷させた闘莉王の名前も知れ渡ることになったが、W杯初のアフリカ開催。それだけに、同地域を代表するストライカーを負傷させてしまった影響は大きく、日本サッカー協会側は本番に向けて闘莉王の状況を懸念していた。

 特にヒール扱いされることで地元ファンから激しいブーイングを受けかねないことや、海外メディアから取材攻勢を受けるとともにバッシングされて重圧が増すこと。さらに“ラフファイター”として、レフェリーから目をつけられやすくなるなど、W杯を戦う上で本来なら避けなければならない事態に直面。日本サッカー協会側も今後を不安視していた。

 さらに状況をややこしくしたのは、闘莉王が03年に日本国籍を取得したブラジル出身ということだった。ドログバを擁するコートジボワールはW杯1次リーグでサッカーの王国ブラジル、大スターのFWクリスチアーノ・ロナウド率いるポルトガル、北朝鮮と同組。強豪国が集まる「死の組」として注目されていたことから、世界中のメディアや多くの関係者からあらぬ疑念を持たれることになった。

 ドログバを負傷させた闘莉王がブラジル出身であることが知れ渡ると、ブラジルでは「闘莉王がブラジルをサポート」「ドログバを骨折させた英雄」などと過剰報道。ブラジル大手「グローボ」の記者は当時スペイン1部レアル・マドリードに所属していたブラジル代表10番のカカよりも「ヒーローとして注目されている」と言うほどだ。こうした報道も出たことから一部では“謀略説”も飛び交うなど、闘将は窮地に追い込まれていた。

 それでも闘莉王は南アフリカ入り後、周囲の騒々しさに「もう気持ちの切り替えはできた。自分の方が先にボールに触ったし。ただスタッフに頼んでコートジボワールに謝りの手紙を送ってもらった。(ドログバは)ピッチに立ってもらいたい。W杯に出場してほしい」とし、世界が注視することには「W杯で注目も集まったのかな。こういうときに目立たないと」と語っていた。

 大騒動となったが、闘莉王らイレブンは大会に集中。下馬評を覆してベスト16進出を果たした。(敬称略)