毎年同じ時期に同じ競馬場、同じ距離で戦う。これを繰り返すことで、競馬はスポーツとしても文化としても歴史的価値を積み上げてきた。50年前の日本ダービーも今年の日本ダービーも5月末に東京競馬場の芝2400メートルで行われたことに意味がある。

 しかし一方で、通年開催が当たり前になった近代競馬では、馬場や施設のメンテナンスが必須で、時に改修のための長期間の休みが必要になる。さらに、時代の志向による番組変更(短距離、ダート、2歳重賞…)も避けて通れない。「継続は金」なのだが、実はどの時代でもメインコンテンツはなるべく触らずに進めつつの「微調整」が目立つ。冒頭の一文には「変化を加えながら」のただし書きを添付したい。

 で、昭和42年5月。12日発行の東京スポーツの1面には前記「微調整」の最たる事案がレイアウトされていた。

 上段に日本ダービーの確定馬柱、その下にオークスの確定馬柱が置かれていたのだ。5月後半の日曜に2週連続でオークス、ダービーが開催される。これが中央競馬の定番なのだが、この年は13日の土曜にオークスが行われ、14日の日曜にダービーが行われた。

 競馬場やコースの改修でもなく、番組体系の方針変更に由来するものでもないだけに今思うと謎の土日開催なのだが、これは全学共闘会議のストライキのため、春の競馬が中止になったことが影響したもの。実際、この年の4月30日には中止→延期された桜花賞が皐月賞と同日に開催されていた。ところが、その事実には特に触れることもなく展望→確定→レース後記と、紙面は淡々と作られていた。

 実際「GⅠは週1個レース」の既成概念を外してみると…ダービーとオークスのメンバーが1ページに同居する紙面は壮観。この手の味付けも悪くないと思わせる「事件」といえる。

土曜にオークス、日曜にダービーが開催された昭和42年の紙面
土曜にオークス、日曜にダービーが開催された昭和42年の紙面

著者:東スポ競馬編集部