2012年の暮れから連載が始まった漫画「文豪ストレイドッグス」が火付け役となって広がったのが「文豪」ブームです。文豪たちは人並み外れたイメージと言葉を自在に操る一方で、私たちと同じように生きて暮らし、悩み、悦び、苦しんだ生活者でもあります。では、文豪たちはどこで誰とどのように暮らし、何を考えていかに生きたのでしょうか。暮らしと執筆の場である住宅をめぐる事情を知ると、その姿が鮮明に浮かび上がってきます。

今回は文豪の中でも人気の高い1人であり、6月13日で没後73年になった「太宰治」の住宅事情について解説します。

※本稿は『文豪たちの住宅事情』(田村景子編著、小堀洋平著、田部知季著、吉野泰平著)から一部抜粋・再構成したものです。

青森屈指の富豪の家庭に生まれた

太宰治は、生涯自らの家を建てることはなかった。

「どこに住んでも同じことである。格別の感慨も無い。(中略)どうでも、いい事ではないか。私は、衣食住に就いては、全く趣味が無い。大いに衣食住に凝って得意顔の人は、私には、どうしてだか、ひどく滑稽に見えて仕様が無いのである」(『無趣味』)

衣食住に「無趣味」の太宰が住んだ生涯で最も贅沢な住宅は生家である。太宰治(本名:津島修治)は1909年、青森県北津軽郡金木村大字金木字朝日山414番地、津島家の和室10畳間で生まれた。当時、完成してから2年ほどとまだ新しい豪邸は、1階が11室278坪、2階が8室116坪、庭園などを含めた宅地は約680坪、建築費は約4万円だったという。公務員の初任給が50円という時代であるから、ケタ違いの大金である。

父津島源右衛門は1904年に青森県内の多額納税者番付で4位となっており、金融業を営む津島家は青森屈指の富豪であった。

しかし、太宰の実家に対する見方は冷淡である。

「私の家系には、ひとりの思想家もいない。ひとりの学者もいない。ひとりの芸術家もいない。役人、将軍さえいない。実に凡俗の、ただの田舎の大地主というだけのものであった。(中略)この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。間数が三十ちかくもあるであろう。それも十畳二十畳という部屋が多い。おそろしく頑丈なつくりの家ではあるが、しかし、何の趣きも無い」(『苦悩の年鑑』)

この家は、現在太宰治記念館「斜陽館」として知られ、2004年には近代和風建築の代表例として国の重要文化財にも指定されている。そうした壮麗な造りも太宰にとってはとりたてて注目すべきことではなかった。

ただ、父親の生家である松木家を訪ねた際、新たな面を発見してもいる。