NHK大河ドラマ『青天を衝け』は、江戸幕府の最後の将軍となる徳川慶喜に仕え、のちに「日本資本主義の父」と称された実業家の渋沢栄一の生涯を追う物語。4月11日は幕末の政局を変える桜田門外の変が描かれる。この歴史的事件の裏には、おそらくはドラマで語られることのない、深い食べ物の恨みが絡んでいる。

水戸脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が、大老の井伊直弼を暗殺した桜田門外の変。背景には開国に端を発する、慶喜の実父である水戸の徳川斉昭と井伊大老との対立があったことで知られる。

水戸の御老公と呼ばれた斉昭の好物は牛肉だった――そういうと違和感を覚えるかも知れない。そもそも牛肉を食べる習慣は、明治維新によって広まったはずだし、仏教信仰が広く浸透していた江戸時代には、ほとんどの日本人は肉食を忌避していたとされる。

ところが、江戸時代には肉を食べていた。それも「薬」として。例えば、安永年間(1772〜1781年)には、麹町平河町に「山奥屋」という店があった。ここに通う武家たちは「紅葉」や「牡丹」という料理を食べていた。鹿や猪のことをしゃれや隠語でそう呼んでいたのだ。これを「薬喰(くすりぐい)」といった。

牛肉生産を認めていた彦根藩

その江戸時代に、代々にわたって牛の屠畜と牛肉生産を認めていた唯一の藩があった。彦根藩だった。

それこそ、『忠臣蔵』で知られる大石内蔵助は、堀部弥兵衛に牛肉を送っている。弥兵衛は赤穂浪士四十七士の中で最年長の討ち入り当時77歳で、その娘婿が高田馬場の決闘で見そめた堀部安兵衛だ。このときに大石が送ったのが、彦根名物の味噌漬けだった。

そのことを記した手紙の一文にはこうある。

倅(せがれ)主税などにまいらせ候と、かへつてあしかるべし、大笑大笑

大石の息子である主税のような若者には、強すぎる薬。「悪しかるべし」と笑っている。

彦根藩主の井伊家では、太鼓の張り替えに毎年5枚の生皮と一緒に、牛肉を「薬」として幕府、将軍家に献上。御三家や老中などにも進呈していた。このお裾分けの牛肉が大好きだったのが、水戸の御老公斉昭だった。