王さん、地球を踏みしめるのですよ

【ネット裏 越智正典】先月の7月1日は王貞治が一本足で第1号ホームランを打った記念日である。

 1962年、その年の6月なかば過ぎ、私のメモでは6月25日であるが、監督川上哲治はその年、長嶋茂雄が不調と見て取って、打撃コーチ荒川博に指示した。

「長距離打者をなんとしても一軍に送れ」

 といっても、荒川博には直接伝えなかった。別所毅彦がヘッドコーチであったので別所に伝えた。

 別所は筋を通す川上に感激し、熱い思いで電話で荒川に伝えた。

「なんとしても応援する。たのんだぞ!」

 荒川は王をこのまま送り出すのは少し早い…と思ったが、一本足で進むよりほかにない。

 7月1日、川崎球場での大洋―巨人戦。3回表、王は大洋の投手、稲川誠(立教大、社会人野球富士鉄室蘭)から右中間に一本足第1号ホームラン。記念すべき一打であった。

 稲川は立教大時代、豊島区千早町の立教大合宿所の屋根の上から、高校野球の東京大会の会場になっていた立教大グラウンドで、見事に打つ早実の王貞治に「凄い!」と声援を送っていた。野球界にも“アヤ”が多い…。

 試合が終わると、王は三塁ベンチのとなりの、三畳ほどの審判控え室に入り、内線電話を借りて母親の登美さんに電話をかけた。

「おかあさん、打ったよ」

「帝釈天さまのおかげですよ。こんど、よい日にお父さん(仕福さん)に頼んでお礼に行きましょう」

 登美さんは昭和のはじめ、富山県氷見から東京に働きに来てから、のちに映画「男はつらいよ」の舞台にもなった柴又の帝釈天にお参りを続けていた。

「ハーイ」

“貞ちゃん”はおかあさんのお供をしてお参りに行っていた…。

 荒川博はその後、暁に起きて、神田のすずらん通りの、羽賀準一の居合い道場に本格的に通い始める。真剣での居合いである。王は純な思いで同行。たとえば手首のしぼりを学んだ。小指、薬指、中指でしっかり剣を握れなければならない。荒川はますます励んだ。

 荒川は新宿区若松町の、合気道の植芝盛平道場にも、改めて王とともに通う。王は同道場国際部長・藤平光一と向かい合ったとき、身動きもできなかった。

「世の中には『元気』『勇気』『覇気』発気の言葉がたくさんありますが、王さん、バッターボックスに立つのではありませんよ。地球を踏みしめるのですよ」

 王の超然たる思いが始まる。

 64年5月3日、後楽園球場での阪神戦で1試合4打席連続ホームラン。阪神投手コーチだった杉下茂は投手を送り出すとき「逃げるな、勝負せい!」。プロ野球の真の叫びでなければならない。 =敬称略=
 (スポーツジャーナリスト)


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