こうして猛勉強を重ねた西さんは、成績を一気にジャンプアップさせます。8月は模試の偏差値も60で、早稲田のすべての学部でE判定でしたが、10月には偏差値68まで上昇してA判定も出るようになったそうです。一緒に代ゼミに通っていた5人の友達の中で、最初は最下位の成績でしたが、わずか2カ月でトップになりました。

予備校のチューターからも驚かれたこの大変身には、勉強法を変えたことも大きかったようです。

「対面の授業のほうがいいと思っていたのですが、夏が明けてから、代ゼミのサテライト校のほうに変えて、東京の講師の授業を受けるようにしました。そうすると授業の効率がよくなり、テキストも早稲田に特化したものになったので、勉強が楽しくてしょうがなくなりました」

東大でまさかのA判定が出る

充実した日々を送る中で入試本番に突入した西さんは、現役時に受験していなかったセンター試験を受験しました。かなりいい手応えだったそうですが、その判定結果を見てさらに驚いたようです。

「当時のセンター試験は3科目で、東大の後期試験を受けることができました。代ゼミに持ち帰って自己採点をしたところ、90%以上取れていて、東大の判定もAが出たんです。でも、僕は早稲田しか興味がなかったので、受けませんでした」

こうして早稲田の受験本番に臨んだ西さんは、政治経済学部、法学部、社会科学部を受けます。「これ以上の浪人は許さないから」という母親の意向もあり、同志社大学、立命館大学、青山学院大学も受験し、同志社はダメだったものの、立命館と青山学院は合格しました。

しかし、早稲田の受験はまったく手応えがなく、全滅したと思ったそうです。

「東京のホテルに泊まっていて、2月21日の政治経済学部と22日の法学部の合格発表を見に行ったのですが、どちらも落ちていました。もうダメだ、終わったと思って、親にお願いして、2浪する覚悟で『青学の入学金まだ払わないで』と伝えました。そう思って最後に24日、社会科学部の発表を見に行ったら……、受かっていました。とても嬉しかったですね」