田原ふるさと公園と周辺の金剛寺境内などで11月23日、「実朝まつり」が4年ぶりに開催された。東地区まちづくり運動実施委員会と実朝まつり実行委員会主催の地元の人々が作り上げる恒例行事で、久々の開催に会場は大勢の人で賑わった。

昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ゆかりの地である「源実朝公御首塚」がある東地区を盛り上げようと例年行われている催し。今回で36回目を迎え、鎌倉幕府3代将軍であり歌人として和歌も残した源実朝を敬い後世に伝えようという目的もある。

賑わい見せた会場

当日は、会場にほど近く、実朝を供養するために造立されたと伝えられている木造阿弥陀三尊立像を擁する「大聖山金剛寺」の住職による法要などが首塚境内で執り行われた。また、田原ふるさと公園の広場には飲食物を販売するキッチンカーや体験ブースが出店。金剛寺を起点に行われる一番の見どころ「稚児武者行列」や、地元太鼓保存会と神輿の共演などが祭りに華を添えた。

同公園を管理する「ふるさと公園連絡協議会」も、ふるさと伝承館前で恒例のフリーマーケットを出店したほか、伊勢原出身のシンガーソングライター永澤蒼.さんによるライブも実施。金剛寺境内の阿弥陀堂では、同寺が所蔵する源実朝公関連の展示も行われ、来場者たちは思い思いに過ごしていた。

源実朝公御首塚とは

鎌倉幕府3代将軍・源実朝は健保7年(1219年)1月27日、鶴岡八幡宮への参拝が終わり階段を下りている最中に潜んでいた甥の公暁に暗殺されたといわれている。実朝の首を持ち逃走したが公暁が追手の三浦義村の家来により討伐されて以来、首は行方不明となり、実朝は首がないまま勝長寿院に葬られたが、三浦氏の武将・武常晴が首を探し出し埋葬したのが、東田原の御首塚だと伝えられている。

三浦氏が公暁討伐に差し向けた家臣の一人である武常晴は何らかの理由で首を主の元に持ち帰らず、当時、三浦氏と仲の悪かった波多野氏を頼り埋葬したと伝えられており、その後、波多野忠綱が実朝の厚い帰依を受けていた僧・退耕行勇を招き御首塚の近くに金剛寺を建て供養したという。